変わったことと変わらないこと。時の流れはなんて残酷で愛おしいんだろう。



after world



初対面のあたしが言うのは失礼かもしれないけれど、無気力幽霊である横山さんがこんな風に穏やかな顔をしたことに驚いた。
なんだ、普通に笑えるんじゃないか。その視線を辿ってみれば、スーツ姿で腕に黒猫を抱いた青年の姿 彼の言葉通りびしょ濡れのその人は慌てながら木陰へ逃げ込むと困り顔で笑いながらべったりと額に張り付いた前髪を掻き上げている。
好青年って言葉が似合いそうなだーと思いながらちらりと横山さんを見やる。 見た目は同じくらいに見えるけれど、彼が亡くなったのが最近だとは限らない。 それでも無気力幽霊さんがあんな表情を見せたのだから、2人の間には何らかの関係があるのだろう。

「あの人、横山さんのお知り合いですか?」
「あー家が近所で幼稚園小中高とあと就職先も一緒だったヤツ」
「幼馴染みってやつですかねー」
「まあそんな感じ。アイツのが俺より1個上だけど俺もアイツも気にしたことない」

無表情に戻っているけれど、初めて会話が成立したのでそんな細かいことは気にしない。
そもそも彼の表情の変化なんてどうでもいいのだ。無表情のまま笑うのはちょっと怖いけれどそれは見ないようにすればいい。

「やっぱ馬鹿だなケースケ」

あんな恰好じゃ営業行けないだろ。とか、部長に怒られればいい。とか、淡々とした中に確かな温度を感じる言葉達。
きっとすごく仲が良かったんだと思う。
そんなこと思ってみたところであたしには全く関係ないのだけれど――、

「…アンタ、だっけ?」
「はいーですー」
「アイツに傘渡したりとか出来ない?」
「幽霊ですから無理ですよー」
「でも普通の幽霊じゃないんだろ」
「……どうしてそう思うんですか?」
「雨貫通してねーし濡れてもない。普通のヤツは上行こうなんて勧誘してこない」

なるほど、ぬぼーっとしている割には観察力があるらしい。
後者はよく言われるけれど、前者に気づいているとは思わなかった。
右手を持ち上げて落ちてくる雫を受けとめようと手のひらを広げても、その雫はあたしの手に落ちる前に弾けるように消える。
一般的な幽霊なら壁をすり抜けるのと同じように雨粒も身体をすり抜けていくのだ。
幽霊は温度を感じない。寒いとか冷たいとか、生きているモノなら感じる筈の感覚がないので雨に濡れたところでなんてこともない。 ――濡れる、という表現自体必要ないのだけれど。
でも一般的な幽霊に属さないあたしや翼のような幽霊は、その気になれば温度を感じることも雨に濡れることも出来る。
まあつまり、彼のお願いに応えることも出来るわけで、

「幽霊は実体を持たないんですよー」

にっこり笑うと、ものぐさ幽霊は相変わらず何を考えているのかわからない顔であたしを見る。
彼の頼みを聞いてあげるほどあたしはお人好しではないし、そんなメンドクサイことしたくないというのが本音。
だって疲れるんだ。霊感のある人間ならまだしも、あの人…ケースケさん?はどう見てもその手の力はなさそうだし。

「ふーん、じゃあいいや」
「お力になれず申し訳ありませんー」

この幽霊相手に営業スマイルを浮かべてもあんまり意味はなさそうだけれど、それでも一応仕事中なので0円スマイルは貼り付けたまま。 勧誘も拒否されたし、もう諦めて戻ろうかなー。
仕事熱心な鬼上司は不機嫌になるだろうけど、不機嫌なのがデフォルトになりつつあるのでこの際気にしなくてもいい気がする。

「それでは「また来て」……はい?」
「土産話とかあると嬉しい」
「…あのー、でも横山さんは上に行くつもりはないんですよね?」
「ないけど暇だし。が俺の相手してくれればそれなりに暇じゃなくなる」
「えーと非常に申し訳ないんですが、こちらも仕事があるので……いや、あの、」

ばっちりと合った目に思わず苦笑が漏れる。極上スマイルを浮かべた天使サマも怖いけれど、無表情でじいっと熱い視線を送ってくる無気力幽霊も怖い。 あたしがちびっこだったらとっくに泣いてると思うの。 ていうか自分の都合ばかり優先してきて大人げないと思わないんだろうか。見た目的にも中身的にも横山さんのが年上であることは間違いないのに。

「俺あんまり動けないから会いに行くのは無理」
「別に会いに来て欲しいとは思ってないですよー」
「話聞くのは好きだけど話すのはメンドクサイ」
「いや、ですから別に横山さんのお話が聞きたいわけでもなくてですね、」
「我儘だな」
「……」
「じゃーわかった。ケースケの馬鹿話してやるよ。面白いぞ」
「………だから、上に行くつもりがないなら別に用なんてないんですよ。あなたの話だろうがケースケさんの話だろうが、全くもって興味はありません」
「アイツ俺の月命日に必ず家来て仏壇に手合わせてくんだぜ。 もう1年経ったのに母さんは相変わらず沈んでてケースケに頼りっぱなしだし、俺の写真見て泣いてばっか」

突然そんな話を始めた横山さんに訝しげな視線を送る。
本当に意味がわからない。一度は会話が成立したと思ったのに、いつの間にかまた彼のペースに戻っているではないか。
自分の死に纏わる不幸話や家族の話をしてくる幽霊は多いけれど、あたしは正直そう言った話に付き合わされるのが嫌いだ。
仕事のために聞くフリをすることはあるが、すでに断られている今回は聞いたところで何のメリットもないことはわかっている。
第一、あたしはあたしのリズムを崩されるのは好きじゃないのだ。独自の世界観を露わにするこの幽霊とは馬が合わない。
――もう放っておいて帰ろう。踵を返そうとしたその時、

「仏壇とか墓の前で泣きながら言うんだ。神様どうして平馬を連れて行ったのって」


神様どうしてあのこを連れて行ったの神様どうしてかみさまカミサマ


頭の中を覆いつくした言葉にぐらりと視界がぶれる。 焦点の合わない目で頭を押さえたあたしの姿に横山さんが驚いたように目を見開いた。 あー、この人も普通に驚くんだなー。
傾いていく身体を支える術もなくして、傾いていく意識に全てを委ねようと重力に従って目を閉じる。

!」

真後ろからあたしの名前を呼ぶ焦ったような翼の声が聞こえた気がするけど、それを確かめることもなくあたしは意識を手放した。