設楽にとって俺は過去の自分で、俺にとって設楽は未来の俺。
キレイサッパリ忘れられちまったやつがいると知った途端頭んどっかの冷静な俺がシーソーを用意する。
さてさて結人クン、問題です。
彼女の中に自分がいないことをこわがる俺 と どう足掻いても無駄で傷付くことになる俺
比べたらすっ飛ぶくらい軽いのはどーっちだ?



花紡ぎ
HANATSUMUGI



同じ動作を繰り返してるだけなのに前に出す足が鉛のように重い。
あの日からずっとそうだ。設楽に言われたことが頭の中で何度も何度も再生される。


「記憶できる容量が決まってんの。ビデオテープとかと同じ」


の頭に詰め込まれてるのは俺らには到底理解できないような記号の羅列と必要最低限の常識。
難しい知識を次から次に詰め込んでくからそれ以外が入り込む余裕なんてないよ。
の記憶に残りたいのは自由だけど、そしたらあいつの中から他の何かが消えるってことは忘れないで。
何が消えるかなんて俺にはわかんない。ただ、それはにとって何よりも大事なものかもしれない。


「……どうしろっつーんだよ」


どうするもなにも、答えは出てるんだけど。

設楽はこうも言ってた。たとえ俺がの中に残りたいと願っても、の周りにいるやつらがそうはさせないだろうと。
そりゃそーだ。こんなガキ一人を忘れない為にの中から専門家もびっくりな知識が消えんだから。
いつか聞いちまったスーツの声を思い出す。の記憶にはそれこそガキにはわかんねえような色んなもんが絡んでるんだろう。

開いた携帯に咲く白い花。真っ白いワンピースを纏ったと、その横で笑う俺。

いつか彼女は俺を優しいと言ったけどそれは違う。 だってさ、ほんとに優しいやつは自分を守ることばっかに固執しないだろ?
に近づけばそれを良く思わないやつらにも近づくことになる。
そしたら色んな声が俺ん中に飛び込んできて、俺はまた苦しくて苦しくて息ができなくなるんだ。
苦しいのは嫌なんだよ。…また会いたいって言わせたのも願ったのも俺なのに、逃げるんだ。


「うわ、最悪」


―逃げたのに、こうして何度もここに来ちまう俺ってほんと何なんだよ。

相変わらず開くことのない冷たい扉に手のひらを押しつけて、溜息。
気持ち悪くなる度に気づけばこの場所に足が向いてるんだからまじ俺なんなの?
吐き出した息が硝子張りの扉を白く曇らせた。


「…あら?」


少しでもスッキリしたくて冷たい扉に額を押しつけて目を閉じていた俺に聞こえる筈のない声が落ちる。
何かに集中してたわけでもねえのに気づかなかった。―それは彼女の中に俺を揺さぶる余計な感情がないから。

ゆっくりと顔を持ち上げれば、ほら。久しぶりに見るの笑顔。


「どうしたの?気分でも悪い?」
「…や、全然へーき」


そーいやが白以外を纏ってるのは初めて見んな。
真っ白いワンピースの彼女の腕には色とりどりの花束。 硝子張りの温室の中には色んな花が咲いてるけど、白詰草以外の花との組み合わせは初めてだ。

だからだろうか、俺は忘れていたんだ。


「…ねえ、それ見てもいい?」
「ん?…あー見ても楽しくないからさ」


ついと白く細い指が示した先を辿って、俺は慌てて開いたままだったそれを閉じた。


「見てはいけないものだった?」
「や、そういうわけじゃねえけど、」
「そう。…あのね、少し変な質問をさせてね」
「…どーぞ」

「もしかしてきみは今日より前の私のことを知ってるの?」

「……や、初対面」
「でもそれ、きみの隣にいるのは私じゃない?」


ぴしり、耳の奥で何かが割れる音
ほんとうはもっと深い場所から響いたやさしくない音はゆっくりと俺の中を這い上がり喉を焼く。
頭ん中に靄が掛かったみたいだ。心と身体が引き離されたみたいにコントロールが利かない。


「……くせに、」
「え?」
「どうせお前なんか明日には俺のこと忘れちまうくせにッ!」


ただ、わかったのは何かが何かにぶつかる激しい音と俺の身体が逃げるように走り出したこと。
―それから、一瞬だけ視界に入ったの痛そうな、顔。



+



「昨日お前がメールしろって言ったからしたのに返事ねえってどういうことだよ」
「ワリーワリー、でも文句なら俺じゃなくて家出した携帯に言ってくれ」
「はあ?」
「なに、落としたの」
「誰かが拾ってくれたかもしんねえし電話してみれば?」
「んーでも新しいの欲しいって思ってたから別にいーかも」
「良いわけないでしょ。結人はともかく俺や一馬の個人情報だって入ってるんだからね」
「まあまあ、そのうちひょっこり帰ってくっかもしんねえし?」

「若菜」

「……とか言ったそばから帰って来たし。俺愛されてるー!」


引き攣りそうになる頬を誤魔化すように笑ってぷらぷらと俺の携帯を揺らす男に駆け寄る。
何の表情も浮かべずに突っ立っていた設楽は、だけど俺が手を伸ばすとひょいと携帯を遠ざけた。


「…お前さ、白詰草の花言葉って知ってる?」
「は?」
「……知らないならいい。じゃあ俺はちゃんと渡したから」
「…あぁ、サンキューな」


落とすように放された携帯を慌てて空中でキャッチして、 振り返りもせずに去っていく背中を眺めながら俺は後ろから近づいて来た二人に声を投げた。


「なあ英士、白詰草の花言葉ってなに?」
「知らない」
「一馬は?」
「知らねえけど…つか気になんなら調べりゃいいだろ」
「しーらーべーてー」
「携帯戻って来たんだから自分で調べろよ」
「ええーかじゅまくんおねがあい」
「あーもうウッゼーなわかったよ!」
「甘やかさなくていいのに」
「はいそこお黙りっ!」


張り詰めていた息をそっと吐いて意味もなく戻って来たばかりのそれを開いたり閉じたりの繰り返し。
変わらないものは俺を酷く安心させる。 そんな俺の些細な変化に気づいているのかいないのか、切れ長の目が一瞬俺を見てすぐに外れた。


「ほら結人、あったぞ」
「おう、サンキュー。――ッ、………、…」
「…結人?お前、大丈夫か?」
「、え?」
「涙」
「――、え?」


そっと目許に触れてみても感じるのは温かな体温だけ。
それなのに、ああ、


「今にも泣きそうな顔してる」



空っぽすぎて涙も出ない



どうせ忘れちまうから、何を言ってもいいと思ってたのか?
――最低だ。最低だよ、俺。



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