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01.13




「先輩、好きです。…好きなんです」


握り締めた手のひらがスカートに皺を作る。
いつだって尻尾を振った子犬みたいにキラキラと目を輝かせていた彼女は今、 床にこびり付いたシミを睨み付けるようにじっと一点を見つめている。


「すき、だけど……これで最後にします。今までいっぱいごめんなさい。困らせて、ごめんなさい。 わたしの我儘に付き合ってくれて、ありがとうございました」


すっきりしたように笑うに柾輝は一度目を瞠って、それから、くしゃりと彼女の前髪をかき混ぜた。 視界を奪われた彼女は当然、柾輝が今どんな顔をしているかなんてわからない。

見られないようにしたのは柾輝で、彼が望んでそうしたのはわかってる。わかってるけど、


「、翼?」
「この馬鹿ちょっと借りるぜ」


感情に手足が生えて勝手に動き出したんだから仕方ないだろ。
逃げるように引いた手首をしっかりと掴んで、戸惑いに揺れる双眸に目を細めた。



***



「先輩、せんぱーい、しーなせーんーぱーいっ!」
「煩い黙れ息すんな」
「ひどい!それつまり死ねってことじゃないですかぁ…何なんですかもー、わたし可哀想……」


ぴーちくぱーちく騒がしいをぐいぐい引っ張って誰も居ない空き教室に押し込む。「ぎゃ!」 何の配慮もなく肩を押した所為でバランスを崩したようだが知ったこっちゃない。
ぴしゃりとドアを閉め、そのままドアを塞ぐように背中を凭れさせて腕を組み彼女を見下ろす。


「ちょ、急に何すんですか!びっくりしたじゃないですか馬鹿っ!」
「黙れ最上級馬鹿」
「さっ!?」


反論しようと開いた口は、けれど目が合うとぽかんと開いたまま動かなくなった。 うわ、スッゲェ間抜け面。セメントでも押し込んでやりたい。


「ねえ、わかる?今ぼく怒ってんの。腸が煮えくり返るくらい怒ってんの」
「えーと……誰にでしょー、なんて」
「お前以外いるわけねえだろどんだけ馬鹿なの?」


敢えてにっこり笑って吐き捨てた暴言に目の前のが肩を揺らしたけれど、 それでもどこか余裕が残っているのか、誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべて見せる。
…ぼくは、彼女のこういうところが心底気に食わないのだ。


はほんと、いつだってぼくに対する態度がなってないよね」
「これ以上ない程に敬ってます先輩!」
「過去一度も敬われた記憶はないし今だって馬鹿にされたようにしか思えないけど?」
「そんな事ないですもん椎名先輩には超感謝してますもん」
「感謝?お前がぼくに?何を?」
「そりゃ、黒川先輩の事で色々アドバイスくれたり……まあ、結局駄目でしたけど…」


ごにょごにょと語尾を濁し目を泳がせたに胸の中がざわりと揺れる。

苛立ちの正体はわかってる。そして、それが身勝手で理不尽な感情だと知っている。
だけど今、どうしても彼女にぶつけたくて堪らない。だって、酷く裏切られた気分なんだ。感情に口が生える。


「何さっきの。ああ言えば綺麗な思い出になるとでも思ったわけ? 今まで散々好きだって纏わり付いてた癖に一人で勝手に決着付けた上にそれを相手に伝えてはいお終い? 自分一人すっきりしてあいつの事なんてお構いなし? 結局一人遊びかよ。 いつもいつも自分の感情ばっか押し付けてさ、お前、あいつの言葉聞く気あった?」
「ッ、…」
最初に言ったよな?「世界が違うまま始まってもないのに終わりにしたくない」って。 俺に言わせりゃその「世界」に線を引いてるのはお前だよ。お前が線を引いたから柾輝はそっちに入れなかった。 の目にあいつがどう映ってたかなんて知らないし知りたくもないけど、知ってた? 柾輝は画面の中のヒーローじゃなくて生身の人間なんだぜ?」


憧れが恋になることもあるだろう。

俺はがそうだと思ったし、だからこそ興味が湧いた。
この恋の結末を見たいと思った。知りたかった。
たとえ始まりが錯覚だったとしても、その想いを貫くのは感情への依存ではないのだと。

恋に恋したわけじゃなくて、ちゃんと、その人に惹かれたから恋をしたんだって、ぼくの代わりに証明して欲しかった。

曖昧なまま無かった事にしてしまった感情の答えを彼女を通して知りたかったんだ。
胸を張って、恋だったと言えるように。


「置き去りにされてるみたい」
「、え…?」


ぽつり、呟かれた言葉に眉を寄せる。
俯いたの旋毛を眺めながら、足元に落ちる声をそっと拾い上げるべく耳を澄ませた。


「冬休みにわたし、椎名先輩の前でぐちゃぐちゃに泣いたでしょ?黒川先輩はわたしの事助けてくれたのに、 色々びっくりして間違ってちゃんとお礼も言えてなかったから、休み中にサッカー部と練習時間が重なった時に 先輩のとこ行ったんです。…そしたら、先輩全然怒ってなかったけど、でも、言われました。 「の「好き」に置き去りにされてるみたいだ」って。「は何度も好きって言ってくれるけど、それ以上を求めてないだろ」って。 ……先輩、すごく、困った顔して笑ってました。だから、…だからっ」


勢い良く持ち上がった顔が、目が、真っ直ぐにぼくを睨む。


「好きな人にそんな顔されたら終わりにするしかないじゃないですか! ほんとは終わりにしたくないから聞かなかった事にしようとか忘れちゃおうとか何度もずるい事考えたけど、 わたしだってそこまで馬鹿にはなれないし、嫌われたくないし、だからっ、考えて考えて今日やっと言ったのに…!」


