廻りめぐってみたところで答えが見つかるとは思えない。 after world
重苦しい空気に呑まれて上手く呼吸が出来ないあたしとは違い、見目愛らしい少年は見たところいつも通り。 しかも金髪幽霊を鼻で笑うくらいの余裕はあるらしい。 「ボクに言わせればお前も脳ミソ腐ってるよ。前世で人殺してるんだからアイツの寿命は長くない。だったら手出すまでもないだろ」 それともまさかそんなことにも気づけないほどイッちゃったわけ? 音を成すことはなかったけれど、多分少年の頭の中ではこんな台詞が続いたんだろう。目が怖すぎる。 「たとえ死んだ後でも罪は罪、お前が上に行ったときその罪を償うことになる。人を祟れば自分に還ってくるぜ」 「ええよ。アイツ殺せば俺の未練も消えて自然に上行くことになる。そしたら死んだアイツとちゃあんと会話も出来るさかい、俺としては万々歳や」 「それでお前の未練が断ち切れるとも限らないけど?」 「ほんならまたアイツが転生するまで気長に待つわ。待つのは慣れてんねん、アイツが変わらん限り何度でも繰り返したる」 「そんなこと繰り返したらやがて恨みに囚われて自我を失う。そうなったら最後、そのうち所構わず人を祟るようになるよ」 「わかっとる」 ひゅっと喉が鳴るような錯覚。さっきまで呑まれていた空気を今度は逆に飲み込んで金色を瞳に映す。 悲しいとか、可哀想とか、そういう気持ちが胸の中をくるりと回ってやがて冷たい塊になって落ちる。じわじわと溶ける頃には全てが冷え切っていた。 「ばっかじゃない」 吐き出した声は小さすぎて隣にいる翼が拾えたかも怪しい。距離のある藤村さんには聞こえている筈もなく ――それでも唇が動いたことに気づいたのか、彼は問うように首を傾げた。 「……わかってる?どの口が言ってんの?」 「、」 「何の関係もないのにアンタみたいな馬鹿の所為で死ぬ人間のことほんとにちゃんとわかってんの!?」 手のひらに爪が食い込むほど握りしめて金髪を睨みつける。手が届く範囲にいれば、きっと胸倉を掴み上げていたはず。 制止を促すような静かな声が隣から聞こえた気がするけど気のせいということにしておこう。 今はただ、湧き上がってくる感情を殺さずに声にしてしまいたいんだ。 「藤村さんがアイツを恨むのは仕方ないと思う。でもだからって他人を巻き込んで良い理由にはならない。 そういうヤツラの所為で寿命でもないのに死んでしかも普通に転生できずに働かされる人のこと考えてよ。まじメンドクサイ」 「…、」 「たとえどんなヤツでも命を奪っていいわけない。――殺されたことがあるなら、殺される人の気持ちくらい手に取るようにわかるでしょ。 ………。てか自我失って好き勝手やってたら、最終的に藤村さん魂ごと消されちゃいますよ」 飛び出してきた想いを言い切ってスッキリしたあたしに鬼上司はデフォルトの呆れ顔で溜息を一つ。 そんなに呆れなくてもいいのに。だって言いたかったんだからしょうがないじゃないですか。 目と目で通じ合うなんてことは出来ないというか出来ても微妙だけれど、きっと少年なら雰囲気で悟ってくれるだろうと視線を向ける。 ――カラカラと楽しそうな笑い声が遠慮なく響いたなら、再び視線は金色へと戻るのだけれど。 「どうせ消されるんやったら、ちゃんみたいな可愛い子に消されたいわあ」 「なに馬鹿なこと言ってんですか。その頃あたしもう幽霊やってませんから」 「そらそーか!」 本当に楽しそうに笑うこの幽霊の神経がわからない。あたしだったら隣にいる天使の冷めた視線で営業スマイルも凍るのに。 「ですからあんな人殺すの止めてください。それで大人しくあたしに連れて行かれてさっさと生まれ変わっちゃってくださいよ」 「……ほんま自分優しいなあ。でももう遅いねん。死んだ時の気持ち思い出してもうた――もうすぐアイツは死ぬ」 穏やかに笑う彼とは裏腹に、彼を包む空気が今まで以上に重く歪んだ。 時折頬を掠める痛みが増したことからも時間がないことが窺える。その上 隣から感じる空気に鋭さが増したものだから人知れず舌打ちを一つ。 「まだ間に合います、今すぐ吸い取った生気全部返してください。そうすれば大きな罪にはなりませんから、だから…!」 「堪忍なちゃん。…姫さん、ちゃん遠くに連れてってくれへん?制御しきれずに怪我させてまうかもしれん。そんなの嫌やねん」 「なんでボクがお前の為にそんなことしないといけないわけ?自分でどうにかしろよ」 「相変わらず手厳しいやっちゃ」 表面上はいつも通りの会話でも纏う空気は全くの別物だ。 今まで翼が手を出さなかったのは、藤村さんがあたしや翼の説得に応じて自発的に止めるのを待っていたから。 でもそれもそろそろ限界だ。藤村さんが対象者を取殺してしまう前に無理矢理にでも止めるしかない。 更に冷えた温度に風が止んだ。