時には強引に行くことだって必要だ。 after world
うかうかしていたら引きずり込まれてしまいそうな感覚。 足場なんてないけれど目を閉じているあたしにはそんなこと関係ない。あると思えばあるのだ。 ついでに言えば目を閉じていても見えると思えば見えるのだ。この世界で大事なのは意志を強く持つこと。 接触していない今でもこの状態なのだから、泣いてるちびっこに声を掛けたらどうなることか。 痛いのも疲れるのも嫌なんだけどなー。じゃあ止めれば良かっただろ、鬼上司の声が聞こえてきそう。 「こんにちはー」 現実の世界が夜だなんて知ったこっちゃない。蹲って泣いているちびっこにまずは簡単な挨拶を。 するとどうだろう、歪んだ世界がぐらりと揺れた。わかっていたけど周りは全員フェイク、彼がこの世界の核だ。 びくりと肩を揺らしたちびっこはやがてゆるりと顔を持ち上げた。さて、そろそろ目を開けようか。 「……誰?」 「と申しますー」 「?…天使のお姉ちゃん?」 「そうですよ。しがない天使のですー」 どうやらあたしのことを覚えていてくれたらしい。ぱあっと明るい笑顔を浮かべたユンくんにこちらもにこりと笑顔を返す。 視線を合わせる為に膝を付きちびっこの両手をそっと握れば、彼は不思議そうに首を傾げた。 「どうしてお姉ちゃんがココにいるの?」 「ユンくんに会いに来たんです」 「僕に?」 「はい」 「ほんと?会いに来てくれたのお姉ちゃんが初めてだよ。ありがとう!」 「喜んでいただけたところであれなんですが、一つ二つ質問しても良いですか?」 営業スマイルを貼り付けたまま尋ねるあたしにユンくんは不思議そうにぱちりと瞬きを一つ。 この可愛らしい顔をいつまで見ていられるのやら。頷いてくれたのを確認したなら口を開こうか。 「ユンくんはどうして泣いてたんですか?」 「お姉ちゃんもわかるでしょ?ココは真っ暗で何も聞こえない。怖いんだ」 「他の場所に行かないんですか?」 「無理だよ。僕は動けないから」 「本当に?」 「……なんでそんなこと訊くの?僕が嘘ついてるって思ってる?」 「違いますよ。だけど、もう一度よく考えてください。キミを動けないようにしているのは誰?」 ぐらりぐらりと世界が揺れる。歪みが広がっていくようであまり気分の良い光景ではない。 響き渡る笑い声が大きくなり、ピリリとした痛みを感じる。これはきっと敵意だ。 彼という名の世界を壊す恐れのある部外者を排除しようと動き始めたに違いない。 あたしとしては壊す気なんて毛頭ないのだけれど、変化をもたらそうとしているのだから彼にしてみれば同じものなのだろう。 その証拠にさっきまで可愛らしい顔をしていた目の前のちびっこの雰囲気が変わった。 「ココにはずっと僕しかいない。お姉ちゃんは僕が悪いって言いたいんだ」 「そうじゃなくて、」 「ウソツキ」 その言葉と同時に全方向から槍のように尖った何かがあたし目がけて飛んでくる。 鋭さは鬼上司の視線なんて目じゃない。当たったら痛いじゃ済まないなこりゃ。 「ちょっ、タンマ!ユンくん待って。逃げんなっつーの!」 掴んでいた筈の両手がするりと抜けたと思えばちびっこは一目散に走り出した。 追いかけようにも飛んでくるものから避けるのに必死でままならない。生憎体育の成績は5段階評価で3しか取ったことないわけで。 「コンニャロ」 本音を言えば物騒な物を投げつけてくる笑顔のユンくんたちを殴り飛ばしたいところだが、この世界のものを傷つけるわけにはいかないので今は只管逃げるしかない。 それ以前に反撃しようにも運動神経0のあたしには不可能だけどね。 今だって避けきれずに色んな所に傷が出来てるのだから。傷で済むならまだマシで、普通に当たっていたら大惨事だ。 これも全て見目可愛らしい天使サマのお陰です。流石先輩、これくらいお見通しだったんですね。 そっと額に触れた指先に感じる熱 あのとき翼が力を分けてくれなければ今頃あたしは大変なことになっていただろう。最初のデコピンは痛かったけどね! ――でもま、あの痛みと引き換えに本物を見つける力を得たわけだけど、 「人の話は最後まで聞きましょうって、ご両親から習わなかった?」 集中攻撃を受け始めてどれくらい経っただろうか。 左腕を掠めた鋭いものを捕まえて言えば、それはぐにゃりと形を変えた。 この世界はユンくんのものだから彼が望むままに姿を変えることが可能。…それにしても自ら攻撃してくるなんて、あたしも随分嫌われたものだ。 「家族なんていない。僕はずっと独りだ」 「あのねユンくん、独りって結構難しいんだよ」 あたしに片腕を掴まれているため片手で耳を塞ごうとするちびっこに対し高圧的にならないようにしゃがんでそっと声を掛ける。 ――彼が全てを塞いでしまわないように、世界を閉じてしまわないように、 ユンくんの記憶を探るために掴んだ部分に意識を集める。未だに攻撃は止まないけれど、そんなこと気にしてる場合じゃない。 「キミは自分がずっと独りだって言ったけどそうじゃない。 キミには優しい両親がいた…友達も沢山いたんだね。面倒見も良くて年下からも慕われてた」 「そんなの知らない!だって僕はずっと、」 「知らないんじゃなくて忘れてるだけだよ」 「嫌だ…知らない、僕は何も忘れてなんかない」 「大丈夫、怖くない。思い出してもキミはヒトリボッチになんかならないから」 耳を塞いでいる手を掴み、俯く彼に視線を合わせるように顔を覗きこむ。 ぎゅっと唇を噛みしめているユンくんは今にも泣きだしそうだ。 「…ヒトリボッチは寂しいよ」 「うん、そうだね」 「……ほんとに独りにならない?」 「大丈夫。あたしも一緒に行くから」 ゆっくりと抱き締めて頭を撫でると、ユンくんは力を抜いてあたしの肩に顔を寄せた。 それと同時に世界が揺らぐ。新たな痛みを感じないことから、漸く攻撃を止めてくれたのだろう。 「さて、あたしはそろそろ行きますね」 「…僕をおいてくの?」 「違いますよー。ちゃんと迎えに来るのでほんの少しだけ待っててください」 あたしの言葉に彼は弾けるように顔を上げぎゅっと服を掴む。 不安げに揺れる漆黒にやる気のない笑みを映り込ませ大丈夫だと頷いて見せれば、ちびっこも頷いてあたしの服から手を放した。 彼が素直に応じてくれて助かった。デッドヒートを繰り広げていた時間が長かった所為でタイムリミットが近づいているのだ。 「それじゃ、いいこで待っててくださいね」 立ち上がって頭を撫でればちびっこは気持ち良さそうに目を細めしゅるりと姿を消した。 この世界の核であった彼は魂そのもの。だから消えたことにちょっとだけ驚いたけど、形を変えただけのようなので問題ない。 やがて世界は歪みを直す為に動き出す。うっかりしていると出られなくなりそうなので重たい体に鞭打って走り出すとしよう。 抜け出す瞬間、一度だけ振り返った世界は鮮やかに色付いていた。 |