「寮のある学校に行こうと思ってます」


引退してからも顔を出してる部活はテスト前で休みだし、どしゃ降りの中フットサルをやろうなんて思わない。 生徒会室にいるのは役員である優花と一般生徒の俺だけで、テスト前だし仕事もないので他の役員が来ることもないらしいから適当な机を借りて勉強道具を広げてる。 優花は優花で相変わらず突然訪れた俺に文句の一つも言わずに同じようにテスト勉強をしている最中だ。
そんな中、ぽつりと呟かれた言葉に顔を上げる。窓を叩く雨音に負けそうな音量なのに、それでもはっきりと耳に届くのが不思議だ。 視線の先の優花は顔を上げずにシャーペンを動かしていた。


「家を出るってこと?」
「はい」
「…そ。この辺りだと武蔵森とか?ま、優花の成績なら行けるんじゃない」


優花の成績が常に上位なのは知ってるし、高校受験まではまだ余裕があるから勉強をする時間は十分だ。 何より優花の家庭環境というか母親との関係を考えれば離れるのもいいと思う。 納得して再び問題に向き合う俺とは入れ違いに顔を上げた優花の笑った顔が視界の端に映り込む。
優花が自分のことを話すようになったのは優花の姉に会ってからだ。
俺が訊けば答えたけど、訊かれなければ言わないし必要以上のことを話そうとはしない。
――あぁでも、あのときは珍しく話したっけ。怪我の理由を問い詰めたときのことを思い出す。ま、結局は中途半端で終わったけどね。


「……椎名先輩が卒業したら、きっとみんな寂しがりますね」
「そうでもないんじゃない」
「そんなことないですよ。先輩を慕ってる人は多いですから」
「不特定多数にどう思われようと嬉しくねぇよ。それに柾輝達とは卒業したって関わるし」
「…いいなあ」
「え?」
「…え?…あ、羨ましいなと思って。そういう関係って憧れます」
「ふうん。それより優花は?」


いつの間にか交わっていた視線の先で、優花が不思議そうに首を傾げる。 俺が主語のない問いを投げかけるのはよくあることだけど、今回は本当にわからないみたいだ。 仕方ないとあからさまに溜息を零せば申し訳なさそうに笑った。別に不機嫌になんかなってないよ。


優花こそ僕がいなくなったら寂しいんじゃないの?」


きょとんとした表情を浮かべた優花にこっちまで驚いた。でもすぐに別の感情が膨らんでニヤリと口角を上げる。 こんな風に笑顔以外の表情を見せるのは本当に珍しい。優花のことだからいつもみたいにさらっと同意すると思ってたのに。 折角だから少しくらいからかってやろうかなんて、悪戯心が疼きだす。


「なに、もしかして何とも思わないわけ?」
「そんなことないですよ」
「どうだか。僕がいなくなったら清々するんじゃないの。口煩くてお節介な先輩がやっといなくなったってさ」

「違います!」


雨音にも負けずに響いた声に目を瞠る。勢い余ったのか両手を机に叩きつけるようにして立ち上がった優花は、いつもの完璧な笑顔とはまるで180度違う顔で俺を睨みつけた。 眉間に皺を寄せてぐっと唇を噛んだ姿を見て、俺は立ち上がって優花に近づく。 くしゃりと髪を撫ぜればゆるゆると表情が崩れた。


「ごめん。ちょっとふざけ過ぎた」
「…わたしの方こそ、すみませんでした」


肩の力を抜いて困ったように微笑む優花に小さく笑う。悪いとは思うけど、それでも嬉しいんだから仕方ないだろ。


「ねぇ、俺が卒業したら寂しい?」
「当たり前です。寂しいに決まってます」


きっぱりと告げる優花の表情は俯いているので見えない。だけど多分、笑ってはないんだと思う。 それが嬉しくて更に口許が緩む。優花がこっちを見てなくて良かった。いつになく緩んでいるだろう自分の表情を思えば尚更だ。


「卒業したって会えなくなるわけじゃないんだし変わんねぇよ」


メールも電話もするしいつでも会える。だから平気だと頭を撫でれば、ほんの少しだけ顔を上げた優花が控えめに微笑んだ。

俺も優花も嘘はついてない。ただ、ねじれの位置にある俺達は同じ平面上にはいられなかっただけ。 だって俺はわかってて騙されてあげるほど優しくなんてないし、きっと騙すつもりだってなかったんだろうね。





「卒業なんて嫌や!」
「中学じゃ馬鹿でも留年はできないんだよ」
「翼かて俺と離れるん嫌やろ!?」
「寧ろ清々するね」


泣き喚く直樹を鼻で笑う。 言うまでもないけど直樹が俺と同じ高校に行ける筈もないし、ついでに言えば五助とも別だ。 俺の冷たい態度を見ても五助が直樹を慰めようとしないのは、直樹が式の最中から延々と泣き続けてるからだろう。 式なんて一時間前には終わったのに、なんでこんなに泣き喚けるわけ?このスタミナを他の場所で生かせよ。 あからさまに溜息を零せば、片付けを終えたのか柾輝が呆れたような視線を直樹に向けながら近づいてきた。


「アンタも大変だな」
「そう思うなら何とかしてよ」
「無茶言うな」


俺が機嫌が悪いのは直樹の所為だけじゃない。卒業式のあとに色々あって疲れてるからだ。 学ランのボタンを引きちぎられそうになったり、ここ最近の呼び出しを全部無視していた所為もあってか色んなヤツラに揉みくちゃにされた。
俺がイライラしている一番の理由に気づいているのか、柾輝はクツクツと笑う。


「ちょっと柾輝喧嘩売ってんの」
「まさか」
「だったらその顔止めてくれる?」
「先行くなよ柾輝!あ、そーだ翼。小羽のこと知ってっか?」


色の黒い後輩を睨みつけると、もう一人の後輩の声が割って入る。 知ってるも何もそれじゃ意味がわからないだろ。眉を顰めたまま先を促すように視線をやれば、六助が慌てて口を開いた。


「さっき聞いたんだけどよ、小羽転校するんだって」
「……は?」
「六助、それほんとか?」
「おう。片付け終わったあと担任が教室で全員に言ったから間違いないぜ」


そう言えば六助と優花はクラスメートだった。そんな情報を思い出したところで今はどうでもいい。 驚いて言葉も出ない俺に気づいてか、柾輝が代わりに質問をする。


「転校っていつどこにだ?」
「詳しくは知らねぇけど都外って言ってたな。寮があるとこで、来年度からそっち通うって話」
「…マジかよ。……翼、」
「聞いてないよ。――で、優花は?」
「もう帰ったと思うけど」
「……そう。ちょっと行ってくるからあとよろしく」
「あ!翼どこ行くねん!」


これからフットサルをする予定だったけど、そんなの今度で構わない。 このメンバーで何かをできるのが今日で最後ってわけじゃないし、それなら俺は――。

強く強く 地面を蹴り上げるこの足が向かう先はただ一つ。



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