代わりに耳に届くのは、心の奥底を震わせる音 「遊びはそろそろ終いやな」 「お前がその気ならコッチも容赦しないよ」 翼の立場を考えれば仕方ない。たとえその所為で藤村さんの魂に傷がついたとしても、仕方がないのだ。 ――頭では、ちゃんとわかってるんだけど、 「待てッ!」 動き出そうとした翼よりも早く空を蹴り、勢いそのまま今にも爆発しそうな球状のオーラへと突っ込む。 肌を突き刺す痛みと耳から入り込む鈍い痛みに空っぽな筈の胃の中がざわりと粟立った。 何かが喉を迫り上がるような感覚にぐっと息を押し殺す。生きる為に必要な機能がとっくに停止しているのが幸いして、実際に何かを吐き出すことはまずない。 徐々に白んで行く視界の中で伸びてくる2本の異なる何かが見えた気がする。 「!」 拾った音は誰のものか。それが自分の名だと気づく頃には全てが終わっていた。 「――ッこ、んのド阿呆!自分なにしたかわかっとるん!?下手したら消えるとこやってんで!」 「…ぃじょぶ。消えてません、よー」 情けないことに息は上がっているけれど、頭の先から足の先まで自分の意思で動かすことは可能だ。 状況を把握しようと視線だけで周囲を探る。どうやらあの嫌なオーラは消えたらしい。…良かった、柄にもなく頑張った甲斐があった。 へなりとやる気なく笑うあたしに目の前の金髪幽霊の顔が歪む。 「…、ほんま自分 何してくれんねん…消してもうたかと思た。――俺がを、消して」 微かに震える声はそれ以上音にならなかった。いつも自分のペースを崩さない藤村さんがこんな風に取り乱す姿なんて初めてで思わず目を瞠る。 恐る恐るといったように回された手に引き寄せられて、一瞬の後に力強く抱きしめられてしまえば何も見えない。 「―――無事で良かった。おおきに、…おおきに」 耳元で聞こえる声はやっぱり震えていて、背中と頭を包む手も震えている。 彼の胸に顔を埋めていても心臓の音が聞こえることはない。この音はもう、何十年も前に止まっているのだから―― 「アイツちゃんと生きてたよ」 不意に響いた声に顔を上げようと力を入れる。されるがままになっていたけれど、藤村さんの震えも止まったみたいだしもう大丈夫だろう。 放してくれと訴えるようにトントンと軽く背中を叩けば漸く回された力が緩んだ。 「これで死なれてたら意味ないですからねー」 「全くや。アイツも偶には役に立つんやな」 「―、」 「はい?」 意識を取り戻して周りを確認した際に少年の姿がなかったのは、対象者の安否を確認しに行っていたからかと納得しているところを指名されて首を傾げる。 ゆるりと視線を向けると同時、痛いほどの力で腕を掴まれ強引に金髪幽霊さんの腕の中から引っ張り出された。 「えーと、翼さん?……もしかしなくとも怒ってらっしゃる感じでしょうか…?」 「それ以外の何に見えるわけ?」 「………ごめんなさい」 「何について謝ってるの」 「勝手に邪気の中に突っ込んだ挙句ぶっ倒れたことです」 いつになく不機嫌オーラを醸し出す翼にこれでもかというくらい眉を下げる。どうしよう、超怖い。 わざとではなく本気でしゅんと肩を落とすあたしに盛大な溜息が落ちた。 「結果的に上手くいったから良いけど今度同じことしたら消すから」 「!……に、二度としないと誓います」 あまりの恐ろしさに本気で泣きそうになった。またこんな状況に陥ることなんてまずないと思うけど、口には出さず大人しく頷いておく。だって怖いんだもん。 そんなあたしの様子が面白かったのか、隣から大きな笑い声が弾けた。 それがあまりにもいつも通りで、楽しそうで、うっかりあたしまで笑っちゃって鬼上司の機嫌が下がったことは言うまでもない。 「ここでええ、一人で行けるさかい」 「上まで連れて行きますよー。てかそれが仕事ですし」 「構へん構へん。ちゃあんと上のヤツラにはちゃんに連れて来てもろたって言うから安心しい」 「……まあ、そこまで言うなら」 「ほんまは最後の一人になって一緒に逝きたかったんやけど、こればっかりはしゃあないなー。このまま残ってたらまたアイツ殺したなるかもしれんし」 「もうあんな面倒なことはご免でーす」 「俺かてまたちゃんに危ないことさせるんは嫌やで。せやから大人しく行くことにしてん」 こんな軽口を叩けるのも誰も消えずに済んだからだ。あたしは怪我をしたけれど魂自体は無事なのでどうってことない。 そのことは金髪幽霊さんにもしっかり説明した。藤村さんは真っ直ぐあたしを映していた視線を少し横にずらして今度は翼を映し込む。 「姫さん、ちゃんのことほんま頼むで」 「ボクはコイツの監視役なんだから今更言われるまでもないよ」 「ほんま素直やないなー。俺を見張れなくなるんが寂しゅうても泣いたらアカンで」 「ハッ!誰が」 相変わらずのやり取りに頬を緩めれば、それに気づいた藤村さんも金色を靡かせてカラリと笑った。 |