身体を強く打ち付ける衝撃に短い息が逃げた。 一体なにが起こったのか、自分はどうなったのか。 じくじくとした痛みは熱となり神経を伝うが、それ以外は酷く冷たい。 頬を叩く雨粒に呆然とするも、手首に感じる痛みとは異なる熱にはっとして身体を起こした。――そうだ、
雨惑い
AMADOI 「さん!」 アスファルトに倒れ込む際に咄嗟の判断で身体を横にずらしたので彼女を下敷きにすることは避けられたが、 正面から倒れた俺とは違い後ろに倒れた彼女は衝撃を和らげるべく手を付くことも儘ならなかった筈だ。 「大丈夫 起きられる?頭打ってない?」 矢継ぎ早に告げるも彼女は答えない。 サァ、と身体中の熱が引いて行く感覚に息が止まる。―「さ、」 情けなく震えた声が届いたのかはわからないが、冷たいアスファルトに倒れていた彼女がゆっくりと起き上がった。 「!ッ良かったさん。何処か痛いところは」 ある? と続ける筈だった言葉は彼女に名を呼ばれたことで途切れる。 あの時、彼女を突き飛ばした俺の手を掴み引き寄せたさんの手は、俺が起き上がった時に解け今は力なく冷たいアスファルトに触れている。 「郭くんは、最初からこうするつもりだったの」 それは、感情を削ぎ取ったような、声 俯いている為表情は読めず、俺達を気遣う周囲の声などまるで聞こえていないように、彼女は俺に向けて淡々と同じ言葉を呟いた。 「最初からこうするつもりだったの」 「…さん?」 「自分から飛び込んで、危ないってわかってるのになんで、―何で?」 ぞっとする程に冷えた声は身体の内部から熱を奪う。 けれど、俺が目を瞠ったのは彼女らしくない声音が原因ではなく、……彼女が抱いただろう想いに気付いてしまったから。 目を伏せたのは、きっと少しでも逃れたかったから。 「……。そうしなかったらさんが大怪我してたかもしれないし、もしかしたら、」 口にするのは憚られ語尾を濁す、刹那、首許の圧迫感に堪らず視線を持ち上げた。 (ッ、) ぶつかったのはギラギラと鋭く光る、 「死んじゃうかもしれなかったんだよッ…!」 ――それは正に、咆哮。 両手で胸倉を掴み上げ声を荒げるさんに俺は何の抵抗も出来ず、ただただ瞬きを忘れた双眸に彼女の表情を焼き付ける。 彼女が放つ言葉以外の音は全て膜を張ったように、遠い。 「自分を犠牲にして助けられたって何にも嬉しくない!わたしを庇った所為で郭くんに何かあったら、…死んじゃったら、一生忘れられないんだよ。ずっとずっと引きずるんだよ。―そんなの、助けたって言わない…! 助けたいって思ったなら、思ってくれたなら、ちゃんと助けてよ。助かって良かったねって、ちゃんと一緒に笑ってよ!!」 肩で息をするさんはやがて力なく、縋るように額を両手に押し当てて黙り込む。 首許の圧迫感など疾うに緩んでいた。 「…」 眩んだ世界では俺はいつだって主役であり傍観者だ。 俺の異能は触れた人の過去ないし未来をその人物の目線で視ること。相手も時も無差別で選ぶことなど出来はしない。 映す映像が重なるだけなので音の無い世界で何かに干渉することは不可能。 ただ、視るだけの存在。本来あってはならない存在。 当たり前だが目線を重ねても心を重ねることは出来ないので、同じ行動をしても思考は別だ。 だから、猛スピードで迫って来る車に気付いて慌てて飛び出したさんに、どうして と思った。 自分と他人なら大事なのは自分。況して命に係わる状況なら尚更天秤は自分に傾く筈。 俺はそういう考えの持ち主だから、他人を庇って危険に飛び込んだ彼女の行動が解らなかった。 そして、突き飛ばした人物が誰か知った時、何で と思った。 彼女が追い掛けていた背中が郭英士だなんて気付かなかった。 自分の後ろ姿なんてそう見る機会もないのだから、振り返るまでわからなかった。 さんが身を呈して庇った他人が他でもない俺だと理解して、何としてでも止めさせなければならないと思った。 望まぬ未来を回避する術は?俺はどう動くべき?最善の選択は? 考えても考えてもわからなくて、見つからなくて。だから俺は、選んだんだ―― 轢かれたくなんてなかった。死にたくなんてない。だけど。 (俺を庇った所為で誰かが傷付くなら、さんの未来が断たれる恐れがあるなら、だったら俺が……。) ―他人であるさんより、自分を。 雨に濡れてぺたんこになった彼女の髪に目を落とす。 小さくなった身体が震えているのは雨に熱を奪われたからか、それとも泣いているからか、 「……さん、」 こつん、冷たい髪に額を押し当て呟くも、ふるふると頭は小さく揺れるのみ。 「さん、…さん。ねえ、顔上げて?」 「…や。やだ、やだ…っ、や、」 むずかるように力なく髪を揺らし同じ言葉を繰り返すさんに、お願いだからと繰り返し呼び掛ける。 段々と高くなるサイレンの音にきつく唇を噛んだ。 「じゃあそのまま聞いて。……、怖かったんだ。これ以上何かに囚われるのは嫌だった。 普通じゃない俺が普通でいられるちっぽけな世界を護りたかった。…、壊れるなら自分が消える方がマシだって、…最低だ」 彼女が言った通りなのだ。 もしも俺を庇った所為でさんに一生消えない傷を負わせたら、命を落としたら、俺はそれを一生引きずって生きて行く。 親友と笑っている時でさえ頭の片隅に佇む負の感情は一つだって重いのに、押し潰されてしまいそうなのに、 それならいっそ逃げてしまおうと思った。 咄嗟に動いた彼女と考えて選んだ俺とでは、違う。彼女を助けようと伸ばした手は俺自身を助ける手で、 立場が逆になれば今度は彼女が辛く苦しい感情に押し潰されるとわかっていたのに、気付かないふりをした。 「…」 俺の話に耳を傾けている間に落ち着いたのか小さな身体の震えは止まっていて、 静かに身じろいだ彼女にぽつり、落とす声は酷く弱く、 「―ごめん。」 溢れ出す感情がぼろぼろと零れるのを止めるなんてもう無理だ。 「……ばか、」 鼓膜を凪いだ掠れた声に彼女の髪に押し当てていた額をそっと持ち上げれば、 次いでゆっくりと顔を上げたさんの視線と重なる。 薄く開いた唇が何か紡ごうと息を吸って、 「郭くんの予報、外れたね」 アスファルトに転がった傘を撃つ雨粒は既にない。けれど、彼女の上に雨は降る。 真っ赤になった瞳をやわらかく細めたさんに、熱を取り戻した両腕を回した。 (しとしと、しとと) |