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「まさちゃん?」
「…ああ、悪い。なんの話?」
「ううん、いいの。まさちゃんがぼうっとしてるなんて珍しいね。大丈夫?具合悪かったりしない?」
「どーもしねえよ」
「ほんとに?気分が悪かったら言ってね、わたしがまさちゃん担いで帰るから!」
「そりゃまた頼もしいな。んじゃもしものときは任せるわ」
「うん、任されよ!」


不安そうに縮こまった眉が一瞬で離れて今度は目じりが縮こまる。
そーいやガキん頃から顔いっぱいで笑うやつだったな。丁度良い位置にある頭に手を載せればくすぐったそうに身をよじった。

一年前、飲酒運転のトラックが信号待ちの歩行者に突っ込んだ事故による負傷者は運転手を含め六名。結果として内二名が命を落とした。
俺の横を楽しそうにひょこひょこ歩くこいつがまさかその一名だなんて誰が気づくだろう。
手術を終えてから一週間近く目を覚まさなかったがその後の経過は順調で、 頭を打った所為で記憶が曖昧になってる部分はあっても日常生活に問題はなく 今となってはほんの少し左足を引きずる程度で後遺症は殆どない。その左足も徐々に回復してるしな。


「やっぱり具合悪い?それとも悩み事?わたしにできることあったらなんでも言ってね」
「だからなんでもねえって。そっちこそなんかあったか」
「え?」
「最近いつにも増してぼーっとしてんだろ」
「そうかなあ…?」
「気づいてないなら重傷だな」
「ううん、……ただ、もうすぐだなあって」
「ん?」
ちゃんの一周忌」


前のめりに傾いた頭に置いたままの手を動かして髪を撫でると今度は後ろに傾く頭。
前から思ってたけど、こいつの笑い方ってうちのちびどもとそっくりだな。


「学校休むからノート取っといてね。サボっちゃだめだよー?」
「…しょーがねえな」
「ありがとまさちゃん」


一年前、あの事故で亡くなった一人はトラックの運転手。そしてもう一人は
俺の幼なじみのの妹で、ガキの頃に両親が離婚して別々に引き取られてからも頻繁に会ってた仲だ。
うちの妹と一緒で双子だとか。実際に会ったことはねえが話は何度も聞いてる。
妹のことを話すときのはいつにも増して嬉しそうで、一卵性だから顔の造りは同じだけど自分とは全然違うのだと自慢ばかりしていた。

だからきっと、今でも寂しいんだろう。
周りを気にしてばかりいる癖に自分を後回しにするやつだから弱音なんて吐かねえけど。
そーいやこいつが最後に泣いたのっていつだ?すぐには思い出せねえな。


「じゃあまた明日ね」
「おう、気を付けろよ」
「気を付けるもなにももうマンションの前だよ」
「階段で転んな」
「あのねまさちゃん、わたしそんなに間抜けじゃないよう?」
「どーだか。おら、さっさと行け」
「もう。じゃあまたね、ばいばい!」
「ん」


顔の横で左右に揺れる手のひらに俺が片手で応えればはくるりと背を向けてひょこひょこと階段を上る。


あの事故以来家から学校までの道を並んで往復するのが当たり前になった。
小三のときに越してきたが住むマンションは道路を挟んだ俺ん家の向かいだから、 それを知ってる部活の連中にに一人で歩かせるなと言われたのがキッカケだ。
まあ、あいつらに言われなくてもそうしてたかもな。もうあのときみたいな想いはご免だ。

飯を囲いながら聞き流してたテレビであいつの名前が呼ばれて、 家中大慌てであいつの家と連絡取ろうとするけど繋がらなくてようやく運ばれた病院を聞き付けて向かった病室のベッドの上では静かに横たわってた。
ちびどもは身体に巻き付けられた包帯や繋がった管を見て痛そうだと泣いてたけど俺はそれを見て酷くほっとしたんだ。

ああ、生きてる。死んでない。部屋中に響く機械の音がこいつの心臓が動いてる証拠だって。

泣き腫らした目のおばさんとその奥で真っ青な顔で突っ立ってる知らないおっさんを見たときに無意識の内に最悪の事態を予測していたから尚更。
後で知ったのが俺たちが病室に着いた数時間前にの妹が亡くなったのと、一緒にいた人がの父親だったこと。

意識が戻って初めて会いに行ったときに見た顔は今でも鮮明に思い出せる。
色んな感情を混ぜ合わせたように複雑で、消えてしまいそうな儚い笑顔。
やっと目が覚めたってのに…いや、目が覚めたばかりだったからそう見えたのか。


よし、今日も無事に帰ったな。
あいつが階段を上って玄関を開けるまで見届ければ俺の役目は終わり。
なんも知らねえやつから見たらまるであいつのストーカーだな。ああでも同じ学校の制服着てっからそれはねえか?
それじゃあと浮かんだ単語は吐き出した息のついでに捨てておいた。

あいつが家に入るまで俺が見ていることをあいつが知ってるように、
俺がマンションに背を向けて帰って行くのをあいつがこっそり眺めてんのを俺は知ってる。

明日の朝になったら俺はまたいつもの時間に向かいのマンションの下で立ってんだ。
玄関から出てきたあいつが俺を見下ろして笑って、ひょこひょこ時間をかけて下りてくる。
一年前から当たり前になったこんな毎日も後数ヶ月で終わりだな。
あいつが前から行きたがってた高校は全寮制だから俺が送り迎えする必要はなくなるんだし。


欠伸をしながら遠いようで近い未来を漠然と想い描いていた俺の頭は、もっと近い未来のことはこれっぽっちも描いていなかった。