「え、椎名先輩…?」
ってほんとイイ度胸してるよな」
「…あの、どうして、」


何度か送ったことのある家まで来るのに俺が迷う筈もなく、辿り着いた家のインターホンを鳴らすと都合良く見知った顔が現れた。 戸惑う声を無視して強引に腕を掴む。玄関のドアを内側から押さえていたは無抵抗で引っ張り出された。 靴は履いてるから問題ないだろ。 未だに戸惑っているのか、それとも俺がここに来た理由に気づいたのか、は困ったように眉を下げてでき損ないの笑顔を浮かべて俺を見上げる。


「時間あるよね」


拒否権なんて認めない。掴んだ腕に力を入れての目を見れば、逸らすことなく頷いた。





「式のあとに祝いの一つも言いに来ないと思ったら、今度は俺に黙って転校?」
「……すみません。会いに行こうと思ったんですけど、忙しそうだったんで」
「言い訳なんて聞きたくない」
「ごめんなさい」
「…それで、転校ってなに?なんで何も言わなかったの?」


公園のベンチに並んで腰掛け腕を組んで問いかける。俺と同じで制服姿のは、相変わらず申し訳なさそうに控えめな笑みを携えたままだ。 少しだけ考えるように目を伏せたあと、やがて静かに言葉を紡ぐ。


「寮のあるエスカレーター式の学校なんです。本当は高校から通うつもりだったんですが、試験さえパスすれば残り一年でも途中編入を認めてもらえるということだったんで」
「あっそ。でもそれじゃ答えになってないよ」
「……言おうと、思ったんです。椎名先輩にだけはちゃんと伝えようって。…でも、言えませんでした」


口振りからして、担任がクラス全員の前で告げてしまったのはの意思じゃなかったんだろう。 のことだから言わないでくれと頼んでいただろうに、担任がうっかり口を滑らせたのか。 今回ばかりはそのお陰で助かった。担任が口を滑らせなかったら俺が知らないうちにはどこかに行っていたんだから。


「…椎名先輩みたいな人は初めてでした。強引で、人の都合なんて気にせずに自分の都合を押し通そうとする」
「悪かったね」
「だからわたし、先輩と離れるのだけは寂しかったんです」

「家族とか友達とか…こんなこと言うのは酷いけど、会えなくなっても構わない。二度と会えないわけじゃないから平気。 ――だけど、先輩に対してはそういう風に思えませんでした。二度と会えなくなるわけじゃないなんて、そんな風に割り切れない」

「こうやって、いつでも触れられる距離にいないのは寂しい」


伸ばされた手が俺の指先をきゅっと握る。所在なさ気に揺れる漆黒をそっと瞼が隠した。
握られた指先を逆に握り返し、組んでいた腕を解いてへと身体ごと向き直る。――「」。静かに名前を呼べば、長い睫毛が震える。


「お父さんも弟も好きだし、お母さんのことだって好きです。だけどきっと、今のままじゃだめだから」
「…うん」
「離れようって思いました。早ければ早いほどいいって。…それに、転校先の学校はわたしが学びたい分野にも長けてるので」


徐々に水を含んできた声。目尻に滲んだ涙を零さないようにと必死で眉を寄せるは、それでも笑う。…こんなときまで笑わなくていいのに。 何もできない自分が歯痒くて、そんな気持ちを誤魔化すように掴んだ手のひらをぎゅっと握りしめた。


「し、な…せんぱ、」
「もういい。黙れよ」


空いた手でメガネを外し、それをの空いてる手に握らせる。戸惑うように声を漏らしたをいつかのように物理的に黙らせると、ほんの少しだけ震える身体。 ゆっくりと顔を離して覗きこんだ漆黒は、ぽとりと大きな雫を落とす。 熱くなった目頭を隠すように髪に顔を埋めれば、ふわりと甘い香りが広がった。





視線の先で黒が踊る。肩より短いそれは、もしかしたら俺と同じか少し短いかもしれない。 忙しなく動く漆黒に俺を映り込ませようと、俺よりも小さな手を掴んだ。


「椎名先輩?」


長い三つ編みもデザイン性のないメガネも何もない。絵に描いたような優等生の面影は消えている。 そういえばこうして会うのは五ヵ月ぶりくらいかな。相変わらず楽しそうに緩んだ顔を見て、こっちまで口許が緩む。


「あんまりはしゃぐと転ぶぜ?」
「大丈夫ですよ」
「どうだか。夏休みはずっとこっちにいるんだろ?」
「はい」
「大丈夫なの?」
「夏休みは帰って来なさいって、連絡くれたのお母さんなんですよ」
「…そ」
「お父さんも今日は早く仕事が終わるらしいので、夕飯は家族揃って食べられるみたいです」
「弟に顔忘れられてんじゃねぇの」
「……泣かれたらどうしよう」
「ばーか、子供なんて泣くのが仕事だろ」


てか、今泣きそうなのはだし。しゅんと肩を落とし俯いた頭を撫でて言えば、弾けるように顔を上げた。

こうやって色んな表情を見せるようになったを見たら、の母親やを本当に大切にしていた姉はどう思うだろうか。

正解なんてわからないけど、だけどきっと、今の俺と似たようなものだと思う。
俺が高校生になってが寮に行ってからも頻繁にメールや電話はしていたから、学校生活が順調なのは知ってる。 家族というか、母親との関係も上手くいってるみたいだから、あのときの選択は正しかったんだろうね。 早く家族の顔が見たいのか、ゆっくり歩く俺の手をは引っ張るようにして歩く。


「夏休みは何するわけ」
「まずは課題を終わらせて、弟と遊んだり家族で出掛けたり…あ、あとお姉ちゃんの家に遊びに行く約束もしてます。お母さんも一緒に。姪に会うのも初めてなんですよ」
「ふうん。忙しそうだね」
「忙しいですよ。だって、椎名先輩と色んなことしないといけませんから」


振り返ったときには 完璧な笑顔
思わず足を止めた俺を急かすように、ふわりと微笑んだが繋いだ手を引く。


「普通はさ、家族より彼氏を優先するんじゃないの」
「彼氏も大事だけど、家族だって大事なのが普通ですよ」
ってほんとイイ度胸してるよな」
「椎名先輩の彼女ですから」


繋いだ手をぎゅっと握って歩きだす。隣に並んだから甘い香りが広がって、俺が小さく笑えばもやっぱり嬉しそうに笑った。



09 | top