このときばかりは名ばかりの天使が本物の天使に見えましたとさ。



after world



「翼さん!」
「ったく、何やってんだよ。馬鹿じゃないの」
「まさか橋にあんな反応するとは思わなくて…助かりました。ありがとーございます」
「誠意が見られないんだけど」
「これがあたしの精一杯です」

あたしの表情と声にやる気といった類のものが見られないのはデフォルトなので仕方がない。 その所為で感謝や謝罪が伝わりにくいのは生前から変わらないのでこういった反応も慣れたものだ。

「それでどうするつもり?」
「…どうしましょうかねー」

頼みの綱である彼女が動いてくれるのを待ちたいというのが本音だけれど、果たして上手くいくものか
未だに眠りから目覚めることのない彼女に一度だけ視線を落として次はその視線を自分へと向ける。 逃げる際についた傷に少しだけ顔を顰めると、それに気がついた少年が溜息を零した。

「だから無理やり連れてけって言ったんだ」
「でも天城さん強情そうだったから」
「強情だろうがなんだろうが、がその気になれば連れて行けるだろ」
「……まあ、そうなんですけどねー」
「いつか消されたって知らないぜ」

もっともな言葉にグウの音も出ない。
天使だか悪魔だか死神だかよくわからない仕事を与えられてから、平平凡凡なあたしは特別な力を得た。 それは所謂 神様からの贈り物とかそんな感じで、現世を彷徨う魂を強制的に上に連れて行くことが出来る力だ
あたしは未だその力を使ったことがなかったりする。
だって、強制的に連れて行って向こうで喧嘩売られても嫌だし、 来世まで憶えててうっかりそっちで出会ったときに恨みを晴らされるのもご免だ。

そして、彼の言う「消される」とはそのままの意味
幽体であるあたしに物理的な攻撃は効かない。でもそれは相手が生きているものだったらの話なわけで、 たとえば幽霊相手だったらそうもいかないし、さっきのような夢の中も幽体を相手にしているようなものなので普通に怪我をする。
翼が引っ張ってくれなければもっと大きなダメージを負っていたかもしれないし、 それ以前に彼がこっちで見ていてくれなければ出口は塞がっていた可能性が高い。

そう思うと彼には感謝してもしきれないわけだが……そこはまあ、スルーでいいか。


「仲睦まじい兄妹だったみたいなんですけどねー」

今気にしなければならないのは先ほどの妹さんの反応だ。
亡くなった兄の話を出されて怒るならまだわかる。けれど、彼女は橋に反応した。 あの橋は天城さんにというより、イリオンさんに関係しているのかもしれないなあ。

「起きたみたいだよ」

翼の言葉に一先ず思考を中断して眠りから目覚めた彼女へと視線を向ける。
着替えを終えてどこかに向かうらしい彼女の後を追おうと、するりと家から抜け出した。



「……橋?」

彼女が向かったのは、天城さんがいる例の橋
突然現れた妹に驚いたのか、天城さんは訝しげな視線をあたしへと移した

「こんばんはー天城さん」
「どうしてイリオンがここに?何かわかったのか?」
「あー…詳しくはわからないんですけど、どうやらイリオンさんが何か知ってるみたいですよー」
「…、」

更に口を開こうとした天城さんを止めたのは、あたしでも翼でもなく、

「お兄ちゃん」

静かに響いたイリオンさんの声。


「お兄ちゃん、いるの?…わたし、変な夢を見たのよ。羽根のない天使が出てくる夢。 天使さんが言ってた。お兄ちゃんがずっとここにいるって。心残りがあって、ここから動けなくて困っているんだって」
「……イリオン、」
「あのねお兄ちゃん。病室でお兄ちゃんが眠っている時にわたしが言ったことを気にしてるんだったらもういいの。 もう大丈夫なんだよ。…わたし、お兄ちゃんからもらったペンダントここで無くしちゃったって言ったでしょう? だけどあれ、ほんとは嘘なの。一緒に探してって言ったけど、全部嘘なの。ほんとは無くしてなんかない。無くすわけない。 だけど、お兄ちゃんにどうしても元気になって欲しくて、また一緒にいて欲しくて嘘ついたの。 お兄ちゃんは優しいから、ああ言えば起きてくれると思って……ごめんなさい。お兄ちゃん、ごめんなさい」

言いながら蹲ってしまったイリオンさんに天城さんは近づいてそっと頭を撫でた。
彼が覚えていなかったのは眠っている時に聞いた言葉だったからだ。そして、彼女の願いを叶えられなかったことを悔やんでこの場所に縛り付けられていたのだ。
全てを知った今、天城さんはとても優しい顔で笑っている。優しいお兄ちゃんの顔をしている。

「ごめんなイリオン。一緒にいられなくてごめん。辛い思いさせてごめん。どうしようもないお兄ちゃんでごめんな、」

いくら彼が頭を撫でても、零れ落ちる涙を拭っても、彼女がそれに気づくことはない。
幽霊は人に触れられない。そしてまた、人も幽霊に触れられない。

、頼みがある」
「…内容によりますがー」
「最期にイリオンに俺の姿を見せることって出来ないか?声だけでもいい」
「……」

イリオンさんを抱きしめたまま真剣な顔で振り向いた彼に掛ける言葉がなくて眉を寄せる。
だって彼女に霊感なんてないのだ。少しでもあれば何とかなったかもしれないけど、その少しすら彼女からは感じられない。
黙って首を振るあたしに天城さんは取り乱すこともなく、静かに一つ息を吐いた。

あぁ、やっぱり彼は優しい人だ。

叶えてあげられないことに多少なりとも罪悪感を抱きつつも、これで更に未練が出来たとかだったらどうしよーと心ないことを考える。 未だ上に行く素振りを見せない彼にどうしたものかと視線を彷徨わせた先でばちりと目があったのは見た目だけは誰よりも天使に相応しい鬼上司

「翼さーん」
「無理」
「そこをなんとか…ほら、きっとそれ叶えれば天城さん上へ行けますよー」
「アイツの未練はもうなくなっただろ」
「いやいや、逆に更なる未練になっちゃったかもしれませんし」
「……」
「人助けだと思って、お願いしますー」

「………。チャンスは一度きり。彼女に声が届くのはお前が上に行くその瞬間だけだ」


大きな溜息のあとに響いた言葉に、あたしと天城さんは顔を見合わせる。
イリオンさんを抱きしめたままの彼が、しっかりと頷くのがわかった。