心の奥の奥のずっと奥にとても暗い場所があって、でもそれだけじゃまだ足りなくて、深く深くに沈めたあたしの一部。
もう二度と出てこないように、見えないように、触れてしまわないように隠したのに、なんでなくなってくれないんだろう。
消せないから隠したんだよ。苦しいんだよ。お願いだから、これ以上思い出させないで。






「…俺は、あんたの傍にも居てやりたかったんだよ」




言の葉一つ、木の葉に落ちた






涙が出そうだった。うれしくて、死にたくなった。
だって、それでもあたしは選んでもらえなかったんだもん。

…だけど、ほんとはわかってる。最初から勝負にもなってなかった。

こわくて、恥ずかしくて、「そばにいて」なんて言えなかった。
可愛い女の子にはどうしてもなれなかったあたしは、ずるくて、汚い。
物分かりのいいふりをして、二人が結ばれたことが、あの子が笑顔でいられることが嬉しいんだと笑う。のに、苦しい。
選ばれたかった、選んでほしかった。あたしを、好きになってほしかった。
もっと早くちゃんと伝えていたら、あの時動いてたら、選ばれたのはあたしだったかもしれない。
ぐるぐる、ぐるぐる、そんなことばっかり考えちゃうんだよ。

でも、嘘じゃないの。あの子のこと好きなのも、幸せになってほしい、わらっててほしいって思ったのも、嘘じゃないんだよ。 ほんとなんだよ。だけどむりなんだ。
話すと苦しいんだ。刺さっちゃうんだ。
安心させてあげたいのに、いたくていたくて、言葉が出てこないんだよ。

だからもう、忘れてほしい。最初から全部、なかったことにしてほしい。
あたしの存在ごとぜんぶ、消えてなくなっちゃいたい。

消して、消えて、いらないから、いらなかったから、間違ってたから、うそだから、



たすけて



「何してるの」


震えを抑え込んだような声だった。
顔を上げ、目を合わせればゆっくりと此方にやって来る。


「風で飛ばされてたから」


重ねたメモ用紙に一瞥をくれて再び正面を見ると、困ったように息が落ちる。


「小説のメモなんだ」
「え?」
「それ。見たんでしょ」
「…うん。勝手にごめん」
「いいよ。机に置いたままだったこっちも悪いから。それに全部は読めてないだろうし」


ボールペンで書き殴った文字はとても綺麗なものではなくて、所々原型を失っているので解読は困難だ。


「たすけて」
「え?」
「最後、『たすけて』って書いてあったでしょ」
「うん」
「この子、どうなるの?」
「……」


問いの答えは沈黙。吹き付ける風が窓をガタガタと揺らした。


「風が強いから、暗くなる前に帰った方がいいよ」


話はこれで終わり。
メモ用紙に視線を落とすと、「あぁ」、短く息を逃がす。


「あげる」
「え?」
「その子がどうなるか気になるんでしょ?あげるから、続きは好きにしていいよ」
「…」
「何?」
「書いた本人じゃない人に言われても困る」
「気付いてたんだ?」
「うん。知ってる字だから」
「…そう」
「うん」
「…何でって、聞かないの?」
「え?…あぁ、別に。いいかなって」


くしゃり、
メモ用紙が音を立てて存在を主張する。潰された音。


「怒った?」
「何で?」


くしゃり、
笑って。真っ白い紙に黒々と吐き出された心を握り潰す。


「風が強いから暗くなる前に帰った方がいいよね?」
「うん。看板が飛んでくるかもしれないし」
「うん。窓が割れるかもしれないし」


互いに目を細めて、どちらともなく視線を外す。


「さようなら、さん」
「さようなら、郭くん」


きっともう二度と交わらないだろう。








事の刃一つ、この端に落ちた




くしゃくしゃになった彼女の心を、びりびりにして風に流した。








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酷い人たちのお話。
一応正解はありますが、視点も行動も、どっちがどっちなのかはお好きにどうぞ。