若菜家の問題児はいつだってあいつだった。
勉強が出来て聞き分けも良くて、大人の手を煩わせない子供ではあったけど、教師の立場からすれば厄介な存在なのは間違いないのだ。

あいつは集団の輪に入らない。入れないんじゃなくて、最初から入って行かない。
誰かに弾かれたわけでもないのにいつだって一人外れた場所で、ダンゴ虫みたいに丸くなった俺達をあの酷く冷めた眼で見ているのだ。

あいつがそんなだからやがて女子のリーダー格に目を付けられて、小学校でも中学校でも、 まるで当然の流れのようにあいつは嫌がらせの標的になった。

だけど、一度も親に連絡を入れられたことはない。

小学校で墨汁を頭からぶっかけられたあの時も、職員室からさっさと出て行こうとしたあいつを追い掛けた教師に 何をどう説明したのかは知らないけど、俺が家に帰った時にはもうあいつは髪を綺麗に洗って汚れた服も処分した後だったし、 次の日も平然といつも通りの時間に家を出て、久しぶりに家族揃った夕飯の席でも墨汁事件の話は一切出て来なかったから、 母さん達は何も知らなかったんだろう。

ある意味正々堂々とした小学生時代の嫌がらせとは違い、中学生の女子は陰湿で、
あいつはよく物を失くすようになったけどそれも最初だけ。
頭が回る分加害者の思考をある程度読めるのか、失くなった物は自分で回収していたし、 盗られないように立ち回るのも上手かったから。

あいつが嫌がらせのことを大人に言わなかったのは多分、面倒だったからだ。

煩わしくは思ってたみたいだけど、大事になってクダラナイことに時間を割かれるのはご免だったんだろう。
それなら最初からもっと上手く生きれば良いのに。ほんと、頭は良いのにバカなやつ。







「謹慎中に補導されたら今度はまじな停学喰らうんじゃねえの」


あー、くっそ。熱い。無駄に汗掻いた。 ぱたぱたとシャツに空気を送りながら、補導されんのって何時からだっけ?と思考を巡らせる。
家を出たのが21時過ぎで今が…あ、でも時間関係なくこいつ自宅謹慎中なんだから外に居たら普通にアウトじゃね? ま、この辺に武蔵森関係者多分居ねえけど。


「てかお前携帯」
「…充電が切れた」
「バカか。どーせまた何日も充電しねえで放置してたんだろ」
「……」


黙ったってことは図星だな。ほんっとイライラする。
隠すこともなく舌打ちをすれば、暗くて表情はわからないものの顔の輪郭が僅かに傾いた。


「言いたいことは口で言え」
「…何であなたが此処に居るの」
「水野からメールが着た」
「……そう」


別に俺だって好きでこんなとこまで捜しに来たわけじゃない。
でも、水野に教えられた手前そのまま放置なんざしてみろ。俺の株が下がるだろ。

口にしないのは、こいつが俺のそういう考えをいつだってお見通しだから。


「で、お前はいつまでダンゴ虫やってんの?」


暗がりでもぞりと影が動く。
ガキの頃から何かあると部屋の隅で一人、手足を折り畳んで小さくなるのはこいつの癖。
…そんなことしても消えるわけねえのに。どこまでもバカ。


「さっさと出ろ。俺まで補導されるし」


誰も居ない公園の遊具の中はそんなに快適か。 洞窟みたいなそこで何時間丸くなってたんだか知んねえけど、俺は二時間近く走り回って疲れたんだよ。さっさと帰らせろ。
無言の訴えが届いたのか、もぞり、再び影が動いたので穴の前から退けば、暗闇の中からゆっくりと這い出したそいつは 街灯の眩しさに目を細め、眉を寄せてこっちを見た。
武蔵森の制服姿を見るのは二度目か。上から下までざっと眺めて背を向ける。
そのまま歩き出した俺に少し遅れて、後ろから足音。……あー、もう、まじメンドクセー!


「遅ぇんだけど」
「…一人でも帰れるけど」
「お前ほんと可愛くねえな。知ってっけど」


ぐいっと、何の優しさもなく腕を引けば、片足に一気に体重が掛かったんだろう。一瞬だけ顔が強張った。
直ぐに体勢を整えていつもの顰め面に戻ったけど。 …はあ。大きく息を吐き捨てて何度目かになる舌打ちをする。 チャリがありゃ楽なのに。二時間前の俺を呪いたい。


「…俺は一秒でも早く帰りたい。でもお前は歩くのが遅い」


引き寄せた分縮まった距離から俺を見上げる怪訝そうな顔を鼻で笑う。


「ヘマやった自分を呪えよ」
「、…は?」


腕を掴んだままさっとしゃがんでもう片方を手探りで膝裏に回せば、後はそのまま、背中で掬うように立ち上がる。 ―「ッ、」。耳元で息を呑む音がしたけど、知るかバカ。自業自得だろ。



*
*
*



「今更だけど荷物は?」
「……一度家に戻ったから置いてある」
「は?部屋になかったけど…あー、こっちか」


リビングの電気を点けてそのままどさっとソファに座り込んだ俺の視界の端で、飾り気のない鞄が跳ねた。
さっきはそのまま二階に上がったから気付かなかったんだ。


「普通に帰って来た癖に出てくとか、お前やっぱバカだろ」
「……」
「何か言え」


廊下歩くのにどんだけ時間掛かってんだよ。いつから家は豪邸になったんだっつの。
漸くリビングに姿を現した妹は、だけどそれ以上動こうとはせずに。


「三年の女子殴って窓割ったんだって?」
「……」
「それで謹慎なー。暴れたのが昼休みってことは、母さん達ももう知ってんのか」
「、」
「二人とも泊まりで仕事だから今日は帰って来ねえよ。明日も遅いだろうし、ちゃんと話せんのは次の休みじゃね?てか連絡いってねえの?」
「…、…お母さんから留守電が入ってたけど、聞いてない」
「ふーん。で、ビビって逃げたとか…ガキか」


ちらりと視線を向けた先、居心地が悪そうに視線を落とす姿に微かな違和感。…なんだ?
俺の視線に気付いたのか、顔を上げた妹が眉を寄せたまま首を傾ければ、ふわり、揺れる、


「ちょっとこっち来い」
「何」
「良いから。誰がくそ重いお前を家まで運んでやったと思ってんだ途中寝てただろ」
「…別に頼んでない」
「謹慎喰らった癖にこんな時間まで外に居たことばらされてえの?」


半ば脅すように告げれば物凄く嫌そうに顔を歪めながらもソファの前までやって来た。
歩き方が変だったから足怪我してんだろうとは思ってたけど、ふうん? 手を伸ばして俺と同じ柔らかな髪を小さな耳に掛け、――。


「……武蔵森じゃこういう髪型流行ってんの?」


母さん譲りのふわふわの髪は、人より明るいけど俺と違って染めてるわけじゃない天然物。


「ダセェから自分で切ったとか言うなよ」
「、ッ」
「うわ、きも。何この腕。よく見りゃ顔も微妙に…、後は……腹とか?」
「放して」
「見ねえよバーカ」


小学生時代はある意味正々堂々と、中学生時代は陰湿に、でもって高校生の今は暴力ってか。
目立つところは避けてる辺りこれはこれで陰湿だけど。

振り解けないくらいの力で掴んだ手首は、酷く冷たくて。


「で、この手の包帯は?」


見上げる俺の視線の先で、ゆらり、逃げるように視線が泳ぐ。
…あー、うん。こりゃあれだ。素手で窓割ったにチチヤスヨーグルト1パック賭けても良いわ。




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