蹲りたくなる衝動を抱えて過ごす日々は最早俺にとって当たり前でしかなく、 突如世界が眩んでも立ち眩みがしたと嘯けば周囲はすぐに納得をした。 俺は俺の異能を他人に理解させることは元より、打ち明けようとすら考えていない。 人は大多数とは異なるモノを好まないと幼いながらに勘付いていたし、 怯えも憐れみも、もしかしたら与えられるかもしれない優しささえ煩わしく思えてならなかった。 そして何より、近しいと思っている人達が俺の異能を知って遠ざかる現実に俺自身が耐えられないだろうと悟っていたのかもしれない。
雨惑い
AMADOI 「この前お前んとこの駅で何か事件あったんだろ?」 気遣うでも愉しむでもなく、いつもと何ら変わらないトーンで口にした柔らかな茶髪の友人に対し、黒髪の友人はどこか不安気に眉を寄せて視線で答えを促すように俺を見る。 我ながら随分と毛色の異なる二人を所謂親友とやらに持ったものだ。 ふとした時に思うが、きっと目の前の二人も似たようなものだろう。 「もしもーし、英士くーん?人が質問してんのに自分の世界に入るの止めてくださーい」 「別にちょっと考え事してただけでしょ」 「どうだか」 「…興味本位の結人はともかく一馬は心配してくれてたみたいだね」 「だってあの時間じゃ英士が居合わせてても可笑しくねえだろ」 「ご明察。でも俺はもう改札出てたからこれと言って特に結人を楽しませるような話は持ち合わせてないよ」 「何も言ってねえだろ」 「どうだか」 先程の結人を真似れば、ふっと一馬が笑う。 一瞬だけ不満気な表情を作った結人が破顔した時には恐らく俺の口許もひっそりと弓を引いていただろう。 俺達を結ぶものを知らない他人の目には異色な組み合わせに映ることが多いようだが 互いの相違点については当事者である俺達こそがよく知っていて、 だからこそそれぞれの空気をどう混ぜ合わせれば自然体でいられるかを誰よりもよく理解していた。 異国の地にいる従兄が加わればまた少し変わってもくるが、呼吸するように互いを想うのは変わらない。 ―だからこそ、言うべきではないのだ。 信頼と秘密の共有はイコールではない。洗い浚い全て打ち明ける関係を築くことなど不可能な話。 大切だからこそ一線を引くべきであり、引いていて欲しいと思う。 もしも俺が俺の意思とは関係なく彼らの秘密を他人に洩らしてしまったらと思うと背筋が凍るのだ。 当人は堅く閉ざしたつもりでいても知らぬ間に洩れてしまうことだってあるのだから、 心から信頼している相手と言えど他人に知られたくないことは告げるべきではなく、自分の中だけに仕舞っておくのが得策だろう。 俺の世界は他人に比べれば限りなく狭いものだと思うが、それでも俺にとっては限りなく広く、 いつだって俺はこのちっぽけな世界を護ることで精一杯だ。 だから都合の悪いことからは目を逸らすし、平然と聞こえないふりを貫く。 そうして俺は視たものを見なかったことにして幾度となく声を殺した。 何故なら、俺の異能は時に誰かを救う術に繋がるかもしれないが、決して俺を救ってなどくれないと知っているから。 「久しぶりだね」 降る声は雨粒のように弾け、傘を伝って俺に届いた。 顔を上げれば予想通りの人物が俺を見下ろしていたが、予想外の姿に俺はそっと眉を寄せる。 「修行がしたいなら雨より滝に打たれた方が良いと思うけど」 「…郭くんってやっぱり面白いね」 くしゃりと顔を歪ませた彼女に何を言うでもなく立ち上がり傘を傾けるも、彼女がそっと身を引いたことにより意味を成さない。 俺はまた眉を寄せて、俺よりも低い位置にある顔をじっと眺める。 「…風邪引きたいの?」 