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「誰って、だよ?変なまさちゃん」


軽口に応えるような口振りに違うと首を振る。
冗談で言ったんじゃないと気づいたのか、不思議そうに俺を見上げていた顔が横に傾く。


「もしかしてわたしなにか悪いことしちゃった?」
「…そうじゃねえ」
「じゃあなあに?なんで急にそんなこと訊くの?」


不安げに揺れる瞳に良心とやらが疼く。そんな顔させてえわけじゃねえのに。悪いな。


「お前さっき、藤代の顔見てあいつの名前呟いただろ」
「…、え?」
「声には出てねえが口が動いてた」
「それ多分まさちゃんの見間違いだよーう」
「ほんとか?」
「え、?」
「お前の言葉、信じて良いのか?」


どちらともなく地面に縫い付いた足が二人分の長い影を延ばす。
今こいつから目を逸らしちゃならねえと俺の中のなにかが激しく訴えかけてくるままに視線は逸らさずに、
揺れる漆黒の奥で珍しく真面目な面した俺を睨むように、


じゃなかったら誰だって言うの?」


響いた声は突き放すものでもやわらかいものでもなく、ただ純粋に投げかけられた問いのよう。
俺の視線から逃げることなく見上げてくる顔はいつもと同じだけど別人にも見えるからまた妙に胸がざわついた。


「それはこっちが訊きてえ。だけど、時々知らないやつに見える」
「知らない人…?」
「俺もまだはっきりわかっちゃいねえんだ。馬鹿げた話だとも思うし、見当違いなら笑ってくれりゃ良い」


静かに、深く息を吸う。
肺を刺す冷たさがぼやけた脳をクリアにしていった。


。―お前、じゃねえの」


漆黒の中に映った俺がぐにゃりと歪む。
口にした途端俺の中でかっちりとどこかが埋まる音がして、代わりに別のなにかが崩れた気がした。


「あの子は死んだんだよ」
「ああ、そうだな。さっきもそれで揉めたばっかだ」
「じゃあどうして?」
は死んだ。でも、今のじゃねえ。馬鹿げた話だろ?」
「そうだね、ほんとうに――馬鹿げてる」


喉の奥から細い息が逃げる。
俺の目の前で笑った知ってるけど知らない顔。あいつはこんな笑い方はしねえ。
口の端だけを持ち上げて作り出された笑顔は、顔いっぱいで笑うあいつのとは似ても似つかない。


「だけど正解。すごいね、よくわかったね。さっすが幼なじみってとこ?」


鼻から抜ける笑い声が鼓膜を叩くたびに込み上げてくるなにかをぐっと飲み込む。
あいつと同じ温度で響く声がこんなにも不快に聞こえるだなんて、まさかこんな日が来るとは想像もできなかったな。


「…お前、誰だよ」
「やだなあ自分で言ったんじゃん。、あんたの幼なじみの妹よ」
「……、はどこ行ったんだ」
「目の前にいるでしょう?」
「でもお前はじゃねえんだろ」
「中身はね。身体はあの子」
「二重人格ってことか?」
「近いんじゃない?でもあたしは確かにで、自分が一年前に死んだってことも知ってる」
「…意味わかんね」
「こっちが言いたい」


めんどくさそうに溜息を吐いたに眉を寄せる。
怪訝そうな俺に気づけばそいつは小さく舌打ちをしてこれまためんどくさそうに口を開いた。


「あたしもまだ混乱してんの。急に目が覚めたと思ったら知らない部屋にいたのよ?」
「どういう意味だ?」
「ある日突然になってたってこと。ああ、もちゃんといるから安心すれば。今は寝てるだけ」
「寝てる?」
「どのタイミングかわかんないけど時々入れ代わるのよねえ。ま、あの子は気づいてないみたいだけど」


できれば笑い飛ばしてほしかった馬鹿げた妄想は現実で、の身体を自分の意思で動かして歩き出す。
衝撃が抜けない俺の足は未だその場に縫い付けられたまま離れて行く見慣れたけど違う背中をただ眺めるだけ。

数歩先で止まった小さな背中がくるりと振り返り、の顔での声で言い放つ一言。


「おめでとう、これであんたも共犯者ね」


茜色に染まる空に歪な三日月。意地の悪そうな顔では笑った。