怪我が治るまでは天気に関係なくバスを利用するようになった彼女とは必然的に顔を合わせることになり、 約束をしたわけではないが駅からの帰路を共にしたのは三回。
休日を入れればあの日から既に五日が過ぎ、彼女の右手には未だ白い包帯が巻かれている。


(…くる、)


しとしと、ととと、雨粒が屋根を跳ねる。
ほろほろと零れ出した雨がアスファルトに恋い焦がれ、繰り返し繰り返し抱擁を求めては消えて行く。

痛いと言ったのは彼女だったろうか。冬の雨は痛いのだと、いつか彼女が言っていた。




雨惑い
AMADOI



「もうすぐ進級かー」
「出来るの?」
「留年するようなことしてないもん」
「ふうん」


憎まれ口を軽く流すさんに自販機が吐き出したココアを渡す。
紺色のブレザーの袖口から覗くグレーのカーディガンに指を隠すようにして受け取った彼女に白い息が零れた。


「ネコッテ?」
「そう。更に言えば猫舌です」


苦々しく顔を顰めプルタブに指を引っ掛ければ、忙しそうに湯気が上がる飲み口に息を吹きかける彼女を横目に今度は別のボタンを押す。


「冷たいのの方が良かった?」


全てを話したわけではないが、人とは異なる能力を持っていると告げたのはさんが初めてだ。
一生口にするつもりはなかったし、この先彼女以外に話すこともないだろう。
何故ならコレは、俺を育ててくれた両親にも、俺に様々なものを与えてくれた従兄にも、 俺と並んで歩いてくれる親友にも、決して洩らすまいとしていた最大の秘密。

大切だからこそ言えなかった。怖かった。
彼らへの信頼に嘘はないが、人とは異なるモノである俺が他人に受け入れてもらえるとは到底思えなかった。 …俺自身、受け入れられないのだ。
俺がこの力を恐れているのに、俺以外の誰かが恐怖を抱かない筈がない。

囚われて、奪われて、そうしていつか、人ではないナニカになってしまうのではないかと、心の何処かでいつも怯えているのだ。


「イジメ、カッコ悪い」


だから、本当は今も怖い。


「なに、標語?」
「うん。郭くんと言うイジメっ子に向けての」
「それじゃあそのココアと、俺の分のドリンク代も払ってもらおうかな」
「あれ、わたし今日財布忘れたって話したよね?」
「だって俺はイジメっ子なんでしょ?」
「…ごめんなさい」
「よくできました」


ガコン、吐き出された缶を取り出してプルタブを開ける。
軽く冷まして口を付ける俺をさんは信じられないものを見るような目で見つめているが、そこに嫌悪や畏怖が滲んでいるようには見られない。
ただ彼女は純粋に、自分には出来ないことをした俺に驚いているだけなのだ。


「郭くんて繊細そうに見えて実はすっごく頑丈に出来てるよね」


俺の異能を恐れるのは俺自身を恐れるのとは違う。
けれど、俺の中にある一部に負の感情を抱くのだから、ふとした瞬間に垣間見えても可笑しくはないのだ。 ―例えば、瞬きをすれば消えてしまうような些細な仕種に。
頭を過る感情に一瞬の躊躇が生まれるのは仕方のないことだろう。

それなのに彼女は変わらない。
告げる前にもあったことだが、俺の異能に触れても少し経てば何事もなかったかのように振る舞うし、 俺の異能を知った今も、まるで全て忘れているんじゃないかと疑いたくなる程に知る前との変化が見られない。


さんは割と失礼だよね」
「正直なんだよ」
「頭に馬鹿が付く?」
「失礼な」
「お互い様でしょ」


吐息交じりの軽口の応酬はどちらともなく幕を下ろし、灰色に塞がれた空をじっと見上げる彼女がぽつり、落とす。


「雨だね」
「うん」
「いつ頃止む?」
「この様子だともう少し、かな」
「そっか」
「…雨宿りしてく?」
「ううん、いつものバスで帰ろう」
「そう」


缶を持っているので多少苦戦しながらも水色ストライプの傘を広げ、そろそろ行こうと此方を振り返る彼女に倣うようにビニール傘を開く。


(今かもしれない。違うかもしれない。)


彼女の隣を歩く時、俺は妙な緊張感に包まれる。
俺が堕ちた世界と重なる日はいつなのか。目安である一週間も残すところ二日なのだ。

駅前の横断歩道で足を止めそっと隣を窺うも、彼女の傘に遮られ口許より上は見られないので今彼女が何を思っているかなどわかる筈もなくて。


青に変わった信号を合図に歩き出す。


「あ、」


小さく聞こえた声に歩みを緩めたのは、それがさんのだとわかったから。

隣に居ない彼女をどうしたのかと振り返り、足元に転がって来たのだろうボールに屈んで手を伸ばす姿を捉える。 足を止めた俺達を避けながら歩く傘の群れは次第に数が減り、視界が広がった時――劈くような悲鳴が鼓膜を殴った。


「ッ、」


手放した傘は宙を泳ぎ、体勢を戻したさんが目を丸くして唇を動かすのがわかったが応えてなんていられない。
はっとしたように視線を流した後に再びぶつかった彼女の双眸は既に触れられる程近く、勢い良く伸ばした手がさんに触れ、暗転




降る雨は刃に似て、

(遠くで缶が転がる音がした)




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