「好きな物を嫌いになるのってどんな気分?」


机の上に両腕を横たえ、重ねた両手に顎を載せ、こてん。
頬をぺったりと押し付けるように頭を右に傾けた藤代は、視線だけで隣を見上げる。


「なあ、どんな気分?」


しなやかに眼を細めたソレは確かに邪気の無い笑顔ではあったが、どうしたことか向けられた笠井の首筋には、ツゥ、と汗が伝った。
カチカチ。意味もなくシャーペンをノックしたのは頭の片隅でチカチカと点滅する危険信号を追い払う為であったかもしれない。


「どんなって、何が?」
「だから、好きな物を嫌いになった時の気持ちだってば」
「…何で俺に聞くの?」

「だって笠井、サッカー嫌いじゃん」


今日の天気は晴れです。とでも言うように、藤代はそれが当たり前だと言わんばかりの顔で告げた。
思わず目を瞠ったのは笠井で、五秒遅れて猫目と称される(本人に言うと解っていないのか眉を寄せるが)両の目をぱちぱちと瞬かせるのだ。

笠井と藤代は今年の四月に武蔵森学園中等部に入学した一年生で、
境遇は違えどどちらも頭に「強豪」と付くサッカー部に所属するチームメイトではあるが、
飽く迄チームメイトな彼らはそれ以上でも以下でもない、面識があるだけで友人と呼ぶには薄っぺらい関係だった。
そもそも入部当初から一軍でレギュラーとして活躍している藤代と二軍である自分とでは違うのだと、笠井は思っている。
では何故、接点の少ない二人が今同じ空間に納まっているのか。
筆箱とプリントを手に「課題が終わらない写させてくれ」と藤代が笠井の自室に転がりこんで来たのが十分程前だったろうか、
定かではないが二人が共有している正確な時間を求めているわけではないので問題はないし、
今最優先して解くべき問題はプリントに羅列する計算式でもない。

――今、彼は何と言った?


「どういう意味?」
「どーゆーって、そのまんま?」
「……俺、サッカー部なんだけど」
「知ってるってー。俺もサッカー部だし」


「入部して何ヶ月経ったと思ってンの」。斜め下から響く楽しげな笑い声に笠井は益々眉根を寄せる。
課題を写す目的で来た藤代に「質問には答えてやるから自力で解け」と言ったのは確かに笠井であったが、
先程から投げられる質問は笠井が意図したそれとは大幅にずれている。
開始早々に机に両腕を投げ出した藤代に課題と向き合う気がないのはわかってはいたが、それにしても、だ。


「…」


何より笠井には藤代の言葉の意味が理解出来なかった。
―否、正確には理解したくなかった。

嫌いな物に力を注げるような特殊な性格はしていない笠井が 休みなど無いに等しい日々の猛練習に喰らいついているのは偏に彼がサッカーを好きだからだ。
いつかは自分も、と一軍でレギュラーになる夢を描いて練習に明け暮れているのだ。
それなのに、何故。


「あれ?もしかして気付いてなかった?」


何が、 問おうにも口の中がカラカラで声にならない。
大して厚くもない壁の向こうからは賑やかな声が漏れてくるが、二人きりの部屋に降るのは藤代の明るい声のみ。
この男を人懐こい犬のようだと喩えたのは誰であったか。
笠井は一人当てもない思考を巡らせては隣の勉強机に伏せっている男の重圧から少しでも逃れようとしていた。

愛玩犬なんて可愛らしい物じゃない。これはもっと獰猛な生き物だ。
(そもそもサイズが大きいので本人がじゃれるつもりで飛び掛かっても威力は凄まじいのだが。)


「、……さっきから何が言いたいの?」


細心の注意を払って絞り出した声を、藤代は一笑する。
きっと注意をしなければ震えてしまっただろう。それは怒りか、恐怖か、


「俺さ、何でお前がサッカーやってンのかわかんないんだよね」

「……、は、」
「だっていっつもつまんなそうな顔してンじゃん。最初はもっとキラキラでギラギラしてたのに、最近のお前、何?いつも何考えて練習してんの?」
「な、にって、…一軍になって、試合に出れるように、……」
「ソレ、本気?一軍に上がりたいって本気で思ってる?三軍落ちしないようにってただそれしか考えてなくない?」
「ッ、」
「今のお前、つまんない。サッカーやってても全然楽しそうじゃない」
「そっ!……ッ、」


そんなことない! 言葉は喉で痞えどろりと落ちた。

違うと強く言えないのは笠井も何処かで気付いていたからだろう。
世間には「好きこそ物の上手なれ」なんて言う言葉があるが、何事にも限界がある。
好きなだけじゃ、ただ好きなだけではどうにもならない。上を目指したいのに現実を目の当たりにして足が竦む。
向上心はいつしか萎み、最後に残った意地や誰に対してかもわからない義務感から動けずにいるだけなのだ。

藤代の言葉を否定したい自分と、見抜かれていたことへの羞恥で赤くなった笠井に藤代はまた邪気の無い笑顔を向ける。


「笠井って俺のこと嫌いでしょ?」
「……え?」
「でも俺お前のこと好きだからさ、友達になろうよ」
「………は?」
「はって何だよー。いーじゃん友達!そんで一緒にサッカーしよ」
「……」
「聞いてる?」
「……意味がわからない」
「え、何で?そのまんまじゃん」
「藤代って、何?宇宙人?日本語出来ないの?」
「はああ!?何言ってんの俺フツーに人間だし日本人だし日本語ぺらぺらだし!!」


ガタンッ、机に両手を付いて勢い良く立ち上がった藤代が容易く数歩分の距離を埋め、
笠井の机にバン!と両手を叩いて捲し立てる。
喧しいとばかりに眉根を寄せた笠井は、けれどくしゃりとその顔を歪めた。


「、ック…ハハッ!」
「あっ何笑ってンだよ!」
「だ、って、おま、…人に喧嘩売っといて、友達になろうって…っ」
「俺別に喧嘩なんて売ってなくね?てか笠井ひでぇ。本気なのにー」


ぷくっと頬を膨らめ唇を尖らせた藤代は年相応…否、より幼く見える。
ちぐはぐな彼の姿に笠井は目尻に滲んだ涙を手の甲で拭い、漸く落ち着いてきた呼吸に音を載せる。


「友達になろうとか普通言わないし。そもそもサッカー嫌いな人間にサッカーしようって、ばか?」
「ばかじゃないっ!」


身を乗り出して噛みついた藤代に思わず仰け反り、笠井はやはり解せないとばかりに首を傾ぐ。


「つまり藤代は何がしたいの?」
「だから友達、」
「になって一緒にサッカーしたいのはわかったから、何でその流れになったの?」
「ポテチ食い過ぎてもう嫌い!ってなっても暫くすっとまた食べたくなるじゃん?」
「は?」
「だーかーらー!笠井も今はサッカー嫌いでもまた絶対好きになるってこと!」
「……うん?」
「だって俺一回好きになったら多分一生好きだもん」
「それは藤代の考えだろ」
「笠井も同じだって。もー課題とかどーでもいーからサッカーしよ!で、俺のスーパーテク間近で見て嫉妬して俺だってやってやるぞ!ってなればいーじゃんっ」




青春ライン


「……、やっぱお前ばか」
「はああっ!?」







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憧れと嫉妬が混ざって身動きが取れなくなっちゃった笠井くんと、純粋に毒を吐くお子様な藤代くんの話。