俺の異質さについて誰かに告げたことは一度もなく、姉との間では互いに“気付いていること”を“気付かないふり”をするという、言葉にするとややこしいが つまりは知らんぷりをすることがどちらともなく決められていた。 母には絶対に気付かせたくないという強い意思が俺達の間で言葉はなくとも通じたんだろう。 ―だけど、俺の異質な能力は他人を縛るもので、誰にも告げずにいても制御の仕方を知らなければ滲み出る異質さを完全に隠すことなど不可能な話。 唯一の救いは、俺が癇癪を起こす子供ではなかったことか。
IROKAKUSHI
色隠し 「…ま、一馬、」 耳慣れた声にはっと意識が浮上した。 慌てて持ち上げた瞼の奥に赤い光が焼き付いて反射的に目を細める。 歪な丸い光がチカチカと視界をちらついたが、数秒後には正常なものに戻っていた。 「もう少し寝かせてあげたかったけど次で降りるから」 「ん。…悪い、寄り掛かってたか?」 「良いよそれくらい。結人みたいに涎垂らすわけじゃないし」 「結人は?」 「あっち」 「…何してんだあいつ」 「さあ。ただ、結人が自分から行ったんじゃなくて、鳴海達に連れてかれたってことだけは確か」 噛み付くような反論がないので結人は傍に居ないのだろう。 俺の問い掛けに英士はついと視線を動かし、辿った先で恐らく年上だと思われる三人組の女子と楽しそうに会話をする結人達の姿に呆れて呟けば、フォローのつもりなのか淡々と言葉が返る。あれどう見てもナンパだろ。 携帯を取り出した鳴海に今度こそ溜息を吐いた。 「あいつら次で降りるって気付いてんの?」 「結人がいるから平気でしょ」 つまり関わりたくないんだな。 声を掛けるつもりのない口振りに何も言わず頷くのは、俺も同じ考えだから。絶対巻き込まれたくない。それに、 結人ってふざけてるように見えても冷静なとこあっから多分大丈夫だろ。 このまま放っておこうと小さな横顔から目を逸らす。これでこの話は終わりだ。 沈黙が気になる関係でもないので無理に他の話題を探すこともなく、当たり前のように口を閉ざしたものの、 ガタンゴトン、繰り返す心地良い揺れと音にだんだんと瞼が重みを取り戻す。 完全に落ちてしまう直前、にゅっ、右から生えてきた手に驚いて肩が跳ねた。 「…ビビった」 「そのつもりだったから」 響いた声はどことなく楽しそうで、隣を見れば案の定英士は涼しげな目許を薄らと細めている。 「お陰で今度こそ目ぇ覚めた」 「どういたしまして」 「で?」 「あげる」 英士の言わんとしていることがわかったので目の前の手の下に俺の手を開くと、ぽとん、と硬い物が降ってくる。 落とさないように指先を丸め、再び開き、ぱちぱちと瞬き。 「疲れた時には甘い物って言うでしょ」 「サンキュ。でも英士がこういうの持ってるのって意外だな」 眠気覚ましのガムならともかく、手のひらにちょこんと佇んでいるのは赤いパッケージの飴で、 思ったことをそのまま口にすれば、今度は誰が見てもわかりやすく英士の頬が柔らかく崩れた。「貰い物」 「…、…ああ。もしかして、」 続く言葉が出なかったのは、視線の先の英士が微笑んだ唇に人差し指を当てたから。 「壁に耳あり障子に目あり。そこら中に悪趣味なやつらがいるからね」 「言わねえの?」 「煩いのは好きじゃない」 「そっか」 英士に彼女が出来たことは俺も結人も知ってるし、付き合う前に偶然だけど一度会ったこともある。 だから英士が内緒だと笑ったのは俺にじゃなくて周りにいるチームのやつらに聞かせない為だ。 彼女の存在を隠したいわけじゃなくて、騒ぐのが好きな連中に知られて馬鹿騒ぎに巻き込まれるのが嫌なんだろう。 