「たのもー」 「…は?」 放課後。いつものようにサッカー部の部室に行き、続々と集まって来る部員達とクダラナイ言葉を投げ合いながら 着替えを済ませて、さあグラウンドへと爪先が扉を向いたその時、ガチャリとノブが回る音に少し遅れて間延びした声が響いた所為で 動きを止めたのは俺だけでなく、我らがキャプテンまでもが間の抜けた音を零した。 「あ、サッカー部の皆さんこんにちは。これから部活ですか?精が出ますねえ」 「こんにちはじゃないよ。全員着替え終わってたから良かったけど、 関係者でもない人間がノックもせずに入って来るなんて非常識にも程がある」 「まあまあ椎名先輩落ち着いて」 「誰の所為だと?」 「細かいこと気にしてるとモテないですよー。あ、でも先輩の場合モテない方が嬉しいんですかねえ?」 さらりと髪が左に流れる。 疑問符とともに首を傾げた姿に一つ息を落とし、「」。名前を呼べば途端に目を輝かせてこっちを見た。 「そうだ!わたし黒川さん家の柾輝くんに用があったんだ。…ということでサッカー部の皆さん、柾輝は今日部活休みます」 「なにその接続詞意味わかんない」 「残念ながら先輩と遊んでる暇はないんですよー」 「…あのさあ、」 米神辺りを指で押さえた翼に直樹達が慌てて耳を塞いだが、吸い込んだ息はマシンガンに変わることなく深く深く吐き出されただけだった。 珍しいと顔を見合わせる六助達に一瞥をくれて、翼は俺と目を合わせる。 「部活が始められないからこのバカの相手は柾輝一人でして」 「…良いのか」 「良いよ。今日だけだし」 「悪いな」 「ほらお前らさっさと行くよ」 ぞろぞろと出て行く最後の一人が少し悩んでから扉を閉めると、さっきまでの騒がしさが嘘のように部室は静まり返る。 「で、どうした?」 閉じた扉を眺めている背中に問えば、くるりと振り返ったは満面の笑みを浮かべて 「うん。遊園地行こう!」 弾けた声に思考が一瞬固まったのは仕方がない。 *** 「次はメリーゴーランドねっ!」 目を瞑っているから早く着替えろと言葉通り両目をきゅっと閉じて数を数え始めたに外で待ってろと告げるのを諦め脱いだばかりの制服に袖を通せば、後はもう言われるままに。 楽しそうに俺の腕を引くは休むことを忘れたように次々とアトラクションを制覇していくのだが、 付き合わされるこっちの身にもなってくれ。 「ちょっとは遠慮とかねえの?」 「なにが?」 「普通、思春期の野郎をコーヒーカップやらメリーゴーランドやら乗せるか?」 「だって柾輝だもん」 「…しょうがねえな」 俺も大概こいつに甘い。 うちの怪獣どものお陰で俺にメルヘンな乗り物の耐性があることをは知っている。 「それに、可愛い物に乗ってる柾輝を見て楽しむっていう斬新な遊びもしたいし」 「次お化け屋敷行くぞ」 「え、やだやだごめん!」 くるくると表情を変えるの頭に手を置いてくしゃりと髪を撫でると、くすぐったそうに目を細めた。 *** これで最後にしようと腕を引かれるまま乗り込んだゴンドラはゆっくりゆっくり天辺を目指す。 流石にはしゃぎ疲れたのだろう、静かに外を眺めているが、「あのね」、ぽつりと溶けそうな声を紡ぐ。 「今日、付き合ってくれてありがとう。折角の午前授業だったのに、部活休ませてごめんね」 「気にすんな。でも二度目はねえぞ。流石に翼が許さねえだろうし」 「うん。今日だけだから」 オレンジ色の柔らかな光が硝子から射し込んでの髪を明るく染める。 キラリと目許が光ったように見えたのは、きっと反射の所為だろう。 「わたしね、柾輝に言わなきゃいけないことがあるよ」 「ん?」 「うん、あのね、」 眩しそうに目を細めた横顔がゆっくりと振り返る。 「わたし、引っ越すの」 時間が止まったのかと思った。 だけどゴンドラから見える景色は少しずつではあるがしっかりと変わっていて、俺の勘違いだと知る。 「…いつ?」 「明日」 「…、…そりゃまた急な話だな」 「そうでもないよ?