夢をみる。繰り返し、繰り返し。視界を埋める傘、傘、傘。 右に左に流れる内に揺れる一つの傘に焦点が合う。距離を埋めるつもりなのか、流れて行く景色の速度が増した。 突如、映像がぶれる。人にぶつかったのだろう。その拍子に何か落としたのか、映り込んで来た右手が地面に伸びた。 そして再び傘を追う。あと少し、もう少し、点滅する信号。 一瞬止まるも、右に動いた映像がすぐに追っていた背中に戻り、流れる景色、 伸ばした両手が目の前の背中を突き飛ばす。回る、回る、――、




雨惑い
AMADOI



「何か悩んでんの?」


唐突だった。行儀悪く音を立てて吸い上げていたストローから口を放し、
まるで今日の天気の話をするかのように軽い口調で結人は言う。


「一人で考えてたってどーにもなんねえんだから行動あるのみだぜー」
「…何なの急に」
「結人センセーのありがたーいお言葉。ここんとこ英士何か悶々としてっから」
「別にいつも通でしょ」
「かじゅまは誤魔化せても俺は誤魔化せまっせーん。ま、この調子だとあいつが気付くのも近いか」


ちらりと視線を通路にやったのは恐らく一馬が戻って来ていないのを確かめたのだろう。 がりがりとストローで氷をかき回していた手を止め、真っ直ぐに俺を見据えた眼に宿る色は読めない。


「結局さ、出来る出来ない じゃなくて、やるかやらないか だから」


目の前の男が酷く大人びて見えた。
妙な感覚に侵されている内に結人はテーブルの上の携帯を掴み、開いたそれに目を落とす。


「あ!結人てめ俺のオニポテ食っただろ…!」
「人聞き悪ぃな何で俺だって決め付けてんだよ」
「英士はまだ食い終わってねーじゃん」
「俺に罪はない。オニポテが結人クン食べてって言うから従ったまでだ」
「うざ」
「てっめかじゅまのくせに可愛くねーな…!」
「うざ」
「かっちーん」


一馬が戻って来た途端いつもの顔で騒ぎ出す結人が手放した携帯にそっと視線をやる。 オレンジ色のボディには複数の細かな傷跡があり、照明に反射して鈍く光った。


(…白い花。)


この角度からでは見えないが、気分屋の結人が夏が過ぎた頃からずっと同じ待ち受けにしているのは知っている。 らしくないそれを周囲に指摘される度に「モテるおまじない」だと笑い飛ばしているのも、知っている。

知っているからといって、何をするわけでもないけれど。



「あ、」


頭上から降る声は目の前で騒ぐ親友の声に負ける声量ではあったものの、すとん と俺の中に響いて溶けた。
知らないものであれば特に反応を示さないのが常だが、憶えがあるものだった為に斜めに首を動かす。

かちりとぶつかった視線。声の主である彼女はぱちぱちと睫毛を揺らしながら俺を見下ろし、 けれど注がれる視線の数に気付いたのか慌てたようにぱちんと手のひらで口に蓋をする。


「こんにちは」
「……こんにちは。ごめん、つい、」
「何々英士の知り合い?てかその制服女子校のじゃん。あそこ顔面偏差値高いって聞くけどまじ?」
「え?」
「相手にしなくて良いから」
「お前いつの間に知り合ってんだよー。そーゆーのは俺らに知らせろっての。なあ一馬!」
「別に」
「エリカ様か!」


一度弾ませると止まらない、スーパーボールのような言葉の数々に初対面である彼女が慣れている筈もなく、 質問を投げておきながら答えを待つこともなく既に別の話題へと移っている結人を戸惑いで揺れる双眸に映し、 その隣で絡まれている一馬へと流れ。そうしてゆらゆらと泳いだ視線はやがてゆっくりと俺とぶつかって止まる。


「放っといて良いよ。喋りたいだけ喋ったら止まるから」
「…仲良いんだね」
「そう見える?」
「うん。友達と居たのに声掛けちゃってごめんね。こんな所で会うとは思わなかったからびっくりしちゃって」
「気にしてない」
「ありがとう」


言葉通り特に気にはしていないので告げれば、何が嬉しいのか彼女は笑う。
―ああ、変わらないな。敬語を使っていた初対面の時を除き、俺に対する彼女の態度は常に一貫している。

恐らくさんは、俺の異能に気付くとまではいかずとも違和感は抱いているだろう。
彼女は俺が白昼夢に堕ちる場に数回居合わせているし、不可解な発言をしたこともあるのだから仕方がない。
けれど彼女は変わらない。その瞬間は眉を寄せることはあっても、暫くすれば何事もなかったかのように振る舞うのだ。

それは心地良い、無関心

所詮雨の日に顔を合わせれば言葉を交わすだけの関係など些細な事で当たり前のように他人に戻り、 重なった時間に感じた微かな違和感などすぐに記憶の海に溺れるだろう。
…だからこれで良い。通り過ぎて行くだけの関係のまま、当たり障りのない会話をしていれば良い、のに。


(……、なんで、あんなモノ視たんだ。)


揺れる傘、横断歩道、点滅する信号、流れる景色、廻る、廻る、


「友達来るまでに席取っとかなきゃだから行くね。お邪魔しました」
「―さんッ、」
「うん?」


告げるべきか、告げないべきか。――一体ナニを?
数分前に口を塞いでいた彼女の右手に肌の色を遮る物など何もなかったし、天気予報も当分雨の心配はないと報せていたじゃないか。


「郭くん?」


彼女の背中を咄嗟に引き留めた唇は、結局それ以上を繋ぐことは出来なくて、


「……。…今度は雨の日に」
「うん、またね」


声を殺すのは何度目だろう。随分昔に数えることすら億劫になったけれど、
何度も何度も殺している内にわからなくなってしまったんだ。


「英士?」


彼女を呼び止める際に声を張ったからか、心配性の親友が確かめるように俺の名を呟く。


「なあもう食わないならそれもらってい?」


淀んだ空気を払拭するかのように、空気を読むのに長けた親友がいつも通りのトーンで言う。


「結人にやるくらいなら一馬に食べてもらう」
「依怙贔屓はんたーい」
「それ意味わかって言ってる?」
「つかお前さっき俺のも食っただろ」
「さっきはさっき今は今!」
「うざ」


流れる景色、回る、廻る―、

吐き捨てた息とともに自動再生を繰り返す映像も捨ててしまえれば良いのに。
そう出来ないのは、切断される間際にぶつかった漆黒の所為だ。


きっと俺は、この感情を持て余している。




メビウスの輪上で踊る

(アレは確かに俺だった)




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