温室にスーツが来たのは一度きり。あれ以来、ここに俺と以外のやつが顔を出したことはない。
俺の異常さを知ってもはなにも変わらず、相変わらず白いワンピースを纏って白い世界の中でわらっていた。
そして今日も、俺は俺を知らない彼女に笑いかける。



花紡ぎ
HANATSUMUGI



「よ!」
「こんにちは」
「まーたへったくそなの作ってんのか」


についてわかったこと。
は自分の記憶が一日限りのものだということを知っている。
だからこうやって突然にとって知らない人間、つまり俺に話し掛けられても動じることなく笑い返す。
もうちょっと警戒した方がいんじゃね?とか思ったりもした、つーか実際言ったけど、次は気を付けるって笑うだけで終わった。
眠っちまうと眠る前に起こったことや出会った人のことは綺麗さっぱり消えるけど、自分が誰かは憶えてて一般常識もあるっぽい。
そんで、頭がいい。
数学の授業で居眠りばっかしてた俺に教師がキレて、いつからここは名門校になったんだよ!? って言いたくなる超難関レベルの課題を押し付けられたことあって、そんときに知った。



+



「どうしたの?」
「へ?」
「眉間、皺寄ってるよ」
「あー…ちょっとさ、授業中寝てばっかいたら課題出された」
「難しいの?」
「難しいってレベルじゃねえんだよこれが。しかも明日の朝一で提出しろとか、イジメじゃね?」
「寝ているからでしょう?」
「うっわー正論」
「それで、その課題は今持ってるの?」
「おー。これこれ。見ろよ、意味わかんねえだろ」
「…」
?」
「わかくん、ノート貸して」
「ん?おぉ、いいけど」
「ありがとう」
「…」
「……」
「………え、」
「はい。上から順番に解いたから、このまま写せばいいよ」
「あ、サンキュ、……じゃなくて!なに、お前実はすっげえ頭いいの!?」
「わかくんよりはいいみたいだねえ」
「うっわームカツク!つかこれ、式短くね?」
「……あら。途中式も詳しく書いた方が良かったかしら?」
「オネガイシマス」



+



数学以外にも、俺が逆立ちしたって理解できないことをは沢山知っていた。
あれはもう頭いいなんてレベルじゃねえよ。ま、お陰で俺は色々と助かってるし特に気にすることじゃねえんだけど。


って日記とか書かねえの?」
「日記?」
「そ、日記。俺のこととか書いとけば明日のもわかんじゃん」
「便利だけれど、それって日記というより手紙ね」
「なんで?」
「だって、明日の私と今日の私は別人だもの」
「…あーそっか、手紙な手紙。んじゃ明日のに俺のこと紹介しといてよ」
「花冠の作り方を教えてくれる、暇な高校生って?」
「だから暇じゃねえっつの!相変わらず失礼なやつだぜ」
「ごめんなさいね」
「笑いながら謝んなよなーったく」


口許に指をあてて小さく笑う。ふふ、と声が落ちた。


「…うしっ、じゃ当てになんねえから俺が書く」
「あら、失礼ねえ」
「お前にだけは言われたくねえし」


いつも通りの軽口を叩きながら鞄から引っ張り出したルーズリーフにシャーペンを走らせる。
見慣れた丸っこい字がどんどん増えていく中、頭の上にふわりとなにかが触れた。


「んー、なに?」
「花冠。綺麗にできたからわかくんにあげる」
「俺が教えたんだから綺麗にできんのは当然だな」
「わかくんって可愛い字を書くのね」
「え、なにシカト?俺の発言丸っと無視?」
「そこ、漢字が違うよ」
「うーわまじでシカトかよ。てかまだ見んな」
「間違った情報を書いていないか確かめないといけないでしょう?」


目が合えば楽しそうに、悪戯っぽく笑う。

日記を書けばいいと気づいたのは少し前のことだった。
の中にどうにかして俺を残す方法はないかと考えた結果、日記の存在に気づいてこれだと思った。


「そんじゃまたな。俺が態々書いてやったんだから、ちゃーんと枕元に置いて寝ろよ!そんで、」
「私も書けばいいんでしょう?何度も言わなくてもわかっているよ。ばいばい」


が俺にとってあり得ねえくらい頭がいいのはどうでもいい。
俺が気にしているのは、どうしてが今日も俺の名前を知らなかったのかだ。

だって昨日のも、眠る前に明日の自分に宛てた手紙を書くとわらっていたのに、



届かない明日への手紙



は嘘をつかない。にとって嘘は必要のないものなので、嘘をつく理由がない。
手紙を書き忘れて眠ってしまうのかもしれないと考えてこうして俺が書いたわけだけど―
次の日。少しだけ期待して訪れた温室で、は俺の名前を知らなかった。



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