半年くらい前にはもう知ってた」 「俺は今知った」 「うん。今言ったからね」 大事な話をする時、は絶対に目を逸らさない。 真っ直ぐ過ぎるその目に逃げ出したくなるのはいつも俺の方なんだ。 「なんで黙ってた」 「しんみりするの嫌いだもん。知ってたのは先生と、あと、椎名先輩だけかな」 「翼?」 「うん。職員室で話してたの聞かれちゃった」 肩を竦めて見せるに、だからあの時珍しく文句を言わなかったのだと数時間前の記憶を呼び戻す。 「今日だけ」とは、つまりそのままの意味で、 「わたしね、難しいことはあんまり考えないで過ごしてたでしょう?嫌なことあっても寝たらすぐ忘れたし」 「…だな」 「だから今、生まれて初めて、明日が来なければ良いって思ってるよ」 柔らかく細められた瞳に灯る強い光に息を呑む。 「ねえ柾輝。このまま二人で逃げちゃおっか?」 オレンジ色の炎はゆっくりと落とされた目蓋に隠れ、次に現れた時にはもうその色を変えていた。 (…なにか。なにか言わねえと。) 微かに震える唇を強引に抉じ開けるも、息を吸うと同時に目の前のがふにゃりと笑う。 「うーそ!冗談だよ。椎名先輩とか絶対すごい怒るもん。無理に決まってる」 「……、俺は、」 「いいよ柾輝。仕方ないんだよ。わたしはまだ子供で、柾輝だってやっぱり子供で、ただの中学生なの」 子供だと告げたその口で大人みたいな笑みを象る。 が本音を押し殺すのなら、これ以上俺になにが言えるだろう。 「あ、見て柾輝!もうちょっとで天辺だよ」 俺の後ろを示すの指先を辿って首だけを回すと、一つ前のゴンドラが下降し始めるのが見えた。 一番上まで上ったら、後はもう下りるだけ。 当たり前のことなのに胸がざわついたのは、きっと全部の所為だ。 とん、と肩に触れた指が手のひらになり、腕になる。 ゆっくりと首に絡み付いた両腕にそっと手を添え、反対の手で強引に背中を引き寄せれば 耳元で小さな悲鳴が響き、腕の中の身体が強ばった。 「ねえ、重くない?」 「重いな」 「そこは嘘でもそんなことないって言ってよー」 吐息交じりの声を転がして俺の髪を軽く引っ張るの肩に目蓋を押し付けて、俺の身体に載っている重みを想う。 という、ただ一人の大切な存在。 軽い筈がないだろ。代わりなんていねえんだ。 深く鼻から息を吸い込めば、胸いっぱいに広がる慣れ親しんだ匂いに目蓋の奥が熱くなったけど、深く深く吐き出した息とともに押し込んだ。 *** 「送ってくれてありがと」 「ん。見送りいるか?」 「大丈夫。明日も朝から部活でしょ?今日休んだのに遅刻したら怒られちゃうよ」 「そうか」 「うん。…じゃあ、ばいばい」 「元気でな」 笑って手を振るの髪をくしゃりと撫でて背を向けた。 味気ない別れだ。最後の瞬間まで俺達らしいっちゃらしいけど。 オレンジ色の眩しさに目を細め、少し前までは確かにあった手のひらの感触を忘れないように、ぎゅっと強く握り締めた。 「 」 ゆっくりと遠ざかる背中が、このまま夕焼けに焦がされてしまえばいいのに。 …あのね、柾輝。今まで何の疑いもなく、ずっと一緒にいられると思ってたの。 どんな関係でも良い。ただ、手を伸ばせば届く距離に柾輝がいて、わたしが呼べば必ず振り返ってくれる。 それだけで良かったのに。じゅうぶんだったのに。 今まで過ごした日々を、一緒に笑った幸せな瞬間を、いつまで抱きしめていられるんだろうね。 明日なんてなければ良かった。柾輝のいない未来なんて欲しくなかった。 だけど、…だけど、そんなこと言ったら柾輝は困った顔で笑うでしょう? だから全部連れて行くね。嬉しかったことも悲しかったことも全部、わたしが持って行くね。 だけどどうか、わたしがいない明日を生きる柾輝が、幸せになんかなりませんように。 「さよなら」 -------------------------------------------- 幼すぎた二人のお話。 |