全てを遮断することが可能ならどんなに快適だろうと幾度となく考えてきた私はもしかしたら現実主義者ではないのかもしれない。
呼吸を止めれば生き物は最終的に全ての動きを止めるだろうけれど光や音を数秒奪ったとて然程問題はない筈だ。
こんな風に結論を求めない思考を繰り広げている時点で所謂現実逃避をしていることには気付いている。


「藤代くんが若菜さんのこと好きってほんと?」


ああ、何がどうなって今に至るのか誰か私にわかるように説明してくれないだろうか。
或いは質問を投げる相手が間違っていることを彼女達の感情を煽らない文章でしかしはっきりと伝えて欲しい。

環境が変われど自分が変わらなければ似たようなことは起きるのか。
きっと私が取る私にとっての当たり前で普通な言動に周囲の癇に障る何かが組み込まれているのだろう。
愛想がないことが関係しているのはわかっているがこればかりはどうしようもない。
人にはやろうと思っても出来ないことがあり、私にとって愛想良く振る舞うことがそれだと気付いた時―随分昔だが―にこの件は綺麗さっぱり諦めたのだ。

無意識故に零れそうになった息を意識して止める。
ここで彼女達の怒りを煽る行動を取ってはならない。今のところ友好的な態度を保って会話の流れで出てきたように話しているのだからそれを此方から崩すのは愚かだ。
先の先を見越すことは出来ないがこの場を切り抜けることは出来るので頭の中で組み立てた文章をそのまま口にしてさっさとこの場を離れるに限る。



*
*
*



「―と言うことがあったんだけど事実?」
「俺が若菜ちゃんのこと好きかって?」
「それではなくて」
「愛の隔壁?」
「そう」


共学とは名ばかりの中等部に纏わるジンクス。件のフェンスがあるのも当然中等部なのだが高等部の生徒が中等部の敷地に足を踏み入れることは咎められないらしい。
逆も同じだとは思うが上下関係を思えば中等部生が此方に顔を出すのは少し勇気がいるだろう。

武蔵森内では有名なジンクスは私も入学早々耳にしたが興味が湧かなかったので見に行ったことはなく今後も行くことはないと思ってはいたが今は彼の返答次第で私が足を運ばなければならない可能性も考えている。


「ジャーン」
「…」
「反応してよー」
「何」
「まあ良いや。これ、南京錠の鍵。欲しい?」


出来れば前後することなく順序良く会話を成立させたいものだが彼を相手ではやはり無理だったか。
思った以上に大量の空気が肺から排出され表情を変えずに彼を窺うがそこには相変わらずの笑顔を浮かべた姿があるのみで何も気にしてないように見える。
狐か狸か、はたまた天狗か。長い鼻をへし折ってやりたいとは思わないけれど。


「事実かどうかの確認がしたいだけだからそれはいらないよ」
「なーんだ」
「答えは?」
「どっちだと嬉しい?」
「…。事実じゃないならそのままを伝えるし事実であれば私には関係ないから流れに任せる」
「ふーん。若菜ちゃんってツマンナイね」
「答えてくれれば互いに解放されるよ」
「あ!今のはちょっと面白かった」
「私にはわからないけれど」


―疲れた。生憎と私はコントも漫才も見て楽しむことはあれどやる側ではないのだ。
いつ聞けるかもわからない答えを待つより多少面倒でも自分で確認する方が良いかもしれない。私の精神衛生面を考えると尚更。
けれど口を開くより早く楽しそうな声が響く。


「ほんとだよ」
「…そう」
「聞かないの?」
「これと言って興味が湧かない」
「それ自分を好きかもしれない相手に言う言葉ー?」
「好きじゃないから問題ないでしょう」
「えー俺若菜ちゃんのこと好きだぜ?まあ恋しちゃってはないけど」
「それはどうもありがとう」
「いーえー」


軽口の割に冷えた双眸に閉じ込められた私が冷めた目を伏せる。やられた。
彼の背後に視線を逸らした一瞬でぶつかった温度はすぐに消えても事実は消えない。
慌てて走り去って行った女子の顔が赤かったか青かったかもわからない距離なので姿は見えても会話は届いてなかったと思われるのが余計に私を苛ませた。
この男、一体何がしたいんだ。逃避する為に遮断した映像を戻せば映る顔は自分の行動に何の感情も抱いていないかの如く変わらぬ表情を浮かべたまま、


「若菜ちゃんて面白いな」
「さっきと言ってることが違うけど」
「人間ってそんなもんじゃん?」
「何がしたいの」
「うん。ちょっと付き合ってよ」
「無理」
「どっちにしても陰口叩かれるだろうけどさ、付き合っちゃう方がまだマシだと思わない?」


それくらい頭良い若菜ちゃんならわかってんでしょ?
悪戯を企む子供の顔と言うのはこれだろうか。弓形の唇は実に楽しそうだが私は彼を楽しませたいわけではない故にそれが壊れても微塵も気にならないのだ。


「胸糞悪い」


淡々と放った矢は大した威力もないだろう。驚いたように目を瞠りはしたものの一層弓は引かれるばかり。
似ているとは感じていたが互いに干渉しない関係だった分彼の人の方が私にとっては無害であったか。


「期限は?」
「んー…飽きるまで?」
「肉体的苦痛に遭わないよう最大限考慮して」
「そんなん彼女の為ならとーぜん」


彼の言動にどんな背景があるのかなど最早どうでも良い。
最低だと呼ばれる行為だとしても私は彼が豹変したと思うことはないのだから。

だって私は藤代誠二に若菜結人を重ねていた。

人懐こい表情の奥に潜むものを過敏に感じ取ってしまったのは互いを空気扱いしてはいても長年同じ空間で過ごした双子の兄がいたからだ。
家を出てから一切関わっていない兄の顔は浮かべど声は危うい。聞けばわかるが。きっと向こうも同じだろう。


は俺のこと誠二って呼んでね」


ああ、彼は私の名を呼ぶのか。重なる部分はあっても所詮は別人。
最後に名前を呼ばれたのも呼んだのも思い出せない双子とは大きく異なる点を突き付けられ、私はただ頷いて見せた。




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