「この際犬の手でもいっか」


今まさに猫の手を通り越して犬の手でも借りたい状況。
そんなあたしの声に気づいたのかぺたりと地面に座り込んでいた少年はゆるゆると顔を上げた。
なにが楽しいのかへらりと浮かべる笑顔。なにも映さない透明な眼。


「きみ、暇でしょ?ちょっくらこれ持っててくれないかな」
「…」
「はいしっかり握って。なにがあってもあたしが良いよって言うまで放さないでね」
「……」


笑みを浮かべるだけで無抵抗の少年にしっかりと握らせた反対の先を握ったあたしはそのまま距離を取って身を隠す。
あたしの予想だともうすぐなんだよなー。脳内で呟いたところで聞こえた足音に口角を上げた。


「うわっ!?」
「はいビンゴー。こんな原始的な手に引っ掛かってくれるとは…お兄さん、馬鹿?」
「んだとこのガキ!」
「そのガキに捕まってりゃ世話ないわ。あ、少年、もう放して良いよありがとね」
「ヒッ、は、放せ!止めろこら縛んな!」
「暴れても良いけど痛い思いをするのはそっちですよーって、あーらら、余計食い込んじゃった」


足を引っ掛けるのに使った紐で手足を縛りついでに首にも紐を巻き付ける。
逃れようともがけば自分で自分の首を文字通り絞めることになるので暴れるのはお勧めしない。てかちゃんと忠告したのに。
勝手に弱ってくれたお兄さんに手刀を落とし意識を沈めれば辺りは再び静けさを取り戻した。


「こんなんでも中々イイ値なんだよなあ……世も末か。や、楽で良いけど」
「……ねえ、」
「ん?あぁ、協力してくれたお礼にきみにも何割かあげるよ。直にどっかのおっさんがこれを引き取りに来るから」
「いらない。お礼ならもっと別なものが良いんだ」
「例えばどんな?」

「俺を殺してよ」

「簡単でしょ?その人みたいにしてくれれば良い」
「言っとくけどまだ生きてるから。気絶させただけ」
「そうなの?」


相変わらず透明な瞳のままきょとんと首を傾げる様はどこかちぐはぐで、声にも表情にも人懐こさが滲み出ているから尚更だ。


「でもできるよね。やってよ」
「…悪いけど、それがお礼ならあげられない」
「なんで?」
「あたしは快楽殺人者じゃないの。金になるなら未だしもそうほいほい殺したりなんかしない」
「俺が頼んでるのに」
「死にたいなら勝手に死ねば」
「それじゃ駄目なんだ」


相手にするのが面倒で場所を移そうと背を向けるあたしを追い掛けるように声がぶつかる。
あたしの背中にぶつかって落ちた言葉を拾い上げるまでもなく、次々と飛んでくるから大迷惑だ。
―少し前まで置物(硝子でできた人形)みたいだったのに。


「お前は生きろって言われたから、俺は俺を殺せない」


だから俺を殺してくれる人をずっと待ってるのに、みんな俺より弱いんだ。
ほんとはもう生きてたくなんてないけど俺は生きなきゃいけないから俺を殺そうとする人を殺さなきゃいけない。
血がいっぱい出て、そのままにしとけば死ねるってわかってるけど俺はそうしちゃ駄目だし、
そうやって俺を殺そうとするやつを殺してく内に俺を殺そうとするやつも減ってった。


「でも、あんたなら俺をちゃんと殺してくれそうだから」
「買い被りすぎなんじゃない?」
「そんなことない。だってこんな場所で普通にしてられるんだから、普通じゃないだろ?」
「あたしの普通をあんたの普通で量らないでくれる?そもそも普通ってのは人の数だけあるんだよ」
「そうなの?」
「多分ね」
「ふうん。じゃあさ、俺があんたを殺そうとしたらどうする?」
「全力で抵抗しますとも」


そこら中に転がってる腐敗したモノたちと同じ末路を辿るのはご免だ。
無邪気な顔で地面に突き刺さっていた刀を引き抜いた目の前の大型犬に倣うように近くに転がっていたナイフに手を伸ばす。
…うわ、錆びてる。こっちの銃もぼろぼろだなー。でも直せば使えそう。
先生に頼んで直してもらうか…や、それより本職の愉快な武器商人たちのとこへ持って行こうか。買い取らせるのもありだな。

頭の中で算段を立てていれば不意に肌を打つ風を切る音


「余所見なんて余裕じゃん」
「いやいやいっぱいいっぱですよ?」
「そーゆーの謙遜って言うんでしょ?」
「へえ、難しい言葉を知ってるね」
「兄ちゃんが言ってた」


あ、やべ折れた。錆びたナイフで刀身を受け止めれば既に限界を迎えていたナイフは無残にも上半分が吹き飛んだ。
ご愁傷様です。心の中で合掌しつつ次の攻撃は同じく限界を迎えていそうな銃で受け止める。


「反撃してよ」
「攻撃しないでよ」
「それは無理」
「じゃあこっちも無理」
「なんで?死にたいの?」
「…それはそっちの台詞でしょ!っと、」
「!?」
「はいお終い。イイコだから大人しくするよーに」
「……トドメは?」
「生憎とあたしはお人好しでもないんでね、死にたいやつを殺してあげるほど優しくはないよ」


利益があれば別だけど。にやりと笑って背後から首筋に回していた刀を下ろし元のように地面に突き刺す。
ついでにがくりと力なく膝をついた少年を見下ろして、それからついと視線を流した。


「ねえ、あんたのお兄さんってあそこで寝てるの?」
「…うん。もうずっと前から寝てるよ。起きないんだ」


腐敗したモノが散らばるこの場所でただ一つ綺麗な場所、盛り上がった土の上に添えられた花
彼の身に起きたことを想像するのは容易いが、あたしには関係ないので気にすることではない。これといって興味もないし。

馬鹿の一つ覚えのようにへらりと笑う犬の首に手を掛けて、止めた。


「そんな顔したって殺してはあげないよ」


笑いながら泣くなんて器用な犬だこと。頬を伝う涙がないのだから芸達者にも程がある。
更に言うなら忠犬だな。もう起きることのない兄の言葉を自分の意思を枉げてまで守り通してるんだから。



たがのピエロ
「その首輪が外れた時、きみはなにを選ぶんだろうね」