転校してきた最初こそ猫を被ってたけど、それは一ヶ月も持たなかったと思う。
…あ、でも一部の男子(井上くんとか井上くんとか…井上くんとか?)には初日から剥ぎ取ってたかな?
とにかく、それが一年以上経った今なら尚更で――。



「椎名くん、キスアンドクライって知ってるかい?」
「気持ち悪いんだけど」
「あ、この口調アウト?んで答えは?」
「…スケートで演技後に採点結果を待つ場所」
「さっすが椎名、博識だねー。ちなみに由来は?」
「喜びと悲しみが交錯する場所だから」
「ビンゴー」



昨日の帰りに交わした言葉を思い出しながら、開きっぱなしになっている教室の扉を潜る。
必然的に視線に映り込んだ隣の席の彼は、机の上に置かれた大量の貢物という名のチョコレートを前にこれでもかというほど顔を歪めていた。
なんていうか、それでも人に見せられない顔にはならないんだから得だと思う。ベースの違いって残酷だ。
そんなことを考えていれば、くるりと振り返った大きな瞳とぶつかる。相変わらず不機嫌そうだなぁ。


「これなに」
「椎名への貢物という名のチョコレートの山」
「いらないんだけど」
「そう言われると思っての行動なんじゃない?」


直接渡せば断られるのは目に見えてる。
日頃のお呼び出しの対応等々、彼の行動を遠目から見つめている女の子たちにすれば手渡しなんて以ての外だとわかったのだろう。
学習してるなぁ…。流石椎名ファン、アイドルが賢ければファンもファンだ。
類は友を呼ぶってこういう時に使うもの?…え、違う?
椎名が物凄く嫌そうな顔をしたので違うんだろう。うん、一つ賢くなったぞ。


「これじゃ僕座れないんだけど。迷惑だってわかんないわけ」
「紙袋いる?」
「いらねぇよ」
「でも今日くらい受け取ってあげてもいいんじゃないでしょーか」
「受け取るもなにも渡されてもないんだけど」
「だって渡されたら断るでしょ?」
「当然」


あ、今クラス中の女の子が溜息ついた。ドンマイ。
今日という日のために数多くの女の子が頑張ったんだろうけど、容赦ない椎名のお陰で散々だ。
待っててね、せめて机に置いてあるのだけでも持って帰らせるから。
可愛い女の子たちの勇気を無駄にするわけにはいきません。
ぐっと拳を握ればそれに気づいた椎名が怪訝そうに眉を寄せた。ナンデモナイデスキニシナイデー。


「ねぇこれどうにかしてよ」
「何故にわたくしめにそのようなことをお頼みなさるんでしょうか?」
「その文法正しいの?」
「現代人だからわかりません」
「馬鹿だろ」
「知ってるー」
「…、まあいいや。何とかして」
「手始めにこの紙袋を使ってみればいいと思うの」
「持って帰らせる気だろ」
「……よし、詰めよう!ちゃっちゃと詰めよう!」


既にスタンバイしてあった紙袋の口を広げて椎名の机の上や中を占領していた多種多様の包みや箱を詰めていく。
その間この席の主は一切手を出そうとしない。流石女王様、態度がデカイ。

教室の一角で密やかに…でもないけど、とにかく普段通りの音量で会話をしていたにも関わらず、
気づけばクラス中というか、廊下にいる女の子たちからの熱い視線を二人占めしているこの事実…!
本来なら椎名にだけ注がれる筈の視線があたしにまで浴びせられてるのはあれですよ、お願い頑張ってさんっていう女の子たちからのエールですね、ハイ。

女の子の無言の声援を一身に浴びながら紙袋をいっぱいにしたところで机の上が綺麗になった。
ちなみに彼のアイドルは何を言うわけでもなく当然のように席に着きました。
勝手にやったのはわかってるけど、せめてありがとうの一言くらいあってもいいと思いませんか?あ、違うのね。そう。
にっこりと愛らしく微笑んだ女王様から目を逸らす。所詮一般市民が王族に楯突こうなんて無理があるんです。


「あのさ椎名、全部一人で食べろとは言わないからせめて持って帰ってあげたら?」
「なんで」
「だってバレンタインだし。それに多分お返しが欲しいとか思ってないと思うよ」
「……他は断るのにこれだけ受け取るわけにはいかないだろ。まさか全部受け取れって言うの?」
「直接渡す勇気のある子がいるんだったら是非」


視界の隅で女の子たちがこくこくと頷いた。…あの、首大丈夫?痛くならない?
椎名ファンには常識のある子が多いのかそれとも去年のとある事件のお陰が、椎名の下駄箱は無事だったらしい。
汚れたものを入れる場所に食べ物いれるとか頭可笑しいんじゃないの。――と、登校時にブチギレたという伝説を思い出す。般若がいた。ちなみに下校時の下駄箱は無事だった。流石です。
しかもその後の教室で机の上を占領していた貢物を腕で払い落したらしい。いくら怒り心頭だといっても酷過ぎる。
…ま、落したそれらは良心的な畑くんと良心的なのかよくわかんないけど井上くんがせっせと拾い集めてくれたらしい。踏まれなくて良かったです。

微妙に話がずれたけど、とにかく椎名にチョコを渡すなら机に置くか手渡しかの二択が主だ。最終手段が自宅のポストかな。
てかあの二人がいればあたしが頑張らなくてもいいのに。…寝坊ですか?早く来ないかなー。
気づかれないように溜息をついて、相変わらず不機嫌な椎名を見る。


「これ一つだけなんだからそんなに荷物にもならないでしょ?何なら井上くんにでも持たせればいいし」


ていうか、彼なら食べてもくれると思うの。…あ、畑くんの弟くんもかな?
持ち帰るのも面倒ならいっそのことサッカー部への差し入れにでもしてしまえばいい。
ちょっと酷いかもしれないけど、女の子たちにとって一番大事なのは椎名が受け取ったという事実なんだから。

ちなみに椎名へのチョコが手作りより市販のが多いのはあれです、見知らぬ人間からの手作りなんて怖くて食えねぇよ。――と、一年前に般若がのたまったから。
それでも手作りがあるのはあれだよね、愛だよ、愛。…あ、見知らぬ人間からの愛なんていらない?そんなこと言うと他の男子が可哀想すぎるから止めたげて。
ぐぐっと紙袋を差し出して睨み合うこと数秒。一度目を伏せた椎名から大きな大きな溜息。


「…今日だけだよ」
「さっすが椎名。男前だねー」
「思ってもないくせに」
「いやいやそんな。その証拠にあたしからも貢物でございます」
「中身は?」
「市販のビターチョコ」
「ふうん。もらっとくよ」


紙袋を手渡すついでにその中にあたしからの貢物を入れようとしたけど、それは伸びてきた手に阻止された。
茶色い包みの箱はそのまま椎名の鞄の中へ。……あれれ、女の子たちからの視線が、なんかちょっと痛くなったのは…気のせい?



kiss and cry

(泣いても笑っても女の子にとっては特別な一日)







--------------------------------------------

季節はずれにもほどがあるバレンタインのお話(現在10月)
名前変換が全くなくてごめんなさい。