ちゃん、ゆびきりしよう」
「ゆびきり?」
「うん」

恐る恐る伸ばした左手の小指だけをぴんと立てる。
にっこり笑った将ちゃんは、同じようにぴんと立てた左手の小指をわたしのそれと絡めた。

「今だけは、ぼくがちゃんの運命の人だよ」
「…今だけ?」
「うん。今だけ」

優しい声に泣きたくなる。
瞳の奥の奥にある小さなスクリーンで始まった上映会
映しだされるのは、ゆっくりと解かれて行くわたしの記憶のかけら。




うそつき。何度も何度も耳にした言葉だ。
どうしてかなんて自分でもわからないけれど、わたしの口は気がつけば嘘を紡ぐ。
きっと癖なんだと思う。それもとっても悪い癖。
誰かを助ける嘘を紡いでくれるときもあるけれど、その反対で傷つける嘘を紡ぐときも多い。
どうしてかなんて自分でもわからない。ほんとうに悪い癖。悪い口。

うそつきなわたしには友達がいない。
少ないんじゃなくて、いないのだ。
学校ではいつもひとりだし、グループを作るときはいつも余る。
いじめられてはいないけど、好かれてもいないのだ。
これも全部、わたしの口が嘘を紡ぐからいけないんだよ。

うそつきなわたしに、言葉が足りないだけだよ。と笑ってくれるのはただひとり。


ちゃん」

ぱたぱたと言う足音が近づいてきて、耳慣れた声が降る。
わたしの顔を横から覗き込むようにひょこっと出てきたのは、将ちゃんの顔。
突然目の前に顔が現れたりしたら普通は驚くんだろうけど、わたしは驚いたりしない。
だって将ちゃんだもん。将ちゃんは特別。友達がいないわたしの、特別な人。


「一緒に帰ろう」
「部活はいいの?」
「うん。今日は早く終わったんだ」

にっこりと笑った将ちゃんにわたしは少しだけ考えて、でもこくりと頷く。
将ちゃんは人気者だ。口にすれば慌てて首を横に振るけど、でも人気者だと思う。
ほんとうは、部活の人たちはいいの?って訊きたかったんだけど、将ちゃんが笑っているからもういいや。

ふたり並んで歩く道は、いつもより優しい匂いがする。
きっとこれは将ちゃんの仕業だ。
内緒だけど、わたしは昔から将ちゃんは魔法使いだと思っている。
将ちゃんが笑えば空気が優しくなって、将ちゃんが触れたものはみんな温かくなる。

わたしの口も、将ちゃんと一緒にいれば嘘を紡がなくなるかもしれない。

もしかしたら、わたしが将ちゃんと一緒にいる一番の理由はそれかもしれないなあ。
自分のことばかりで嫌になる。優しい将ちゃんに甘えて、わたしはここから動こうとしない。


「功兄から聞いたんだけど、昨日おばさんから電話があったんだってね」
「…うん」
「おばさん何か言ってた?」
「迷惑かけないようにしなさいって。それだけだよ」
「そっか」

ほら、まただ。
どうしてなんだろう。どうしてわたしの口は、するすると嘘を紡いでしまうんだろう。
お母さんはね、戻って来なさいって言ったんだよ。
いつまで駄々をこねてるつもりだって。会わなきゃだめだって。逃げてたって無駄だって。
迷惑をかけちゃだめだって言ったのは、わたしが最後まで返事をしなかったからなんだよ。

少しだけ泣きそうになってぎゅっと口を結ぶ。
いつだってわたしと同じ速さで歩いてくれる将ちゃんは、ゆっくりとペースを落とした。


「…将ちゃん?」
「ねぇちゃん。ゆびきりしよっか?」
「ゆびきり?」
「うん、ゆびきり」

将ちゃんのことは大好きだ。だけど、ゆびきりは……。
何も言わずに俯いたわたしに、将ちゃんはふわりと笑う。
見えないけどわかったよ。だって、風が優しくわたしの髪を揺らしたから。

