ばたばたと音を響かせて家の中を駆け回る。 この家に住む全員が自由に出入りできる一番大きな部屋へ続く扉を開け、 あたしの私物(ではないけど)にゆるりと腰を掛けている茶色い頭を見つけて声を掛ける。 「あっ竜也!猫知らない?普通より若干大きめの!」 「猫…?知らないけど、どうかしたのか?」 「いや、ちょっとね。……にしてもあの猫、懐きゃしねー」 知らないという言葉に少しだけ肩を落として、無駄な体力を使うことになった元凶に恨みごとを呟く。 どこ行きやがったあの猫!隠すことなく舌打ちをすれば、首だけで振り返った状態の竜也が面白そうに首を傾げた。 「に懐かない猫なんて珍しいな。野良猫?」 「ううん、家猫。血統書付きのね」 「…仕事で盗ってきたとか?」 「ううん。成り行きで拾ってきた。てか竜也も見たことあるでしょ?」 「いや、そんな綺麗な猫見てないし、そもそもこの辺りにいる筈もないだろ」 「えー見たよ。だってこの間みんなに紹介したもん」 「……なあ、その猫ってほんとに猫?名前は?」 「笠井。それしか言わないから下は知らないなー」 「……、、お前それ猫じゃなくて人間だろ」 「だって猫目だし懐かないし警戒心強いし」 「だってじゃない。動物と人間を一緒にするな」 「人間だって動物の一種じゃんか」 「屁理屈言うなよ」 「えー」 「文句言うなら何も教えない」 眉を吊り上げた生真面目な少年に気づかれないように溜息を一つ。 仕方ない。こいつに冗談が通じないのは今に始まったことじゃないし。 ソファーの背もたれに後ろから寄り掛かりつつ肘を乗せて、座っているからあたしの目線より低い位置にある竜也の目をしっかりと見る。 我ながら精一杯の真面目ですアピールだ。 「竜也くん、笠井少年を見ませんでしたか?」 「笠井ならちょっと前に出てったよ」 「―出てったって外に?一人で?」 「いや、確か……設楽が一緒だった気が、」 飛び出してきた野良猫の名前に全身から力を抜く。 あたしに釣られて一瞬だけ気を張っていた竜也も、小さく息を零してソファーに体を埋めた。 「…なにその猫コンビ。てかなんで止めないのさ」 「設楽が一緒なら平気だと思って。あいつなら無茶はしないし、そんな遠くにも行かないだろ?」 「まあそうだけど…でもさあ、笠井は止めようよ。あの子血統書付きなんだからさー」 「真田だって散歩くらい行けるぞ」 「一馬は良いの。解決済みだし元々負けん気が強いから」 「笠井は?」 「あの子はしっかりしてそうに見えて根が脆い。ちょっと間違えたらぽきっといくタイプ」 「へえ。逆に見えたのにな」 「二人が?…てか、何でたっちゃんはそんな平然としてるわけ?」 心配性のくせに。声に出す代わりに少しだけ眉を寄せる。 一見おとぎ話とやらに出てくる王子様みたいに整った容姿のこの男、王子は王子でも性格に雄々しさが欠ける。 女々しいってわけでもないけど、何だろう…思い切りが悪いというか、度胸が足りないというか、 中身だけの話ならば王子というより王子の世話係?いつか大出世することを願ってるよ。 「設楽が…」 「兵助が、なに?」 「……鳴海で遊んでくるって」 「なーんだ。あいつのとこ行っただけか。最初からそう言ってくれれば妙な心配しなくて済んだのに」 「鳴海の心配はしないのか?」 「商売敵がどうなろうと知ったこっちゃないし。寧ろ、兵助は心行くまであいつで遊べば良い」 ガタイの良い男を思い浮かべてにやりと笑う。 相変わらず首だけで振り返ったままの竜也は、何だか複雑そうな表情を浮かべた。 「竜也はさ、」 「なに?」 「初めてここに来た時、どう思った?」 「…笠井の態度気にしてるんだ?」 「質問を質問で返さない」 叱りつけるようにぴしゃりと言い放ったのに、生真面目な少年は反省するどころか面白そうに笑う始末。 