蹲りたくなる衝動を抱え、目を塞いで生きてきた。




雨惑い
AMADOI



しとしと、しとと、雨粒が傘に弾む。
駅から出て暫く、緩やかに速度を落とした両足はそのまま歩みを止め、
何の変哲もないガードレールに手を伸ばした。


(きっと此処で…、)


以前びしょ濡れの彼女に声を掛けられたこの場所には、月に一度決まった日に小さな花が添えられる。
忙しなく歩いて行く通行人は目もくれない存在。
視界に入り込んでもすぐに逸らしてしまうような存在。


「ありがとう」


囁いて歩き出す。きっともう、この場所で俺が足を止めることはないだろう。



しとしと、ととと、雨粒が傘に弾む。
横断歩道を渡りロータリーでバスを待つ列の最後尾に並べば、とん と肩を叩かれた。


「あ、やっぱり郭くんだった」
「…振り向かせておいて別人だったらどうするの」
「埃が付いてましたよって言う?」


楽しそうに声を弾ませるさんに息を落とすも彼女は気にする素振りもなく閉じた傘に留め具を回している。
右手にはもう、肌の色を遮る布は巻かれていない。


「怪我の具合は?」
「え?…ああ、擦り傷とか痣とか時々痛いけど、でもその内消えるから大丈夫」
「そう」
「わたしより郭くんのが心配だなー」
「…何が?」
「だって郭くん色白いから痣とか絶対目立つでしょう?綺麗な肌なのに勿体ないよ」
「……女子じゃないんだけど」
「知ってる知ってる」


ぷしゅう、音を立てて停まった車体にゆっくりと列が動き出す。
何か言ってやろうと開いた口を仕方なく閉じて流れを乱さぬよう前を向き歩き出した俺の足は、 けれど意思とは別にそれ以上動くことが叶わずに。

吸い取られるように遠ざかって行く音を合図に、俺は今日も世界から切り取られる。





「――、…」
「あ、お帰り」


塞いでいた視界を広げ焦点を合わせる。 役目を取り戻した聴覚がまず最初に拾った音は気の抜けるような声で、 俺の顔を覗き込むように隣に並んでいたさんは確かめるように顔の前でひらひらと手を振った。


「…どれくらいだった?」
「うーん、郭くんの睫毛の本数が数え終わらないくらい?」
「俺にも解る言葉で話して」
「そんなに長くなかったよ」


蹲りたくなる衝撃を抱え、目を塞いで生きてきた。
堕ちて行く感覚に慣れることなど一生ないし、視てしまった映像は繰り返し繰り返し喉を焼くだろう。


「次のバスまで座ってよう?」


一足先にベンチに腰掛けた彼女が目線で俺を促す。
返事の代わりに隣に腰を下ろし時間を確かめるべく携帯を開くも、静かに注がれる視線に気付いて斜めに首を動かした。


「なに?」
「……飴食べる?」
「いつも持ってるよね。好きなの?」
「まあ便利だし」


質問の答えとして如何なものか。じわりと白く滲んだ視界はすぐ元に戻った。

膝に載せた鞄を開きごそごそと中を漁る彼女に今度は俺が視線を注ぐ。
彼女は訊かない。何故俺が立ち止まったのか。呼び掛けても応えなくなったのか。
――眩んだ世界で、何を視たのか。
何の前触れもなく動きを止めた俺が意識を戻すまでの間 白昼夢に囚われていたことに気付いているからこそ、彼女は何も訊かないのだろう。

それは心地良い無関心。

何事もなかったかのように振る舞うさんは、けれども何気なく向ける視線の中に俺への気遣いの色を滲ませていて、


「郭くん手出して。…はい。確かこれが好きなんだよね?」


俺の異能は決して俺を救ってはくれない。
この先も俺はこの力に惑わされ、何度も何度も消えてしまいたくなるだろう。

じりじりと俺を侵す恐怖に打ち勝つ日などきっと来ない。


(―でも、それでいい。)


俺が俺の異能を恐れている限り、コレに溺れてしまうことはないのだから。


さん」
「ん?」


袋の中から掬い上げた黄緑とオレンジを俺の手のひらに転がして離れて行こうとしたさんの手をきゅっと握る。
目を合わせれば不思議そうに首を傾げた彼女に、俺はゆっくりと唇を開くのだ。


「好きだよ」




甘く伝う

(やがてじわりと溶けるよう、)




12 |top