思えば初めて俺がここに迷い込んだときに扉が開いていたのはほんとうに偶然で、 きっと俺は何千万分の一とか宝くじで一等を当てるような確率で奇跡的に彼女に出逢うことができたんだ。 じゃなかったら閉ざされたこの世界に自分から足を踏み入れようだなんて思わなかった。
花紡ぎ
HANATSUMUGI 「…今日も駄目か」 まさか鍵を掛けられるなんて。 俺がここに来るようになってから数ヶ月、扉は閉まっていても一度だって鍵が掛っていることなんてなかった。 やけに冷たいドアノブに目を凝らし鍵穴をなぞったところで魔法なんて使えない俺にはこの扉を開けることなんてできない。 鍵穴が外にあるってことは、中からなら鍵がなくても開けられんのか?家の玄関みたいに。 それならに頼んで開けてもらえばいい。 つっても、今日のあいつはまだ俺を知らないから、白詰草の花畑から少し離れたここまでやって来るとも思えない。 がしがしと頭を掻く。どうすりゃいいんだ。 遠征から帰ってきて一週間は経った。それはイコールで俺がに会えない日数と結ばれる。 に会えないと困るのかって訊かれれば正直なんにも困んねえけど、でもどうしてかあの笑顔が忘れられない。 英士や一馬とは違う。一緒に笑いたいんじゃなくて、俺が笑わせたい。 そしてなにより、の記憶に俺が存在しないことが、こわい。 「こうなりゃ強行突破しかねえな」 硝子張りの温室。扉には鍵。鍵を持たない俺がこの中へ入るには残された方法は一つ。 さっと地面を見渡して大きめの石を拾う。ピッチャー若菜選手、振り被って―― 「止めた方がいいよ」 「石なんかぶつけても無駄。それは割れない」 「……お前、」 「どーも」 おいおい俺どんだけ集中してたんだって。すぐ後ろに人がいたことに声を掛けられるまで気づけなかったとか、うわあ。 普通ならそう珍しくもないかもしれねえけど、普通じゃない俺にとっては珍しいことだ。 こんな状況じゃなけりゃ嬉しかったんだけどな。頭に直接入り込んでくる声を拾わずに済んだんだから。 でも今は別。だって俺、今まさに石投げて硝子割ろうとしてる要注意人物だし? ―と、まあそんなことはどうでも良くて。振り被ったまま固まっていた腕を下ろして改めて振り返った先に立つ男をじろじろと見る。 どっかで見たことあんだよなー…誰だっけ?この辺まで出かかってんだけど……。 「締め出されたんだから大人しく諦めれば」 「締め出されたってお前…」 「だって鍵掛けられたんだろ?そーいうことじゃん」 正論だと言わんばかりにさらりと突き付けられた言葉に思わずむっと眉を寄せる。 「ま、俺的には安心かな」 「…どーいう意味だよ」 「言っただろ。構わないでやってって」 かちり、頭の中でピースが合わさる音 「お前、あのときの…」 「思い出してくれてどーも。ついでに言えば中二の夏にも会ってっけどな」 「中二?……あ!お前、鳴海んとこの…設楽だっけ?」 「その言い方はなんかヤだけど一応せいかーい」 思い出せてスッキリしたけど今はそれよりものことだ。 こいつはなにを知っている?面倒くさそうに欠伸を零した設楽に問う。 「お前とってどういう関係?」 「どーゆーって?」 「だから、…ただの知り合いってわけじゃないんだろ?」 淡々としながらもなにか知っているような口振りに湧き上がる感情は期待かまた別のなにかか。 名前のわからないそれを二酸化炭素と一緒に放り出す。 だけど返って来たのは予想とは違う言葉で、 「知り合いでもねーよ」 「え?」 「ん、ちょっと違うか。俺はを知ってる。でもあっちは俺を知らない」 「…それってどういう……?」 「今度はこっちの番。若菜とは知り合い?」 「そうだけど、」 「ほんとに?今日のは若菜のこと知ってんの?」 うわ、直球。それは俺の真ん中にぐさっと突き刺さる。 …あぁそうか、そうだよな。一方的に知ってるだけじゃ知り合いじゃねえもん。 設楽の言いたいことを理解すると同時に歪んだ顔は笑顔を貼り付けることも儘ならない。 でもこれで一つはっきりしたことがある。こいつは、設楽は間違いなく過去のと知り合いなんだ。 それもただの知り合いなんかじゃなくて、それなりに親しかった筈。 じゃなきゃ、今日の なんて言い方はしないだろう。――それなら、 「…なあ、構うなってどういう意味?」 今の俺、どんな顔してっかな。迷子のガキみたいな情けねえ顔かも。ハッ。……笑えねえ。
俺だけじゃなかった。 抱いたのは子供染みた独占欲か、自分を守る為の安堵か。 わからないんだ。ごめん、…ごめん。 俺はやっぱり俺が大事だから、心のどっかでさよならの準備をするよ。 07 | top | 09 |