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あの日から少しずつ増えていくわずかな痛みは一つずつならどうってことないが全部合わせりゃ結構な大きさになる。
それでも俺が黙ってるのは他に違和感を訴えるやつがいないのと、俺自身がこの妙な感覚をどう表せば良いのかわかんねえからだ。
こんなときにあいつがいればな。小さくて大きな背中を思い出しては溜息。


「あっれ黒川ー?」
「…あ?」
「お、やっぱ黒川だ。一人?俺はタクと…あ、タクってのは」
「良い、大体わかった」


名前を呼ばれて振り返った先にいた藤代と、その奥でぎょっとした顔で一瞬こっちを見て慌てて会計を済ませている知らないやつを見比べて頷く。


「一人なら一緒に食う?あ、それとも畑とか飛葉のやつらいんの?」
「あいつらはいねえけど一緒には食わねえ」
「なんでだよー」
「一人じゃねえからな」


あいつなら一緒でも平気だって言いそうだけどまあ一応。
空いてる席があるか見に行ったの性格を思い出して自然と口の端が上がったところでタイミング良く戻って来たな。


「まさちゃん席空いてないからやっぱり持ち帰りで、」
ちゃん……?」
「、え?」


俺を通り越したの視線がぴたりと止まり、微かに動いた唇からそれ以上音は続かずにそのまま色んな感情を混ぜ合わせたみたいな顔で固まる。
後ろから俺を押し退けるように前に出た藤代はの両肩を掴んでぐっと近づいた。


ちゃんだよね!?」
「…や、あの、ちが、」
「なに言ってるのちゃん。俺のこと忘れちゃった?」


どこか鬼気迫る様子の藤代もこんな風に顔を強ばらせたも初めて見る。


「誠二」


すぐ傍で聞こえた静かで強い声を合図に、見事なまでに固まっていた俺は再生ボタンを押されたように呼吸を取り戻した。 並んでいた列から外れての肩に置かれた手を外そうと手を伸ばすも、がっちりと掴んだ藤代の指先が白くなっていることにぎょっとして手が止まる。 …こいつ、なんで。
そしてふと気づく。そういやの妹は武蔵森に通ってたんだ。

またしても固まった俺の代わりに伸びた手が白くなった指先を隠し、やんわりと藤代の手を退かそうと動く。


「落ち着いて誠二、違うだろ」
「なに言ってんのタク、ちゃんだよ!やっぱり生きてたんだ!」
「よく見て、さんじゃないよ。ほら、飛葉の制服着てる」
「え、でもだって…!」
「しっかりしろよ誠二!どんなに会いたくたってさんはもういないんだ」
「……。………そう、だよな」


ぴしゃりと頬を叩かれたように目を丸くした藤代から徐々に力が抜け、の肩に置かれた手がだらりと落ちる。


「驚かせてごめんね。…出ようか?」


安心させるようにに笑いかけたそいつは、それから困ったように辺りを見渡して苦く笑う。
店先でなにしてんだ俺らは。四方八方から突き刺さる視線から逃げるように店を出た。


取り敢えずここから離れようと歩く道すがらいつもなら一人で十人分賑やかな藤代は覚束ない足取りで俯いたまま、
昔から人見知りもせず誰とでもすぐに打ち解けられるもどこか違った顔付きで余所行きの空気を纏わせている。
残された俺ともう一人はさてどうするかと静かに目を合わせてどちらともなく息を吐いた。


「ええと、もしかしてさん?」
「…う、ん。そうです」
「やっぱり。俺たちさんの友達なんだ。武蔵森の」
ちゃんの…」


ここはこいつに任せとこう。の頭越しにしていた目だけの会話を終わらせてちらりとの横顔を見る。
白いを通り越して青い。よっぽど怖かったのか驚いたからか。眉を寄せたところで誰が悪いとも言えない状況では黙るしかねえよな。


「飛葉に双子の姉がいるってのは聞いたことあったけど、ほんとにそっくりだね」
「一卵性なの」
「…ほんとにちゃんじゃないの?」
「誠二」


ようやくいつもの調子で笑ったに今まで黙り込んでいた藤代が小さく割って入る。
すぐに咎めるような声が響いたがはゆるりと首を振ってやわらかく目じりを縮こまらせた。


「大丈夫。ええと、誠二くん?ごめんね、わたしはちゃんじゃないの。ちゃんの姉のです」


の言葉と表情に思うところがあったのか藤代ははっとしたように顔を強ばらせる。


「……ごめん、俺、」
「いいの。ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
「…うん。ありがと」


力なく藤代が笑みを浮かべたところで、ほっと息を吐く音が二つ。


「…あ、俺笠井竹巳」
「黒川柾輝だ。色々サンキュ」
「こっちこそ誠二がごめん」
「気にすんな、しょーがねえよ」


藤代との妹はただの知り合いってわけじゃなかったんだろうな。
暇を持て余していた藤代に連れられて学校帰りにこんなとこまで遊びに来たんだという笠井たちと別れ未だに顔色の悪い横顔に人知れず眉を顰めた。


「……悪かったな」
「え?」
「お前藤代に掴まれて固まってたのになんもできなくて」
「まさちゃんはなんにも悪くないでしょう。気にしないで?」
「ん。で、どーするよ。今からどっかで飯食うか?」
「ううん、今日はもう帰ろ?」
「わかった。…なあ、」
「んー?」
「お前藤代のこと知ってたか?」
「名前だけなら知ってたよ。まさちゃんたちの試合は観に行けてなかったから顔は知らなかったけども」
「だよな」
「それがどうしたの?」


不思議そうに俺を見上げたをじっと見下ろして一度だけ唇を噛み締める。
傷つけたくはない。大事な幼なじみなんだ。だけど、


「お前、誰だ?」


俺の心臓を引っ掻いた傷痕はもう無視できない深さになっていた。