なにこれなにこれきもちわるい。みんななんでへいきなの?なんでふつうにしていられるの?
おかあさん、こえがいっぱいきこえるよ。おとうさん、いまねむいっていった?
どうしてみんなはふつうにしてるの?きもちわるくてぐるぐるするのはぼくだけなの?

………ぼくが、へんなの?



花紡ぎ
HANATSUMUGI



「きみが苦しむ必要はないんだよ」
「…な、にを、」
「きみは、他人の痛みを自分の痛みに変換してしまうんだね」
「、ちがッ!」


時が止まる。ひゅっと喉が鳴って、耳の奥で心臓が盛大に脈を打った。
ばれたばれたばれた…!彼女は俺の異常さに気づいている!いや、違う。まだわからない。
ぐるぐると回る思考、感情。混乱は更なる混乱を呼ぶばかり。
――なのに、なんで、
確かに俺は焦っているのに、身体は異常を訴えていない。
さっきはあんなに気持ち悪かったじゃん。今の方が俺の精神状況は最悪だろ?
いつもなら、今頃吐き気や頭痛に襲われて意識飛ばしてんのに。

そういえば昨日もそうだった。
俺の身体を蝕む毒は、彼女が触れた瞬間に呆気ないほど簡単に大人しくなった。

感情に敏感な俺は、心が不安定になると息ができなくなる。混乱や恐怖が喉を塞ぐ。
そして、体調が悪いときなんかほど俺の異常な能力は研ぎ澄まされるらしい。
いつもは聞き流している他人の声までもがぐるぐると回り出して混ざり合った感情に呑まれてしまう。
結果、更に体調が悪化する悪循環。まじねえわ。


大丈夫だよ。


頭ん中で囁いた声は、じわじわと身体中に広がって行く。
聞こえる距離に人はいない。この声は間違いなく彼女のだ。

彼女は俺の異常さに気づいている?

心を覗かれていると知りながら、こんなにも静かでいられるだろうか。
普通じゃないモノに対して、普通の枠組みに入っているやつらはいつだって残酷だ。

彼女はほんとうに俺の異常さに気づいているのか?

冷静さを取り戻し始めた頭で考える。ほぼ初対面なこの人が、家族も親友たちも知らない俺の秘密を知ってる可能性はゼロに近い。
つーか知ってたら変じゃね?どっから洩れたんだって話だろ。俺しか知らないっての。
そこまで辿り着けば一気に冷めた。ざわついていた思考の渦は素早く引いて行く。


「落ち着いたみたいだね」


視界を覆っていたぬくもりがゆっくりと遠ざかる。
晴れた視界に広がる、やわらかな笑顔


「あー…なんか、暑さでやられたのかも。立ち眩み的な」
「ここは硝子張りだから、陽射しの強い日は気をつけないといけないね」
「だな!お姉さんは今まで気分悪くなったこととかねえの?」
「今まで…そうね、一時間ほど前からここにいるけれど、私は大丈夫」
「ふーん。……あのさ、ちょっと失礼かもしんねえこと訊いてい?」
「どうぞ」

「もしかして、記憶 ないの?」

「あら、ほんとに失礼ねえ」
「や、だって…てか笑ってないで答えくれよ」
「目が覚めてからの記憶ならある」
「今朝?」
「今朝」
「あー…うん、なんつーか、ドンマイ?」


口許に指をあてて笑う。昨日の記憶がないこと全然気にしてねえな。
聞こえたわけじゃねえけどわかる。だって、ほんとうに楽しそうにわらってんだもん。


「きみは感受性が豊かな上に正直ね」
「感受性…?」
「だって、私のことで心を痛めてくれたんでしょう?」
「……は?」
「私が昨日の会話や花冠の作り方を憶えていない理由に気がついて、あんな顔をしていたんじゃないの?」
「あんな顔?」
「苦しい顔。痛そうな顔。…でも、その様子だと違ったみたいね」
「え、あ、えーっと」
「いいの。私が泣かせてしまったんじゃないのならそれでいい」
「お、おう……ん?ちょっと待った。俺泣いてねえし」
「泣いてたよ」
「泣いてない」
「でも、泣きそうな顔をしていたよ。すごくすごく、痛そうだった」


目じりを拭うように、そっとやさしく触れる指。
微かに流れ込んでくる感情が子守唄のように心地良い。


「俺ってさ、感受性が豊かすぎんだよ」


豊かっつーか強いっつーか。もうほんと、どんだけ強いんだって話。
いっそ笑うしかねえなこりゃ。…笑い事じゃねえけど。
でも、やっぱり涙は出ないから、花冠でも作っとこう。



+



「俺、明日もこの時間に来るから」
「明日も?高校生って忙しいと思っていたんだけれど」
「なんかそれ俺が暇人みたいに聞こえんだけど」
「違った?それじゃあ時間だから。ばいばい」


この短時間で軽口を叩き合えるくらいには打ち解けた。立ち上がった彼女を追うように言葉を投げる。


「あ、待った!あのさ、やっぱ名前教えてよ。んで、俺は若菜結人」
「…きみ、記憶力大丈夫?」
「一番言われたくないやつに言われたー」
「ごめんね、私以下なのかと思って」
「ひどっ!じゃなくて、そっちが憶えてなくても俺が忘れなければ問題なくね?」

「それにさ、今日と明日が別人なら、どっちにしろ初めましてじゃん」

「初めて会ったやつのこと知らねーのって普通だし」
「……、―。明日の私によろしくね、わかくん」


ちゃっかりあだ名かよ。しかも名字。
こうなりゃ俺は遠慮なく下の名前で呼んでやろう。勿論呼び捨て。
無理に敬語は使わなくていいって、昨日のが言ってたし?



左回りの時計



思い出すのは時を遡るということだ。
でも彼女には、遡る時がない。
彼女が眠っている間に、進んだ分だけ元に戻ってしまうから。



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