話し掛けても何も返さない人間に周囲はどんどん興味を失くし、 一人、また一人と背を向けて終いには学校と言う箱の中でただ一人切り取られた存在になる。 嫌われていたというよりは気味悪がられていたのだと思う。だから、多少の嫌がらせはあっても悪質なイジメはなかった。 “ひとり”が辛かったのではない。 何より辛かったのは、頑なに口を閉ざす俺を知っても尚優しく伸ばされる手のひらを振り払うことだった。 異質な自分を殻に閉じ込めてしまえばこれ以上怖いことなど起こり得ないと思っていた。 自分の所為で誰かを不幸になどしたくなかった。それ以上に、自分が傷付きたくなかった。
IROKAKUSHI
色隠し 「真田くんこの問題わかる?」 「ん?…あー、多分この公式使えば解ける、と思う」 「あっ、そっかこれか。ありがとーやってみるね」 「真田数学得意だっけ?」 「や、人並み?」 「疑問形かよ。それにしちゃよくわかったな」 「昨日似たような問題やらされた」 「誰に?」 「…家庭教師?」 「だから何で疑問形だよ」 俺の家庭教師と言うよりは茶髪の親友の家庭教師だと思う。 あいつが試験前になると毎回黒髪の親友に泣き付くから、俺も混ざっての勉強会が開かれるのは最早中学からの恒例行事だ。 そのお陰でサッカー漬けの毎日でも赤点を取ったことが一度もない。正に家庭教師様々。 サッカーを始めたのは俺の意思ではなく、当時友達のいなかった俺に社交性を身に付けさせるべく 笑顔の母親と姉にちょっと買い物に行くだけだと騙されてクラブに放り込まれたのが出逢いだった。 すぐに辞めてやろうとも思ったが昔から二人には弱く、嫌々通っている内にサッカーの魅力に惹き込まれて今に至る。 コーチや同じ年頃のクラブメイトとは必要最低限の会話しかせず黙々と練習に励んでいたが、 何がキッカケだったのか憶えていないけれど気が付けば同じ夢を抱く親友達と肩を並べ、 今ではサッカーを通じて多くの人達と関わるようになったのだから あの日半ば無理矢理連れて行ったあの二人の目論見通りになったのだろう。 俺ってほんと周りに恵まれてるよなあ。 家族や親友達の存在に何度助けられたことか。 拒もうとしたところで結局弱い俺は周囲に溢れる優しさに縋ってしまうのだ。 …差し伸ばされた手を掴んだことが良かったのか悪かったのか、未だにわからない。 再び人と話すようになってから何度か“普通じゃない”ことを起こしてしまったし、 その所為で妙な噂が広がって奇異な目で見られたこともある。 目は口ほどに物を言うとは全くその通りで、あの頃は本当に様々な感情を向けられていた。 だけど、殻に閉じこもるのを止めて人と関わるようになったから、俺は望まずして手に入れた異質な能力の使い方を覚えたんだ。 お陰で今はある程度制御出来るようになった。と言っても、感情が爆発すれば意図せずとも声に絶対的な力が宿ってしまうんだけれど。 「あ、」 意味を持たない呟きに何気なく視線を向けると、誰が見ても不機嫌そうに顔を顰めた女子がこっちを見ていた。 忘れもしない。次の授業に向かう途中なのか教科書類を抱えた彼女は先日俺に強烈な一撃をくれた一年生だ。 左頬がひりりと痛んだ気がして思わず眉根を寄せる。 「…何ですか」 や、そっちが何だ。俺は何も言ってないのにと思いながら、「いや別に」と口にして止まってしまった足を再び動かす。 当たり前だが俺は自分を嫌っている人間と必要もないのに関わろとする程変な考えは持ち合わせてないので さっさと視線を外して進行方向にいる彼女の横を通り過ぎる――つもりだった。 「うわっ!」 