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「…は、なに、突然」


引き攣った顔なんて多分初めて見る。
らしくないの顔。だけど今そんな顔をさせてるのは俺で、その顔を作ってるのはだ。


「これ以上の身体を好きにすんのやめてほしい」
「好きにって、なにそれ。急に入れ代わるんだからしょうがないじゃん」
「…それほんとか?」
「なにが」
「ほんとに突然入れ代わるのか?」


真っ直ぐにを見れば、引き攣っていた顔から表情が消えた。


「あたしを疑ってんの?」


温度を感じさせない声。怒りも哀しみもなにもない。
俺が初めて馬鹿げた話を口にしたときと似ていて遠い、色のない音。


「あたしがの身体を乗っ取るとでも思ってんの?」
「…」
「黙ってるってことはそーなんだ」


深い深い溜息。 俺たちの間に横たわった沈黙が実際どれくらいだったのかはわからねえが、たとえ数秒だったとしても俺には何時間も続いてたように感じた。

それほど重く、痛みを伴う静けさを打ち破ったのは淡々と響く静かな声。
ただそれは救いなんかじゃなく更なる痛みを生むものだったが。


「ふうん。つまりあんたは、あたしにもっかい死ねって?」
「!、それは、」
「そーゆーことでしょ。あたしにから出てけってことは、そういうことなの」


もしかしたらあのときの藤代もこんな気持ちだったのかもな。
ぴしゃりと頬を叩かれたような感覚に俺は静かに唇に歯を立てた。


「ねえ、あんたにわかる?目が覚めたらあたしが死んでたの。あんたにこの気持ちがわかる?」


いっそ罵ってくれた方が楽だ。
いつもの調子で口汚くキレて、ふざけるなと掴みかかってくれる方がどんなに良いか。

だけどは事実のみを淡々と告げるだけで声を荒げることも悲痛な色を見せることもなく、


「―いいよ。」
「え、」
はあんたのことすごく好きだったみたいだし、あんたもを大事にしてるのがわかったから」
「…ッ、」
「二人の為に消えてあげる」


俺が口を挟もうとするのをわざと潰すように、はそう言って目じりを縮こまらせた。
…んだよ、お前もそうやって笑えんじゃねえか。きっと今のはの真似じゃなくて自身のものだから。


「……悪い」
「やだなーあ、謝んないでよ調子狂うじゃん。ま、実際の身体で好き勝手やってた部分もあったし?男誑かしたり」
「おい」
「今のは冗談。多分入れ代われるようになったのってあたしがに話しかけたりどうにかして身体動かしてみようとしてたからだと思うのよねえ」


だから多分、そーゆーのやめればあたしが表に出てくることもなくなるんじゃない?
こればかりはわからないと軽い口調で言い放つに思わず溜息が落ちた。
さっきまでのシリアスな空気はどこに行きやがったんだ。ま、この方がらしいけどな。


「んじゃま取り敢えずあたしの意思でに戻れるようにいっちょ試してみるとするか」
「今まで試したことなかったのかよ」
「まあね。だって楽しかったし」


人を小馬鹿にするように口角を上げたにはもうなにも言わねえことにする。
黙り込んだ俺につまらないと眉を顰めて、ついでに大きく舌を打ち鳴らしてからは静かに目を閉じた。

――数秒後、ゆっくりと目蓋を持ち上げたのは、


「まさちゃん?」
「……、か?」
「どしたのまさちゃん、まさかわたしが知らない間に目開けたまま寝れるようになっちゃったの?新しい特技?」
「んな特技いらねえ」
「だよね、目乾いちゃうもんね!」
「そういう問題じゃねえよ」
「あ、だめだよ溜息吐いたら幸せ逃げちゃうんだからねっ!はい吸って吸って」
「今更遅えだろ」
「まさちゃんならだいじょぶだって、わたし信じてるよう?」
「妙な期待すんな」


わしわしと髪を撫でれば口を尖らせながら笑う。相変わらず器用なやつ。


の意思でに戻ることができた今、あいつの言うようにこのままと入れ代わることはなくなるかもしれない。
俺にとってそれは喜ばしいことであってだからさっき零れたのは安堵からの息だ。

消えてくれと願ったのは俺。あいつはそれを聞き入れた。

それなのに、俺の心臓を引っ掻いたわずかな痛みは一体なんだっつーんだ。
今目の前にいるのは確かにだけどもしかしたら中身はかもしれないなんて、まだそんなこと思ってんのか?
確かにあいつは俺を困らせることはしてきたがを困らせることはしなかったし寧ろを大事にしてた。
二人の為に消えると言ったの言葉を、想いを疑うほど俺は腐っちゃいねえ筈だろ?

幼なじみのとその双子の妹のを天秤にかけりゃあどっちに傾くかなんてわかりきった話だったのに、

疑ったのも恐れたのも、願ったのも俺。
だから俺は心臓を引っ掻かれたわずかな痛みに眉を顰める資格はねえんだ。