「……事故かあ、」 全てを話すことなど出来なかった。俺を庇って、ということは何故か口にしてはいけない気がした。 そして、俺の異能についても同じで、彼女に起こり得る未来を端的に告げはしたがそれ以上の説明をすることなく口を閉ざした俺に、彼女はただ一言そう零したのだ。
雨惑い
AMADOI 何の感慨もない呟きからは不安も恐怖も読み取れず、かと言って楽観的に捉えているようにも見られない。 一言に事故と言っても小さなものから大きなものまで様々だ。 アレは彼女の視点で視たものなので事故現場の惨状など俺にはわからないが、 徐々に掠れて色を失くす世界を思い起こせば肌を撫でる風とは別の冷たい何かが背中を滑り落ちる。 視ていない彼女とこの感覚を共有することは出来ないが、 そもそも自分が事故に遭うなどと言われて気分の良い人間などいないのだから、酷く落ち着いたさんの姿に逆に俺が動揺してしまった。 「やっぱり信じられない?」 「え?…ううん、そうじゃなくて。なんて言えば良いのかな、現実味がないというか、そうなんだ って自然に納得出来たんだけどそれだけっていうか、……わたし、想像力とか色々足りないのかも」 「…そうだね」 「あれ、断定?そこはせめて曖昧に濁すとか…!」 気を張り過ぎても仕方がないだろう。 相変わらずな様子のさんを揶揄する程の冷静さを取り戻し、怪我の具合について改めて訊ねる。 彼女曰く大したことのないそれは、長くとも一週間で包帯を外せるとのこと。 一週間。つまり、それが一つの目安になるだろう。 「包帯が取れない内は十分気を付けとけば良いんだね」 「話したことで何かが変わるかもしれないから包帯が取れれば安心ってわけでもないけど」 「うん、痛いのはヤだもん。その後もちゃんと気を付けます」 取って付けたように口にして背筋を伸ばした彼女は、―「だから」、次いで言葉を放つ。 「郭くんも気を付けてね」 「……、俺はさん程間抜けじゃないけど」 「ねえ郭くん、オブラートって知ってる?―じゃなくて。だって郭くん、人のことはわかっても自分のことはわからないんでしょう?」 確かにそうだ。今回のように間接的に自分の未来や過去を視ることはあっても、それは他人目線であって俺自身のものではない。 ―けれど、どうして、 「何でそう思うの」 彼女にコレの説明はしていない。 自分でも驚く程冷えた声が落ちたが、彼女はやはり変わらぬ調子で首を傾げる。 「自分の未来も視えるなら態々わたしに教えないで、わたしの傍に居て郭くん自身が事故を目撃する未来を視れば良い。 そうすればいつ起こるのかもわかるし」 「四六時中さんに付き合っていられる程暇じゃないよ」 「うん。でも、そうするよね」 「…」 「わたしが郭くんならそうする」 (また、だ。) 彼女の言葉は不思議だ。 静かだが決して否定を許さないその響きに、俺は何度か言葉を呑み込んでいる。 一つ、息を落とすのは纏わりつく妙な感覚を振り払う為 「話す必要がなくなるならそうしたかもね。でもそれならさんの未来を細かく視た方が早いよ」 「……あ、そっか」 彼女の考えは矛盾している。 俺が俺の未来を視て、あの事故が起こる正確な日時を知ることが可能なら、それは何も俺の未来である必要はない。 と言うより、今口にした通り彼女の未来を視た方が余計な手間も掛からない。 可能ならば、そうしていた。なにも告げることなく、ただ一度さんに触れれば良い。デメリットのない最善の策だ。 ―けれど、不可能なのだ。俺には俺の異能をコントロール出来ない。 気を張ることで一時的に視ないようにすることは出来ても、自分の意思で視ることは出来ないのだ。 もしも視ることが出来たとしても、その内容にまで手が及ぶ筈がない。 堕ちる世界は選べない。一瞬で引きずり込まれることもあれば、くる とわかる時もある程度。 (だから、こんなもので何も救えない。) 理不尽な力に本当の意味で慣れることなどこの先一生ないだろう。 柔らかな皮膚に爪が食い込む感覚を何処か遠くに感じながら侵されて行く空を映す。 俺の眼に映る色は真実だろうか。色彩を奪われ、感情を焼かれ、音の無い世界は少しずつ俺を殺すのだ。 いっそ視界ごと奪ってはくれないか。 もしもコレが消えるのなら、二度とこの両の眼が光を映さなくても構わないから――、 何度だって願ったんだ。そうして、神様なんていないと知った。 「郭くん」 「、…なに」 「うん、あのね?気にするなって言ったって嫌な映像はそう簡単に消えないと思うけど、だけどやっぱり、違うと思うんだ」 「何が?」 「確かに郭くんはわたしの未来を視たよ。だけど、好きで視たわけじゃない。知りたかったわけじゃない。そうでしょう? それなのに郭くんが責任みたいなものを感じるなんて変だ。…そんなに気負わないで。結局これは、わたし自身の問題なんだから」 痛みが麻痺した拳を指先が撫でる。 触れるか触れないか、微かに感じる温度はじわりと滲んで、 「教えてくれただけで十分なんだよ。それだけでわたしは十分救われた。なんにも返せないのに、これ以上もらうことなんて出来ない」 解いた指でそっと、彼女の指先に触れる。 「飴で手を打ってあげても良いよ」 「…、一袋じゃ足りないね」 「俺を虫歯にするつもり?」 「あれ?郭くんって歯磨きを忘れるような人だった?」 二人分の体温を絡めても寒さが和らぐことはないけれど、 溶けて行く感情はいよいよ耐え切ることが出来ずに、繰り返し繰り返し頬を伝う。 空を向いた口角が感じ取るしょっぱさをこんなにも愛しいと思ったのは初めてだ。 「郭くんて器用な人だね」 「さんよりはね」 こんなもので何も救えないと知っている。神なんて居やしないと知っている。 ―だけど、それでも、もう一度願うよ。 (どうか俺から彼女を奪わないで。) |