茹だるような暑さに目を覚ます。最悪。べったりと張り付いた髪に気分が落ちた。
さっさとシャワーを浴びようと立ち上がってはたと気づく。そういやここ俺ん家じゃねえや。


「………ひでえ顔」


見飽きた顔が口だけで笑う。暗く翳った瞳と目を合わせないようにする自分が滑稽でわらえた。


「…若菜?」
「お?んだお前起きたの?」
「暑くて寝てらんねえって」
「だよな。なんでこいつら平気なんだよ。もしかして死んでる?」
「かも」


からからと笑う声。周りに転がっているチームメイトたちを見下ろして笑う俺たち。
視線がぶつかった瞬間、黒い瞳の中で笑う見飽きた顔と目が合った気がして吐き気がした。

鏡は嫌いだ。見るけど、見たくない。

極自然に視線を逸らす俺に相変わらず砕けた声だけが追い掛ける。


「なあ、外出ねえ?」



*



月も星も見えない黒い空。虫の声が辺りを染める。
先を歩く背中を眺めながら、もしも今、俺がこの背中を蹴飛ばしたらどうなるだろうかと考えて、止めた。
考えるだけ無駄。考えなくてもわかる。
こいつは背中に手を当てながら怒ったようにこっちを見て、でも俺が笑えばすぐに拗ねたように口を尖らせて笑うんだ。

――そうだろ?藤代、

こいつと俺はよく似てる。似てるけど違う。まるで鏡みたいに。


「外に出ればちょっとは涼しいかと思ったのに、実際そうでもないとか?」
「部屋で冷房ガンガンに付けれりゃ最高なんだけどな」
「今時扇風機はない」
「ないない。つっても、あるだけマシだけど!」
「若菜ここで寝んの?きったねえー」
「若菜くんはいつでも清潔で石鹸の匂いがするって評判ですー」
「石鹸って。じゃあ俺ラベンダーの香り」
「お前それ便所の匂いじゃね?」
「芳香剤?」


中身のない会話。げらげらと品のない声が虫の音を塗り潰す。
一定の距離を保って俺の横に転がった藤代と一頻り笑って、沈黙

あぁ、気持ち悪い…。だけど、その沈黙が心地良い。
俺とこいつは似てるから、ふとした時の空気も似てる。


「ここで寝て起きたら別世界、とかねえかなー」
「何のゲームだよ。藤代くんってば夢見すぎー起きてー」
「起きてる起きてる。でもさ、考えたことない?」
「たとえばー?」
「鏡の世界とか。ソッチには郭も真田もいんだけど、若菜のこと知らねえの」
「え、なにそれ俺超孤独じゃん。死ぬぞ」
「若菜図太いから平気だろ」
「その言葉そっくりそのまま返すわ」


いつも通り。どこまでも笑いを孕んだ声、音。
だけど俺の顔は筋肉が固まったみたいに動こうとせず、明るい場所だったら違和感だらけだと思う。
ま、ここが明るい場所だったとしても俺も藤代も互いの顔なんざ見ようとしねえだろうから良いんだけど。


「てかなんで鏡?」
「なんとなく。良いじゃん、若菜よく鏡見てるし。好きだろ?」
「好き好き。超男前が映ってっからな」
「うーわ、ナルシストー」
「そーいう藤代も似たようなもんだろ。俺、お前がよく鏡見てんの知ってっし」
「あ、ばれてた?」
「舐めんな」
「暗くなると窓とかも鏡になんじゃん?部屋でも電車でもつい見ちゃってさー」
「あー俺も俺も。取り敢えず髪とか直すよな。んで、電車なら美人探す」
「偶に目が合ってにっこり笑い掛けんのにスルーされると寂しくね?」
「俺スルーされねえし」
「嘘吐け」
「ばれたか」
「舐めんな」


真っ黒い穴みたいな空を見上げたまま、空っぽな言葉が口から滑り落ちる。
ゴミ吐き出してるみてえ。あれもこれも、全部ゴミ。
上に向かって喋るから全部俺に降ってくるのがちょっと痛い。なんちて。


「それで、うっかり全部割りたくなったり」
「電車の窓は素手じゃ無理」
「てかやったら捕まる」
「俺らの明るい未来がオジャンだな」
「いやいや若菜はオジャンかもだけど、誠二くんはサッカーが放してくんないから」
「うーわ、ジイシキカジョー」
「天才でごめん」
「うぜえ」
「でもあれじゃん?俺と若菜って似た者同士ってやつ」
「一緒にすんな」
「一緒じゃん」
「違えし」
「だってお前鏡嫌いだろ。俺も嫌いだけど」
「わかってんなら尚更一緒にすんなっつーの」
「ははっ、俺ら鏡みたいだもんな」
「俺のがオトコマエだけどな」
「うーわ。じゃあさ、ちょっくら合宿所の鏡でも全部割っとく?」
「止めとけ、鳴海が泣くぞ」
「水野もだったりして」
「あるある」


遠くの空が白く染まり始めた。互いに無言のまま、昇ってくる太陽から目を逸らす。
もしも空に届くでっかいクレヨンがあったら、きっと俺もこいつも同じ色で塗り潰すんだろうなと思ったらわらえた。


「そろそろ戻るか。朝シャンしてえ」
「何時から使えんだっけ?」
「知らね。暇だしあいつらの顔に落書きでもしとく?」
「真田泣きそう」
「渋沢に書いたらどうなっかなー」
「想像できない」
「俺も」


ぺたぺたとビーサンを鳴らして、口笛なんか吹きながら明るみ始めた世界に背を向ける。

一瞬だけぶつかった黒の奥で、鏡の世界の俺がつまらなそうに顔を歪めた。




暗黙殺人


加害者も被害者も俺。終えることなく繰り返す。






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並々と注がれた液体がいつ零れても可笑しくない若菜くんと、ヒビが入ったコップが満たされない藤代くんのお話。