「あ、だ」
「ほんまや。あないな場所で何してんやろなぁ?」
「…翼?」
「ちょっと行ってくる」
「ちょっ!今からフットサル行くっちゅーに…!」
「そうだぜ、翼がいねぇと人数足りねぇよ!」
「僕が間に合わなかったら適当なヤツ捕まえて数合わせればいいだろ」


ひらりと手を振って直樹と六助の声を背に歩き出す。騒がしい二人は柾輝と五助が何とかしてくれるだろ。



「…椎名先輩?」


ほんの少し驚いたように肩を揺らしただけど、振り返ったときにはもう笑っていた。 シンプルなワンピースを身に纏ったは、それでも相変わらず三つ編みを揺らしてメガネをかけている。 こうやって私服姿を見るのは初めてだ。俺がを誘うのは学校帰りや部活帰りだし、病室で見たのは私服っていうかパジャマだったしね。
堤防の斜面、コンクリートの窪みに腰掛けていたは立ち上がって俺が立っている平面の部分まで歩いてくると、笑みを浮かべたまま首を傾げた。


「お出掛けですか?」
「まあね。それよりこそこんなとこで何してんの」
「待ち合わせしてるんですよ」
「待ち合わせ?」
「はい」


更に言葉を続けようと口を開く前に凛とした声が響く。


「――
「あ、」


珍しく驚いた表情をしたの視線を辿って振り返れば、緩いウェーブがかかった肩までの薄茶色の髪を揺らした女と一瞬目が合って微笑まれた。 年はいくらか上だろう。俺から視線を外しを見た女はゆるりと首を傾げる。


「…お友達?」
「ううんそうじゃなくて、学校の先輩なの」
「そう」


簡単な説明に頷き改めて俺を見ると軽く頭を下げた。一拍遅れて俺も頭を下げる。 顔を上げれば再び目が合って、ふんわりと微笑まれた。その笑顔が誰かと重なる。 一般的に見て綺麗な部類に入る人だと思う。それに、纏う空気が全体的にやわらかいので美人特有の近寄り難い印象もない。
待ち合わせの相手が彼女なんだろう。邪魔をするつもりもないので立ち去ろうとすれば、制止の声が掛けられて足を止める。 ――止めた相手はじゃなくて、


「もし良かったら、すぐ済むからここにいてくれる?」
「…お姉ちゃん、」
「折角が連絡くれたのにごめんね、あんまり時間がないの」
「……先輩、いてもらってもいいですか?」


あぁそうか、と似ていたんだ。重なった笑顔は二人が実の姉妹だから。
俺をこの場に残させる意図はわからないけど、特に急いでるわけでもないので頷いて肯定を示す。 脳裏で直樹と六助の騒ぎ声が聞こえた気がするけど、そんなの俺の知ったこっちゃない。

斜面に腰を下ろした二人と少し距離を置いた場所に座る。 ポケットから携帯を取り出せば、新着メール二件と着信五件。アイツら俺のストーカーかよ。 どちらも柾輝の携帯からになってるけど、十中八九直樹からだ。後でシメとこう。 新規メールを作成しながらそんなことを考えていれば、静かな声が耳に届いた。


「結婚おめでとう、お姉ちゃん」
「ありがとう」
「式に行けなくてごめんね」
「仕方ないよ。それより大丈夫だった?」
「うん、お母さんは気づいてないから」
「…そう」


メールを送信してすぐに震えだした携帯は、メールじゃなくて電話の着信を示していた。 ちらりと二人に視線をやって携帯を耳に宛てて立ち上がる。途端に喧しい声が鼓膜を揺らすから眉を顰めて歩きだした。 距離を取って機械を通した声に集中すればもう、あの二人の静かな声なんて聞こえる筈もなくて――。





「椎名くん。のこと、よろしくね」


そう言ってやわらかく微笑んだ顔がとよく似ていた。 それからふわりとの頭に手を置いて、目を細めたの頭を抱くようにして耳元で小さく囁く。 その音は風に乗ることもなく、俺の耳には届かなかったけど。 最後にもう一度俺に軽く頭を下げに手を振って踵を返した彼女は、どこまでもやわらかな空気を纏っていた。


「引き留めてしまってすみませんでした。出掛ける途中だったんですよね?」
「急いでるわけじゃないからいいよ」
「ありがとうございます」
「別に」
「……先日姉が結婚したんです。わたしは式に行けなかったから、せめてお祝いがしたいって無理言って時間を作ってもらって」
「ふうん」


最初にが持っていた紙袋の中身がそれだったんだろう、の姉が大事そうに手にしていたそれを思い出す。 両親が離婚してからあまり交流はなかったみたいだけど、の母親は随分と姉に固執していた筈だ。 …それこそ、妹であるを姉の変わりにするほど。
姉の結婚式に母親が出席したならばだって同席していてもいい筈だし、あの様子からすれば誘われてはいたんだろう。 けれどは行けなかったと言った。

勉強もできて人当たりもいい、近所じゃ有名な自慢の娘

綺麗な長い黒髪だったという彼女にその面影はなかった。もしかしてそれが関係してるんだろうか。


「妊娠してるんです。まだ目立ってないけど、赤ちゃんが宿ってるんですよ」


微笑んだは本当に嬉しそうだ。 やがてぽつりぽつりと紡がれる言葉を繋げて行けば、強ち俺の予想も外れてなかったと知る。
より五つ年上の姉はまだ十代で高校は中退したらしい。色々と問題はあったが実の父親とも相手の両親とも今は良好な関係を築けている。 でも、実の母親はそれを許せなかった。自慢の娘が高校を中退、妊娠、今は絶縁状態らしい。 柾輝に話を聞いてから頭の中に思い描いていたの母親像がより鮮明なものになる。予想通りのタイプだ。


「十代で妊娠なんて恥ずかしいって、普通じゃないって言ってました。……普通って、何なんでしょうね」


揺れた漆黒を隠すように静かに目を伏せる。だけど口許だけは相変わらず緩やかなカーブを描いていて、こんなときにまで笑うに確かな苛立ちを覚えて強く腕を掴んで引き寄せた。 俺の腕にすっぽりと納まったは、ほんの少しだけ震えながらそっと頭をもたげた。



07 | top | 09