ゆびきりは約束をするための行為だ。
わたしはうそつきだから、ゆびきりをしたって約束なんて守れない。
大好きな将ちゃん。大好きだけど、それでもわたしはうそつきだから。

守れない約束はしたくない。
破ってしまうとわかっていて約束なんてできない。

ぎゅっと丸めた手のひらに温かな手が重なる。
辿るように視線を上げて、優しい顔をした将ちゃんをしっかりと瞳に映す。
そうして将ちゃんの温かな手が、わたしの小指をそっと解く。
気づいたときにはもう、丸めていた指の、一番小さなそれだけがぴんと立っていた。


「ねぇちゃん、指にはいろんな意味があるんだよ」
「意味…?」
「うん。左と右でそれぞれ違うから、全部で10個の意味」

そうっと持ち上げられたのは、わたしの左手。
一本だけ立った小指に、将ちゃんの小指が優しく絡まる。


「左手の小指は願いを叶える指」


忘れちゃった?少しだけ首を倒して、笑う。
繋がった小指をじっと見つめて、解かれて行く記憶にじんわりと瞳が熱を持つ。
…そうか、そうだった。ずっとずっと昔にわたしが言ったんだ。


「……将ちゃんの赤い糸の先がわたしじゃなくても、小指を結んでいる今は、誰よりもわたしが将ちゃんに近い」
「うん。だから今だけは、ぼくがちゃんの運命の人だよ」
「…いま、だけ?」

ぽろりぽろり、瞳から零れるあめはしょっぱい。
将ちゃんは知ってるんだ。昨日の電話の内容も、どうしてわたしが家に帰らないのかも、ぜんぶ。


「こうしてたら、いつかほんとうに、わたしがっ…将ちゃんの運命の人になれるかなあ」


いつかは帰らないといけない。そして会わなければいけない。
わたしの特別は将ちゃんで、小指から延びる赤い糸の先が将ちゃんに向かっていたとしても、わたしはそれを結んではいけないんだ。
将ちゃんは全部知ってるんだね。知ってるから、今だけだって笑うんだね。
自分のことばかりのわたしとは違って、将ちゃんは優しいから。

繋がった指、結んだ小指

いつかは離さなければいけない、解かなければいけない。
それでもどうか今だけは。強く強く、願いを籠めて絡めた小指に力を込める。
同じだけの強さが返ってきて、ぽろり。しょっぱいあめがまた一つ。


「帰ろっか」
「うん。…手、このままじゃだめ?」
「うーん、これだと歩きにくくて危ないから…」

将ちゃんの温度が消えて冷たくなった小指。
だけどすぐに、丸めたままだった残りの4つも包むように将ちゃんの右手が触れる。

「これなら大丈夫」

だいじょうぶ、口の中で繰り返して、ぎゅっと左手を重ねる。
嘘ばかり紡ぐわたしの口とは違って、将ちゃんの口が紡ぐのは温かな魔法。
にっこり笑った将ちゃんにわたしも精いっぱいの笑顔を浮かべ、まずは一歩。歩き出す。

わたしはいつまでここにいられるのかな。
最大の我儘を、いつまで許してもらえるんだろう。

うそつきなわたしにゆびきりの魔法は効かないけれど――。

今だけでいい。誰よりも近くにいられる今だけは、特別でいたい。
だからお願い、とびきりの嘘を紡いで。



*



「……将ちゃんは変わらないね」
「そうかな?」
「うん、変わらない。嘘でもいいから、わたしが運命の人だって言いきってほしかったよ」

瞼の裏の小さなスクリーンには、もうなにも映っていない。
その代わり、目の前で笑うわたしの特別な人をしっかりと映す。

「ごめん。でも嘘はつけないから」
「知ってる。将ちゃんは正直者だもん。…ほんとうに昔から変わらないなあ。魔法使いで、特別で」
「魔法使い?」
「うん。将ちゃんの言葉にはね、魔法があるんだよ」
「……それじゃあ叶うかな」
「え?」

「俺の運命の人は、だけだよ」


繋がったままの指に、ぽろり。しょっぱいあめが降る。


小指にかけられた魔法






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うそつきが愛した魔法使いのお話。