うっわ何これ可愛くない。思わずむっと顔を顰める。 そんなあたしに竜也はまた笑って、中途半端に振り返っていた首を正しい位置へと戻した。 「―あり得ないと思った。俺が住んでた場所とは比べようがない場所で、知識としては知ってたけど実際に存在するとは思ってなかったから」 何もしなくても食事が出て、風呂の用意がされてる。 明日が来るのが当たり前の世界で育った俺には、こんな場所で生きていける筈がないと思ったよ。 ……正直、のことを恨んだし憎んだ。 俺がここに来ることになったのも、桐原の姓を捨てることになったのも、が原因だったからな。 だから真田がここに来た時、俺と似たようなやつが来たって思ったし、 あいつがまた生まれ持った姓を名乗ることができるようになった時は、 何であいつだけって……そんな風に、思ったりもした。今でもちょっと思ってるし。 「……そっか、」 「だけど俺、がくれた水野って姓も嫌いじゃないぜ」 「、え?」 「あの頃を忘れるのは無理だし、帰りたいと願うのを止めることはできない」 「幸せだったんだもんね」 「…うん。幸せだった。大切だった。……でも、俺にとって、水野竜也が帰りたいと思う場所はここで、がいないと駄目だから」 「赦すとか赦さないとか、単純じゃないけど。―今が大切だってのは同じだよ」 あたしとは逆方向、前を向いたまま紡がれる声があまりにも優しくて、 肘を置いていた場所にそのまま重たい頭を乗せる。 ふわり、髪を撫でる手のひらの温度に今度はぎゅっと目を閉じた。 「あの時がここに連れて来てくれなければ今頃俺はいなかった。今の俺にはそれが全てで、だからには感謝してる」 「…どーいたしまして」 「詳しいことは知らないけど笠井は俺や真田とは違うんだろ?」 「うん。今回はほんとに偶然。うっかり目が合ったから何となく拾っただけ」 「そっか。でも、結果は俺たちと同じになると思うぜ。に懐かないなんて無理」 「……たっちゃんに慰められるとは一生の不覚」 「おい、一生は言い過ぎだろ」 「あらたっちゃん、不覚はスルーで良いの?」 「が大人しく慰められるような女じゃないのはとっくに知ってる」 溜息交じりに告げられた言葉を合図に顔を上げる。 にやりと笑えば呆れたような微妙な表情で返された。折角の王子様フェイスが台無しよ? 「さあて、珍しく竜也の格好良いところを見れたわけだし、偶には金にならない仕事でもするかな」 「その台詞前半は失礼だし後半は守銭奴みたいだぞ」 「否定はしない」 「しろよ」 「だってこんな場所に捨てられてた血統書付きの猫について調べたところで、一銭の得にもならないでしょう?」 金にならない仕事はしない主義なの。我が家の家計はいつだって火の車だからね! さらりと口にすれば、やっぱり微妙な顔で返された。 失礼云々については流すことにしたらしい。 「ま、懐かない猫を懐かせるのも燃えるよね。ってことで、ちょっくら迎えに行ってきまーす」 「あんまり鳴海を弄るなよ。この前だってあいつ文句言いに乗り込んで来ただろ」 「そんなこともあったかなー?」 「三日前のことを忘れんな」 「ごめんなさーい」 ひらりと後ろ手に手を振って部屋を出る。 それから、閉じた扉に背を預け、深く深く息を吸い込んだ。 吐きだした後にはしっかりと顔を上げてさっさと歩き出すけどね。 多くを踏み越えてここにいるあたしには、立ち止まっている暇などないのだ。 だからごめんねは言わない。後悔もない。 誰にも踏まれるわけにはいかないあたしは、そんな感情を抱きしめている余裕なんてないの。 ――…でもそうだな。もしも一つだけ 掴んだ想いを言葉にすることが赦されるなら、 |