「なにそれ」


少しだけ頭を下げて俺の横を通り過ぎようとした女に声を掛ける。 模範的な服装も外見も相変わらずだけど、左頬に貼られた白だけが異質だった。
女はわざわざ足を止めて主語も何もない俺の言葉に首を傾げることなく微笑む。


「ぶつけたんです」
「顔を?」
「顔を」
「手で防ぐなりなんなりできなかったの?」
「両手が塞がってたんですよ」
「ふうん。…またぶつけないように手伝ってあげてもいいけど」
「ありがとうございます。でも、すぐなんで大丈夫です」


両手いっぱいのノートに視線をやって告げれば浮かべた笑みをより一層濃くして笑う。


「柾輝には運ばせたくせに僕だと断るんだ」
「先輩の厚意はとっても嬉しいんですけど、職員室までなんです」
「あっそ」


ついさっき職員室から出てきた俺がこの場から職員室までの距離を測れない筈がない。 断られた理由に納得がいって眉間に寄せた皺を戻しあいさつもせずに歩き出す。 最初から最後まで理不尽極まりない俺の態度にも関わらず、女は始終控えめな笑みを浮かべたままだった。





「昨日と飯食いに行ったのか?」
「行ったけどそれが」
「…そうか」
「何なの?」
「や、別に。何でもねぇ」


部室に着くなり目の前を塞いだ後輩に眉を寄せ、告げられた言葉を聞いて更に深い皺を刻む。 俺がこういった中途半端を嫌うことくらい知ってるだろうに。
……あぁ、イライラする。
これが直樹や六助なら仕方ない。五助でもまだわかる。だけど、目の前にいる肌の黒い男は違うことなく柾輝だ。


「言いたいことがあるならはっきり言いなよ」


昨日は部活の後にいつものメンバーを先に帰らせて数学の課題を取りに教室に戻った。 そのときに偶然戸締りの確認をしていたあの女と会って、そのまま気まぐれで一緒に帰り、更に一人で飯を食うのも退屈だからとちょうど一緒にいたあの女を連れてファーストフード店に寄ったのは事実。
見られて困るわけじゃないけどあのときあの場にサッカー部の連中はいなかったし、それ以外にも見たことのある顔はなかった。 俺のことを一方的に知ってるヤツやあの女の知り合いがあの場にいたのかもしれないけど、柾輝の場合そいつらから聞いたという線は薄い。 今日だって特に噂もなかったしね。

つまり、柾輝が昨日のこと知っているのはあの女に聞いたからだ。

その事実がやけに気に障って気づけば腕を組んでいた。トントン、と指を鳴らし頭一個分上の後輩の顔を睨みつける。 別に口止めしたわけじゃないし、あの女が誰に何を話そうと自由だ。わかってるけどイライラする。
不機嫌を隠そうともしない俺の態度に柾輝は少しだけ躊躇うように視線を彷徨わせ、やがてなにかを決めたのか息を零すように声を出した。


「アイツ、怪我してただろ」
「あぁ、ぶつけたって言ってたよ。案外間抜けなんだね」
「ぶつけた、な。…考えようによっちゃ間違ってねぇけど、アイツがぶつかったのは人の手だ」
「…なにそれ。学校のヤツ?」


自分で言うのもなんだけど、俺が人並み以上にモテるのは知ってる。ファンクラブがどうとかっていうのも聞いたことあるし、自覚がないならよっぽどの馬鹿だ。 だから昨日はそれなりに周りを気にしていたし、今日だってそういう噂がないか気にしていたつもりだ。


「違う」


だからこの答えは想定内。でも、それなら誰が?

そんな問いを口にするよりも先に答えが届くのは、相手が柾輝だからだろう。 付き合いの長さはそんなでもないけど、その密度は濃い。 全てを悟りきったような態度はたまにムカつくけど、そういったマイナスを差し引いてもプラスの面が遥かに勝る。



「――そう。で、なんで柾輝が知ってんの?」
「言ったろ、見てただけの翼よりはちゃんと知ってるってな」
「…ほんのちょっとだとも言ってたけど?」
「ちょっとだぜ」
「ふうん」
「ま、あとはアンタの勝手だ。もう見てるだけじゃねぇんだし俺なんかよりよっぽど行動力もあるだろ?」
「当然。柾輝は精々隠居生活でも楽しみなよ」
「へーへー、頼もしいこった」


ニヤリと口角を上げた後輩に同じく口角を上げて踵を返す。部活開始時間までには片を付けてやろうじゃん。



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