赤くなった目にじわりと涙が滲んで今にも零れそうなのに、はぎゅっと眉間に皺を寄せて一つだって零さない。
透明な膜の向こうでゆらり、静かに炎が揺れた。


「先輩たち何にもわかってない!そりゃ勝手に理想作ってた部分はあったけどでも違うもん。 別にわたしは黒川先輩がスーパーマンとか白馬の王子様に見えてたわけじゃないもんてかどっちも似合わないし! ―ただ、ドミノ倒しした自転車直すの手伝ってくれたらときめくしよく知りもしないのに勢いで告白して振られて それでも何度も告白する図々しいわたしに嫌な顔しないで相手してくれるとことか、 話し掛けるとちゃんと聞こえるようにってわたしの身長に合わせて身体傾けてくれるとことか、 頭撫でてくれるのも喉でクツクツ笑うのも好きだし、ちびちゃんたちの話する時の優しいお兄ちゃんの顔も ちょっと顔怖くて喧嘩強いとこも全部全部、黒川先輩だから好きで、好きだからっ、ずるいけど自分勝手だけど、 このままずっと続けば良いなって思ってだから答え聞かないようにしてたんだもん。「好きです」って言って 「ごめん」って言われたら今度こそ終わっちゃうから、だから!」


矢継ぎ早に紡がれた言葉はそこで途切れ、彼女は肩で息をする。
そんな彼女の姿にぼくは、――


「っふ、ははっ!あはは…!」
「、なっ…何笑ってやがるんですかこんちきしょう!人がこんなっ失恋で泣きそうになってるのにひどい!!」


腹の底から湧き上がる衝動を殺す事など出来ず、涙目のに多少悪いと思いつつも身体を折り曲げて一頻り笑う。 全く大したやつだよ。降参だ。完全にぼくの負け。

目じりに滲んだ涙を指の腹で拭い、収まりきらない笑いとともに口を開く。


「ごめんごめん、悪かったって」
「ぜんっぜん謝られてる気がしないんですけどっ!」
「…ごめん。さっきは言い過ぎた。と言うか、ほぼ八つ当たりだったし」
「……椎名先輩がわたしに頭下げるとか嵐来るどうしよう傘持ってないのに!」
「殴るよ?」
「ごめんにゃひゃいっ!」


むにっと引っ張った頬を放し、瞬きの合間に落ちた涙をそっと拭う。 …だから間抜け面だってば。ぽかんと口を開けたに苦笑い。


「何その馬鹿面。俺だって年下の女の子を苛めた上に泣かせもすれば罪悪感くらい抱くよ」
「……はっ!危ないときめくとこだった椎名先輩なのに!!」
「ちょっとそれどういう意味?」
「わたしの趣味が疑われ、ごめんなさい違います先輩まじイケメンっ!」
ってほんと学ばないよな。次馬鹿言ったらまじで殴るから」
「うぃっす!」


素早く敬礼をした彼女の頭をくしゃりと撫でると、は驚いたように目を丸くする。
柾輝にされた時とは大違いだね。ほんと、失礼なやつ。

ぼくは一つ息を落として、にやり、口角を上げる。


「で、お前はいつまで盗み聞きしてるつもり?」


カララ、背中を浮かせほんの少しドアを開ければ隙間の向こうで見慣れた影が揺れ、それが誰か気付いたのだろう、 が「うえっ!?」と可愛気のない声を零し逃げ出そうと反対のドアに視線を送ったので手首を掴んではい捕獲完了。


「わっ先輩放してください無理無理今無理ほんと無理!」
「ばーか、考えてみろよ。何であいつは態々追い掛けて来たんだと思う?」
「え?」
「俺の卒業までパシリにされたいなら逃げても良いぜ?」
「、……絶対嫌ですーう」


ぷくっと頬を膨らませたにデコピンをして、彼女を残し教室を出る。背後から痛いと悲鳴が聞こえたがスルーで。
静かにドアを閉め見上げた先で、何とも言えない表情をした柾輝が何か言おうと口を開いたのでそれより先に腹に一発、痛くない程度に拳を入れた。


「ただの同情だったら本気で殴る」
「馬鹿言うな。…でも、あんたは良いのか?」
「気に入ってはいるけど趣味じゃない。…もしかして気にしてたの?」
「翼相手に勝てる気はしないもんで」
「ばーか、最初から俺なんて見向きもしてねえよ」


鼻で笑って、擦れ違い様にもう一発、放った拳はぱしりと小気味好い音を立てて逞しい手のひらが受け止める。 一度だけ力を籠めて握られ、離れて行く刹那見上げれば挑戦的な顔に笑みを浮かべた柾輝が真っ直ぐ前だけを見つめていた。


「あーあ、本気にさせちゃった」


ガラ、ドアが開く音を背中に聞きながら胸の中に広がる感覚をそのままに口角を上げる。
これ以上はお邪魔虫でしかないし、さっさと退散して事後報告を待つとするか。
自分から押すのは得意なのに立場が逆転した途端真っ赤になる可愛い後輩を思い浮かべながら、じわりと滲んだ感情を親指で拭った。




end
2 days ago



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2014年度テーマ「君と結ぶ」
1月13日(金)報われぬ恋に恋して、(誕生花:喇叭水仙)

Special Thanks*みなさん
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「stray cat」のみなさん主催企画サイト「0419」の2014年度に提出させていただいたお話です。