何も知らなければ良かった。もしも振り返ったのが俺じゃなければ、こんなに悩むこともなかっただろう。 薄情だと言われても構わない。そんなもの俺自身が一番よく知っているのだから、今更なにを思うこともない。
俺にとって大切なのは他人よりも自分で、俺は俺の異常な部分を曝け出すのが何よりも怖いのだ。

音のない世界は今日も、臆病な俺を惑わす。




雨惑い
AMADOI



冬晴れが続く今日この頃、気象予報士も先一週間雨は降らないと告げていたので彼女と顔を合わせる機会はある筈もなく、先延ばしにしたところで事態が好転するわけではないとわかっていながらも何処か安堵している俺は、やはりどうしようもなく弱いのだろう。
せめてアレが起こる正確な日時がわかれば手を打つことも可能なのだが、俺の異能に規則性はなく、眩んだ世界で視た映像が過去なのか未来なのかを知る術を持ち合わせてはいないのだ。 …否。通り過ぎて行く世界を知ろうとしなかっただけかもしれないが。


(少なくとも彼女のアレは未来だ。)


それが何日、何ヶ月、何年先の未来なのかはわからない。
ただ、誰もが長袖を着てマフラーを巻いていたこと、彼女も俺も制服姿だったことから、季節は冬。 そして遅くとも高三の冬にはアレが起こるのだと条件を絞ることは出来る。
一番のヒントは右手の怪我だが、もしも彼女があの怪我を負うのがアレが起こる当日、 そうでなくとも彼女が怪我をしてから雨が降らなければ俺と彼女が顔を合わせることはないので俺にはどうしようもない。

抗うことの出来ない未来ではない。―けれど、俺一人では何も出来ないかもしれない。


(話すしかないのか。…でも、)


あと一歩を踏み出す勇気など、俺にある筈もなくて。



そうしている間にも過ぎて行く時間は少しずつ俺を蝕んでいるようで、気が付けば眠れない日が続いていたのだから、 俺にも人並みの良心や繊細さがあったのだと他人事のように思ったりしたのだけれど。


「お前最近顔色悪くね?」
「ちゃんと寝てんの?」


人の目を欺くのはそう難しくはないと思っていたが、この二人に限っては違うようだ。
示し合わせたかのように眉根を寄せる二人に俺はいつも通り息を落とす。


「馬鹿英士。俺も一馬もそんなんじゃ誤魔化されねえぞ」


結人は空気を作るのが上手い。真剣さを孕んだ声に逃げ場がないことを悟った。


「…何があったとか、全部話せなんて言わねえよ。俺だってお前らにも話してないことくらいあるし。 でもやっぱ大事な親友だから、英士がそんな顔してれば力になりたいと思うし、 たとえ何も出来なくても心配しないのなんて無理だ」


一馬の真っ直ぐな言葉はずるい。茶化す隙さえ与えない瞳にいつだって救われているのは俺の方だ。


「…大したことじゃない。―って言っても無駄みたいだね」


一つ、零した息は重苦しい感情を随分と軽くしてくれた。




他人の視線というのは何故こんなにも厄介なのだろう。
意識しないようにしている時点で多少なりとも意識しているということになるが、 向けられる好奇の目や囁きに晒されながら平然としていられる人間の方が稀だろう。

此処が女子校というのも大きく関係しているのだろうが、品定めをするようなそれは決して気分の良いものではない。

いい加減帰ろうか。何度目になるかわからない言葉が脳内を占めた時、―「郭くん?」。 鼓膜を凪いだ声によりその思いも霧散した。


「どうしたのこんなとこで。誰か待ってるなら呼んで来ようか?」


帰宅を共にするのだろう友人の輪から一人抜け出して此方に歩みを進めたさんは、驚きを含みながらもそう告げると問うように首を傾げた。


「いや、その必要はないよ。―さんに用があるんだ」
「わたしに…?」
「急にごめん。都合が悪いなら改める」
「…ううん、平気。ちょっと待ってね」


くるりと背を向けて友人の許へ戻った彼女は、数回言葉を交わすと最後には彼女たちに手を振って再び此方へとやって来た。


「お待たせ。えっと、取り敢えず移動しよっか?」
「そうだね。…駅前にカラオケあったよね」
「…」
さん?」
「いや、ごめん。郭くんの口から出そうにない単語だったからつい」
「俺のこと何だと思ってるの」
「悪い風には思ってないよ。…そう言えば郭くんのとこ授業終わるの早かったんだね」
「今テスト期間だから」
「あ、そうなんだ。うちは来週からだよ」


他愛もない会話を交わしながら辿り着いた店で受付を彼女に任せ、宛がわれた部屋に入るとソファに座るや否やさんは楽しそうに口角を上げて、


「なに歌う?」


悪戯に光る双眸に返す言葉もない。


「ごめんごめん、冗談だよ。…それで、どうしたの?」


部屋の明かりは落としたまま、手慣れたようにデンモクを弄る彼女はどうやら俺が人に聞かれたくない話をする為に此処に来たことを汲み取ってくれているようだ。

真面目な話をする時、真っ直ぐに見つめられては口を割り難いこともある。彼女と俺の関係では尚更だ。
スピーカーから彼女が選曲した音楽が流れると、彼女は会話が可能なまでにボリュームを落とし、 続けて幾つかの曲を予約する作業に戻る。 繰り返される動作を視界に収めながら、俺は漸く声を絞り出した。


「可笑しな話をするけど、まずは何も言わず聞いて欲しい」


視線は向けられないものの沈黙を肯定と受け取って更に言葉を紡ぐ。


「この先、さんが右手に包帯を巻くような怪我をすることがあったら必ず俺に教えて欲しい。 …怪我をすることがなくても、雨の日に……いや、雨じゃなくても、俺を追い掛けるのは止めて欲しいんだ」


そこで一旦口を噤めば、漸く此方を向いた彼女がゆっくりを口を開く。


「追い掛けるなって言うのは、話し掛けるなって意味?」
「…そうじゃない。本当はその方が良いのかもしれないけど」
「……。郭くんがわたしを嫌いになったわけじゃないんだね」


しっかりと頷けば、さんはゆるりと目じりを下げた。


「…うん。わかった。じゃあ取り敢えず連絡先交換しとけば良いのかな?」
「……それだけ?」
「え?」
「何で突然こんなこと言うの とか、ないの?」
「不思議だな、とは思うよ。でも、郭くんは必要のないことは言わない人だと思うから」
「……」
「…それにね、郭くんって昔会った男の子に似てるの」

「―で、郭くんなに歌う?」




ヒカリ

(お願いだから消えないで)




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