心の底から嫌そうに眉を寄せる英士の姿がぱっと頭に浮かんだ途端、「っく、」。押し殺せなかった声が漏れたものだから、 想像よりは柔らかいものの鋭さを帯びた視線を向けられて慌てて顔を逸らす、刹那、――染め上げたのはどこまでも、 あかい、 窓の外に置き去りにした景色の中ただ一つ追い掛けてくる色からは目を伏せても逃げられない。 握り締めていた手を開くと、赤いパッケージに描かれた林檎のイラストが夕日に照らされて一瞬で真っ赤に染まる。…嫌だ。 どっどっ、内側から叩き付けるように暴れる鼓動を小さく呼吸を繰り返すことで一人遣り過ごし、 赤く染まった手のひらにぎゅっと唇を噛んで響いたアナウンスを合図に立ち上がる。 同じタイミングで立った英士と目配せをしてドアの方に向かえば、「置いてく気かよー」 いつの間にか近くに来ていた結人がからりと笑った。 「もーまじ腹減ったし。てか一馬さっき自分だけ英士に何か貰ってただろ。なに、食い物?食わないならチョーダイ」 「やだよ」 「聞いたか母さん!一馬がパパに口答えを…!」 「結人を夫にするくらいなら一馬を嫁にする」 「酷いわあなたっ!離婚よー」 「はいはい慰謝料は飴で勘弁してね」 「えーお兄ちゃんもっとー。空腹な弟への愛が足りねえぞ!」 「ねえ、ごっこ遊びにしてもころころ設定変えるの止めてくれる?あと、最初から愛がないんだから仕方ないよねいい加減気持ち悪い」 「おおう。一気に言うとか流石の結人くんも傷付くぜ…せめて親友への愛はください」 ゆっくりとスピードを落とし、キキィ、停車した後に車両のドアが開く。 ぞろぞろと降りて行く揃いの背中を追い掛けるくらいわけないのに、縫い付けられたまま眺めるしか出来ない。 行かなきゃいけねえのに。首の後ろから伸びてくる赤い光に、どっど、箱の中に一人取り残されてしまいそうで。 いっそこのまま切り取られてしまおうか。 馬鹿みたいな考えが頭を過った時、不意に先を行く茶髪と黒髪が振り返った。 「立ったまま寝てんじゃねーぞ一馬」 「ほら、一馬。早く降りないと迷惑でしょ」 ドアの前で立ち止まったままの俺に伸ばされる腕が二本。 右と左、それぞれに異なる手が触れ、同時に引っ張られるものだから、転ばないようにと堪らず一歩足が出る。 「……」 「また眠いの?今日はずっと出てたから疲れてるのもわかるけど」 「ったくしょーがねえな。特別に引っ張ってやっからさっさと帰ろーぜ」 「…」 「一馬くーん?聞いてますかー?」 「一馬?」 「…おう。行こうぜ」 「お前待ってたんだっつーの!」 不機嫌そうな声に悪いと返すも、掴まれた手が離れることはない。 踏み出した足とは逆に振り返った先、真っ赤に染まった箱はゆっくりと口を閉ざし、あっという間に俺を置いて流れて行った。 *** 異質な能力は使い方さえ覚えてしまえば時に俺の手助けとなる便利な力で、 だけど、コレは決して良いモノではないんだと知っていたから自分の意思で使うことは殆どなかった。 ―それでも、藁にも縋りたい時はある。 掴んだ手首はぐったりと重力に従い、そこから先が酷く重たい。無理もない、意識を失った人間は重いのだ。 どこも痛めていないと良いと思いながら近くに転がっていた椅子を立たせて座らせ、 近付いてくる複数の慌ただしい足音にそっと瞼を伏せた。 「何やってるんだ!――真田、お前っ」 響いた怒声が驚愕に変わり、ざわざわと波紋のように広がる声にゆっくりと瞼を押し上げる。 色んな感情が絡まって濁った目に、どろり、囚われて。 ごめん 焼き付いたのは、燃えるような 赤 |