銃弾のように落ちてくる大粒の雨がぶつかるもの全てを撃ち抜いて、 空を塞ぐ黒い塊は世界に色を与えない。 (そろそろ、かな。) 目を細め見上げた空が刹那、カッと光り、次いで鼓膜を殴るような音を爆発させた。 駅前は迎えの車やタクシーを捕まえる人で混雑し、少し先のロータリーも同じく屋根に納まりきらない列が長く延びている。 悲鳴が聞こえたのは、そんな時だ。
雨惑い
AMADOI どっと溢れるように駅のホームから人が、まるで逃げるように改札の外へ走って来る。 情報が少ないながらも感情は伝染し、視界に映る人はみな恐怖や焦燥に彩られて 混ざり合う声は最早雑音でしかないがそれでも拾った言葉を繋いでみると、どうやらホームで見るに堪えない事件が起こったようだ。 人の波に呑み込まれながら周囲を見渡していると、不意に知っている顔が飛び込んできた。―「さん?」。彼女だ。 紺色のブレザーに水色ストライプの傘。しっかりと首に巻いてあっただろう白いマフラーは今にも外れ地面に落ちてしまいそうだ。 彼女は人の流れに逆らうようにホームに戻ろうとしては人にぶつかり、終に衝撃に耐えられずぐらりとその場に崩れた。 俺は何とか彼女の許まで辿り着くと、すぐに彼女の腕を取り立ち上がらせる。 「何やってるの」 「、郭くん…、」 「危ないから向こう行くよ」 「…うん、郭くんはそうして」 「さんもって意味なんだけど」 「うん。でも戻らなきゃ」 「何で?」 「落としちゃったの」 「…何を?」 「大切なもの」 彼女は困ったようにくしゃりと顔を歪ませ、再びホームに向かおうと動き出す。 俺はあからさまに溜息を吐いて、掴んだままの手に力を入れた。 「仕方ないね」 「え?」 「一人じゃまた転ぶだけでしょ」 腕から手首へと場所を変え先導するように先を行く。 ガランとしたホームでは奥の方で数人の駅員と一人の男が揉み合うように騒ぎ立てていて眉を顰めたが、 どうやら彼女の目的はすぐ傍で片が付いたようだ。 「ありがとう。危ないから戻ろう?」 さっと拾い上げた何かを素早くポケットに忍ばせ、彼女は俺の注意を引くようにそっと腕を取る。 先程とは逆だなと思いながらやはり異論はないので頷いて踵を返した。けれど、 「、ッ!」 駅員の手を逃れ駆けて来たのだろう、 乱れた髪の男が彼女に手を伸ばすのを視界の隅に捉え、とっさに身体が動いた。 他から見れば庇うように彼女の肩を強く引き、反動で自分の身体を男が飛び込んで来た方へ出す。 ぶつかった瞳は激しく揺れ、襲い来る衝撃とともにぷっつりと音は消えるのだ。 (ここは……、ホーム?) 人は疎らで、誰もが水の滴る傘を持ち厚着をしている。 ゆっくりと動いた映像は電光掲示板を映すがびくりと揺れ、すぐに空を映し出す。 真っ黒い雲が一瞬光っていたことから推測して、どうやら大きな雷が鳴ったのだろう。 映像はそのまま暫く空を映し、次いで右側から入って来た電車へと焦点を絞る。 目の前で扉が開き中から人が降りて来て、次の瞬間、真横を通り過ぎようとしていた女性がぐらりと倒れ掛かって来た。 女性の顔から徐々に下がる映像がコートの間、 白いシャツに突き刺さるナイフ、広がって行く赤を映し、乱れる。 真っ直ぐに此方を見る帽子を目深に被った男の口許が弓形に歪み、大きく何かを叫ぶように動く。 その後の映像は更に激しく乱れるが、途切れる直前に視たのは、鈍く光るナイフに映る、戸惑いに揺れる男の顔 「郭くんっ…!」 泣きそうな声に塞いでいた視界を広げ、声と同じく泣きそうな彼女の顔を映す。―「…大丈夫?」。 問いかければぐにゃり、歪んだ顔は距離が近いにも関わらず大きな声を浴びせた。 「それはこっちの台詞だよ!…でも、良かった」 ほっとしたように肩を下ろす彼女の上から別の声が落ちたので顔を上げれば、 どうやらいつの間にか駆け付けていたらしい警官と、 先程男と揉み合っていた内の一人だと思われる駅員が此方を見下ろしていたので大丈夫だと言う旨を伝え、 未だ泣きそうに瞳を揺らす彼女を見る。 さて、俺の世界が眩んでいる間に何がどうなったのか。 「さっきの男は?」 「郭くんにぶつかった後、すぐに警察の人が来て取り押さえられたの。今はもう連れて行かれたからここにはいないよ」 「…そう。その男の人、何か言ってた?」 問えば彼女はこくりと頷く。 「自分じゃない って。やったのは帽子を被った別の男だ って」 「さんは事件があった時ホームにいたんだよね」 何か見た? 暗に含ませれば彼女は首を横に振る。 