終わりが始まりなのだとしたら、いずれまた会えるかもしれない。 after world
明日と言ったけれど実際は日付変更線を跨いだ数時間後。誰もが眠りにつく深夜、彼女の身体は深い深い眠りにつく。 「…誰かいるの?」 病室に響く小さな声がスイッチになり営業モードへと切り替わる。 にこりと笑みを浮かべてベッドへ近づくと、彼女は驚いたように目を瞬いた。面会時間はとっくに過ぎてるんだから当然だろう。 「ちゃん?…久しぶりね、でもこんな時間にどうしたの?」 「お久しぶりですー。夜分遅くにすみません、どうしても玲さんに会いたくなっちゃって」 「嬉しいこと言ってくれるのね」 非常識な時間に突然訪問したにも関わらず彼女は言葉通り嬉しそうに微笑んでくれた。 どうしてパタリと来なくなったのかとか、どうやってここまで来たのかとか、そんなことには一切触れないのだから相変わらず出来た人だ。 起き上がろうとする彼女に「そのままで良いですよー」とやんわり止める。 「そういえば玲さんて一人っ子なんでしたっけ?」 「えぇ、父と母との三人家族よ。ちゃんはこの間迎えに来てくれたお兄さん以外に兄弟はいるの?」 「姉が二人ほど。祖父母も一緒に暮らしてたんで全部で7…えーと、8人ですかねー」 「賑やかそうで羨ましい」 実際は祖父はあたしより前に病気で亡くなったし、翼は全くの無関係。あたしがいない今は5人家族になっている筈だが気にしない。 お姉さんが想像するような賑やかさがあったのかと言われれば首を捻るしかないが、彼女が楽しそうに笑うので良いとしよう。 それから暫く他愛もない話に花を咲かせていると、不意に彼女が苦しそうに眉を寄せた。どうやらそろそろ時間らしい。 「大丈夫ですか?」 「…ぃじょうぶよ。心配してくれて、ありがとう」 そう言って微笑んで見せるけれど、その顔はやはり苦しそうだし呼吸も荒い。 こんなこともあろうかと準備は万端。パチンと手を打ち鳴らすと外の音が何も聞こえなくなる。 実は今、この部屋以外の時間を止めていたりするのだ。なんて言うとすごそうだけど、単にこの部屋だけを時の流れから切り取っているだけ。 容体が急変して病院関係者やらご家族やらがゾロゾロとやって来られちゃ困るので先に手を打ったというわけだ。 ――ま、そんなに長くは持たないてか上に怒られるからちゃっちゃと元に戻すけど。 勿論こんなことあたし一人で出来るわけもなく、可愛らしい天使サマの力があってこそだ。天才ってほんとだったんですね。 「、ちゃん…?」 ちなみにこの部屋の時の流れもほんの少しだけ緩やかにしてある。 あたしが手を叩くと同時に楽になった呼吸。彼女が不思議そうにあたしを見上げた。 「もう少しだけあたしに時間をくれませんか?」 「……えぇ、勿論よ」 きっと彼女は次に波が来ればそのまま自分が抗えない眠りについてしまうだろうことをわかっている。 本当なら医者を呼んでご家族を呼んで、彼女の意識があるうちに最期の挨拶をしたい筈だ。 それなのにこんな、出会ったばかりの女が言う意味のわからないお願いに綺麗な笑みで応えてくれるのだ。本当に優しい人。 出来ればもっと違う形で出会いたかった。同じ世界で、同じ時間の中を生きてみたかったなあ。 「あたし、玲さんに言ってないこと沢山あります」 「私もちゃんに言ってないこと、沢山あるわ」 「それじゃーお相子ですね」 「そうね」 二人して笑い合う。互いにそれが何なのかを訊くつもりはないのだが、あたしの場合大抵は知っているのでフェアじゃない。 だからというわけでもないが、一つくらい自分の口で真実を告げておこうと思う。 「この間あたしを迎えに来た人、ほんとは兄じゃないんです」 「…そうだったの」 「兄っていうか逆らえない相手的な。嘘ついてごめんなさいー」 「気にしてないわ。…じゃあ私も一つだけ。私ね、ちゃんが嘘ついていたこと知ってたのよ」 悪戯っぽく笑うお姉さんに目を丸くする。彼女が知っている嘘はどれなのかわからないけれど、訊かなくても良いだろう。 「玲さんには敵いませんね」 「私の方が年上だもの」 「たとえ同い年でも敵わないと思いますー」 カチコチカチコチ 少しずつ時が動き出す音がする。もうすぐ時計の砂が全部落ちるだろう―「翼さん」。小さく呟けば音もなく可愛らしい少年が姿を現した。 突然現れた少年を前に、お姉さんは長い睫毛を上下させて、 「あなた、人間じゃなかったのね」 とても綺麗に微笑んだ。表情も声も柔らかく、とても優しい色を含んでいる。 邪魔者は退散しようかと背を向ける前にがしりと手を掴まれた。 辿った先は少年の手で、ちらりと彼を見るが彼は硬い表情で前を見たままこちらを見る気配はない。 どうしたものかとお姉さんを見やれば、彼女は淡く微笑んだ。仕方ない、立ち去るのは止めにして一歩下がるだけにしよう。 「ちゃんのお兄さん、じゃないのよね。良ければ名前教えてくれる?」 「――翼」 「翼……そう、素敵な名前ね」 「知ってる。ハトコが付けてくれたから」 さっきまでの硬い表情と声が嘘のように、翼は柔らかく笑った。 「きっとその人はあなたのことが大好きなのね」 「…昔はそうだったと思うけど、今はもう嫌われたかもしれない」 「そんなことないわ。今でも彼女は翼のことが大好きよ」 「ッ!」 「みんなみんな、あなたが大好きなの」 握られた手が震える。あたしが震えてるんじゃなくて、繋がった先の手が震えているから。 優しく微笑んでいた玲さんの表情がわずかに歪んだのに気づいて目を閉じて数をかぞえる――もうすぐさいごの砂が 落ちる 「玲は、全部知ってたの?」 「なんのこと?……迎えに来てくれてありがとう、可愛い天使さん」 「…死神かも、しれないよ?」 震える声は水を含んだように静かに響き、より一層強く握られる手。掴まれるままにしていたそれに、こちらからもそっと握り返す。 それと同時に感じた気配は、翼の頬に触れる柔らかな手のひらか。響いた声は、どこまでもやさしく 「どっちでもいいわ。連れて行ってくれることには変わらないんだもの」 さいごの砂が、落ちた。途端に騒がしくなる室内、慌ただしく人が行き来するのを窓の外、いつかの枝に座って眺める。 ふわりと微笑んだ彼女はきっと幸せだったんだと思う。空っぽになった手のひらを丸めて一人笑った。 |