突然伸びて来た足を慌てて避けるも、バランスを崩して思わず声が漏れる。 廊下でド派手に転ぶのなんて絶対嫌だ。意地で何とか体勢を立て直し振り返れば、立ち止まったままの彼女から鋭い視線が突き刺さった。 嫌われるのは別に良い。生理的に受け付けない相手はいるだろう。 だけど、こっちは何もしていないのにこうも立て続けに手を出される(今回は足だったけど)のは理不尽だ。 「……なあ、俺なんかした?」 「…」 「俺が忘れてるんだったら悪いけどお前に会ったのこないだが初めてだと思ってるから何でこんなに突っかかって来んのかわかんねえんだけど」 「……」 「言いたくないなら別に良い。何かしちまったなら謝るから今度からこういうの止めてくんね?」 まただんまりか。 俺を見上げる強い眼だけは揺るがないが引き結んだ唇を開く気配はない。 敵意剥き出しの態度に隠す義理もないだろうと大きく息を吐き捨てて今度こそこの場を後にしようとしたが、「……のせいで、」。 それはまたしても失敗に終わる。 「なに?」 俺を引き止めた声は酷く小さく、言葉として聞き取るには足りなかった。 首を捻って問い返す俺に、彼女は目じりを尖らせ勢い良く酸素を取り込み、破裂 「あんたの所為でおにいが…!」 「、え?」 「こっちはあんたの所為で滅茶苦茶になったのに何であんたは平然としてんの!?なんであんたばっかり…!」 全身の毛を逆立てたように肩で息をする彼女を見つめることしか出来ない俺だが、その目じりで光るものに気付き目を瞠る。 「ッ…お前、泣いて…?」 思わず覗き込むように頭を傾ければ勢い良く距離を取られ、 「うっさいばか!死んじゃえ!!」 撃ち込まれた弾丸に頭の中でナニカが爆ぜた。 「、ちょっと触んないでよ!」 大きく一歩を踏み出すことで容易く距離を埋め、胸の前で抱きしめるように教科書を抱える手首を掴む。 突然のことに怯んだのか薄い肩が震えたが気遣ってやる余裕など今の俺には到底なくて、 「―お前、本気で俺に死んで欲しいのか?」 ぎちぎちと心臓が軋む。 細え手首。これ痕残るかも。頭の片隅には冷静な自分がいるのに、加減することが出来ない。 「……な、によ…だったらなんだって言うの?…、痛ッ、」 「じゃあ俺が今ここで死んだら嬉しいんだな?」 「な!…、それは……勢いで言っただけで、別に…嬉しくなんてない、し」 言葉を噛むように唇を固く結んだ彼女の双眸から見る見るうちに激情の色が失せていく。 するり、力が抜けたのはきっと俺だけじゃないだろう。 「…そっか。 お前が俺のこと大嫌いなのはわかったけど、だからって勢いで滅多なこと口にすんなよ」 「口にしたらもう戻せねえんだ」 「てか、あんなこと言った後に俺がそこの階段から落ちてぽっくり逝っちまったらお前も寝覚め悪いだろ?」 「それは、まあ……って、なんであんたなんかに説教されなきゃなんないのよ!さっさと手離せばかっ!知らない!!」 「あ、待て!」 「ちょ、なに勝手に名前呼んでんの!」 肩を怒らせて足早に歩き出した彼女を呼び止めれば途端に吠えられたが、 今の俺には子犬がきゃんきゃん鳴いているようにしか思えないので痛くも痒くもない。 それよりも今は、込み上げてくる感情を噛み砕くのに必死だった。 「だって名字知らねえし。美術室なら反対。来た道戻ってどうすんだ」 「……あ、」 「お前カッとなると周り見えなくなるタイプだろ」 「うっさい真田一馬のくせにっ!」 苦し紛れとしか思えない捨て台詞を残して再び俺の横を通り過ぎて行った彼女の耳が心なしか赤く染まっていたので、 砕き損ねた感情が喉を震わせ唇から転がり落ちた。 |