「気付いたらもう人に呑まれてて…」 「そう」 俺が視たアレは数分前にこの場所で起こった事件のもので間違いないだろう。 そしてアレは犯人だと疑われている男が見た映像だ。 突き飛ばされ座り込んだ状態のままだった身体を持ち上げしっかりと立ち上がると、まずは近くにいる駅員へ声を掛ける。 「さっきの男が犯人なんですか?」 「え?ああ、そうみたいだよ」 「目撃者は?」 「どうかなあ…?近くにいた人は逃げちゃったから…。まあ、今頃警察が聞き込みを始めてるだろうけど」 「あなたはその時どこにいたんですか?」 「割と近くにいたんだ。でも叫び声がするまで何も気付かなくて、声がした方に慌てて駆け寄ったらあの男が、ね…」 「近くに他の人はいましたか?」 「いや、さっきも言ったけど叫び声を聞いてみんな逃げ出したからね。流れに逆らって近付いたのは私や仲間の駅員くらいだよ」 「…そうですか。ありがとうございました」 告げて駅員から離れ、此方を窺っていた彼女の許へ戻る。 彼女は不思議そうに俺を見上げ、口を開こうとして、閉じた。 「行こう」 「…うん」 用は済んだ。何より俺たちがこの場にいては邪魔だろう。 ホームから出ると先程よりは落ち着きを取り戻した人々でごった返していて、中には聞き込みをしている警察官の姿も見られる。 俺は素早く視線を泳がせ帽子を被った男の姿がないか探す。 (…ま、そう見つからないか。) 俺が犯人なら帽子は脱ぐし、そもそも俺がこんなことをしなくても目撃情報や監視カメラの映像なんかで直に真犯人が明らかにされるだろう。 疑われている男の心中は穏やかではないだろうが、日本の警察の働きに期待して暫く我慢すれば良いだけの話だ。 (視たからと言って、コレの説明なんて出来る筈もないし。) 仕方のないことだ。割り切って過ごす以外に方法はない。 良心が痛むかと問われてもそんなものとっくに麻痺している俺には答えようもないのだから。 「違うと思う」 ぽつり、落ちる声に隣を見る。 「さっきの人、すごく必死だったの。きっと犯人なんかじゃないと思う」 「誰だって捕まらないように必死になるんじゃない?」 「…うん。でもね、郭くんを突き飛ばした時、あの人咄嗟に手を伸ばしたんだよ。…多分、倒れないように引っ張ろうとしたんじゃないかな」 「俺が見た時はさんを捕まえようとしてるみたいだったけど?」 「それは、…まあ、逃げるのに人質的なものが欲しかったの、かな?」 「犯人じゃないのに?」 「捕まったら終わりって思ったのかも。ほら、痴漢だと疑われたら逃げるしかないって言うし」 「……そう」 選りにも選ってその例え。―でも、確かに彼女の言う通りかもしれない。 自分が犯人でないことは男が一番よくわかっているとしても、不安や恐怖に侵された状態であればどんな行動に走っても可笑しくはない。 ふと、視界に一人の男が映り込む。 帽子を被ってこそいないが、服装や背格好からしてあの時視た男と酷似しているのだ。 「―さん」 静かに名を呼ぶと、考えるように視線を落としていた彼女の双眸にしっかりと俺が映った。 「あそこで新聞読んでる男、見える?」 「え?うん」 「さんが本当にさっきの男は犯人じゃないと思うなら、事件が起こった時あの男が容疑者の傍にいたって警察に言うと良いよ」 俺の言葉を理解したのか、彼女の瞳は戸惑うように揺れる。 そうして何か言おうと口を開いて、閉じて、―「わかった」。と頷くのだ。 早速聞き込み中の警官の許へ向かう彼女を眺めながら一つ、息を落とす。 目撃者には当然話を聞く筈で、後は証言の中から警察が何かを見抜けば良いだけだ。 これ以上は本当に俺には関係ない。 どろりと脳を侵す映像など早く消してしまおうと目を閉じれば、フラッシュバックのように瞬く、眩んだ世界で視た――、 「郭くん?」 どうかしたの…? いつの間にか戻って来ていた彼女の、気遣うような声。 俺は乱れた呼吸を整えながら何でもないと首を振る。 「……なら、良いんだけど、」 「それよりどうだった?」 「あ、うん。話を聞いてみるって」 「そう。じゃあ用も済んだし早く行こう」 万が一にも真犯人である男に気付かれては面倒だし、情報提供者である彼女に危害を加えられては堪らない。 相変わらずどんよりと暗い空からは銃弾のように雨が降り、音と言う音を吸い込むように大粒の滴が傘を撃つ。 「郭くんは、――」 雨音に紛れぽつり、響いた声は、けれどその先を俺の鼓膜まで運ぼうとはしなかった。 (だから何も聞こえない) |