「まさか」 「同じ傘に入るのに抵抗があるなら、」 「違うよ」 「……」 「…ごめん、気にしないで」 「目の前で知り合いがずぶ濡れになってるのに平然としていられる程薄情な人間に見える?」 「…ずるいなあ、」 「放っておいて欲しいなら最初から声なんて掛けなきゃ良かったでしょ」 「……ん、ごめん」 「……。行くよ」 傘を持つのとは反対の手で彼女の手首を掴み、雨を凌ぐ物を持たない彼女を屋根の下へと連れ込んで再び足を止めれば、 振り返った先の彼女は何を言うでもなくぽたぽたと水を滴らせながら虚ろな目で空を見上げていた。 しとしと、ととと、雨粒が屋根を跳ねる。 俺は白い息を吐くと同時に冷たい手首から手を放し、軽く水気を飛ばす動作をしてから傘を畳む。 (止みそうにないな。) 午後から急に降り出した雨に成す術のない人は多くいたものの、多くは止む様子のない雨に大人しく傘を購入するなりをして凌いでいた筈だ。 夏場ならまだしもこの寒い時期に誰が好んで冷たい雨に打たれるものか。 だから、今俺の横に立っている彼女は紛う方ない少数派なのだろう。 「タオル持ってる?ないなら貸すけど」 「…」 「風邪引きたいわけじゃないなら大人しく使っておいた方が良いんじゃない」 「…、―なんで」 「え?」 「なんで、さっきあそこにいたの」 「…どういう意味」 「どうしてあそこでしゃがみ込んでたの?郭くんは、知ってるの?」 ぽつりぽつり、落ちる声は微かに震えていて、空を見上げたままの彼女は決して此方を見ようとはしない。 「……悪いけど、何の話かわからない。俺はただ靴紐が解けたから結び直してただけだよ」 弾けるように此方を見た彼女の唇が何かを象ろうと動き、音を成さずに噤まれる。 そうしてゆるゆると落ちた視線は暫くアスファルトに縫い止められ、ゆっくりと顔を上げた時には困ったように顔を歪ませていた。 「急に変なこと言ってごめんね?」 「さんが変なのは今に始まったことじゃないでしょ」 「あれ?わたしそんなに変なことしてたっけ?」 「日頃突拍子もないことを言ってる自覚はないんだ?」 「普通にしてるつもりなんだけどなあ」 「…何にしてもいい加減拭きなよ」 「ん?、あ、うん。傘買ってくるね」 「……言ったそばからそれ?」 ほら、突拍子もない。 呆れたように息を落とすも、さんは首を傾げるだけで特に気にした素振りもない。 誰にでも触れて欲しくないことはあるし、況してや俺と彼女はただの知り合いでしかないんだから彼女が言わないと決めたのなら深追いするつもりは毛頭ない。 何より今の俺にとって気になることと言えば逸らされた話の内容よりも目の前にいる濡れ鼠なのだから。 だけど、まるで彼女は俺から距離を置くように一歩下がり、張り付いた前髪をそっと分けるように俺の視線から逃れた。 「最初から駅を出たら傘買うつもりだったの。電車に乗るまでは友達に入れてもらってたから」 「…そう。買いに行くにしてもそのまま行ったら余計濡れるよ」 「今更だもん」 「店の人も驚くと思うけど。というか、店内が濡れて迷惑なんじゃない」 「仕事の内だと思ってくれるんじゃない?」 「、…」 「郭くん」 「今日、会わなかったことにしよう」 俺の声を遮るように雨音を掻き分けた俺の名に次いで淡々と響く声は静かだが決して聞かなかったことにはさせてくれそうにない音を孕んでいた。 相変わらず視線を交えることを許さない彼女の表情は読めず、 ただ、唇だけは作りもの染みた笑みを象っていて、 それこそが正に拒絶を表しているのだと気付けない程鈍い頭は持ち合わせていないから、 降り頻る雨の中に飛び込んで行く彼女の背に何一つ言葉を投げることはしなかった。 (触れた温度は消えないけれど) |