「どこ行くんだよ」
「ちょっとそこまで」
「却下」


軟禁生活が始まって気がつけば一週間。このやり取りをするのももう慣れたものだ。
…なるほど、今日の担当はこいつなわけね。振り返った先にいた無表情の男に苦く笑う。


「散歩禁止。大人しく座ってろ」
「…あんたさ、いつからそんな仕事熱心になったの?面倒なこと嫌いじゃなかった?」
を逃がしてあいつらに怒られる方が面倒」
「逃げるなんて人聞きの悪い。ちょっと散歩に行くだけだよ」
は散歩すると帰って来ないだろ。…あー、あれは散歩じゃなくて家出だっけ」


淡々と告げられた言葉に眉を寄せる。ガキじゃないんだから家出なんてするわけがない。
あんまりな言い草に反撃しようと口を開くが、先手を打たれて敢え無く撃沈。


「上原、ずっと気にしてた」


だからこいつは嫌なんだ。ぽすんとソファーに腰を下ろせば、脳内であの日のことが再生される。
死ぬ前のあたしがここを去る時、最後に会ったひよこに言われた一言。声に出さずに答えたあたし。
――残念ながら、思い出したとこで罪悪感なんてものはこれっぽっちも湧かないけれど。
だって更に大きくなったひよこに半泣きでタックルされたのは記憶に新しいし、そもそもこの話は耳にタコだ。


「クドイ」
がいない間俺は延々と聞かされたんだぞ。だからも安眠妨害された俺の苦痛を味わえば良い」
「安眠妨害って…平馬、あんた一度寝たら自分の意志以外で起きないでしょーが」


聞き捨てならない台詞にちゃっかり自分だけコーヒーを用意して一人掛けのソファーに腰を下ろしたナマケモノをじとりと見やる。
過去に数回三白眼の男が何かを爆発させて大騒ぎになったことがあるが、そんな中で毎回平然と眠り続けていた男のことは最早あたしの中で伝説と化した。
だから、安眠妨害なんて言葉がこの男に適用されるわけがない。てかこいつはもうちょっと睡眠時間を減らした方が良い。
そんなあたしの訝しげな視線を受けて、平馬は相変わらず淡々と口を開く。


「俺もそれなりに気にしてたから」
「…ふうん。へーまくん、心配してくれてたんだ?」
「当たり前だろ。がいないと俺の仕事が増えるからかなり心配だった」
「……にゃろう、」
「あ、何すんだ」


あまりにも可愛くない理由を真顔で言うもんだから、ひょいっと手を伸ばしてカップを奪う。


「…うわっ何これ甘っ!ほんとにコーヒー?」
「俺甘党だもん」
「……あぁ、そういやそーだったね。すっかり忘れてた」
「歳だな」
「ふざけんな。―で?いつになったらあたしは軟禁生活から解放されるわけ?」
「椎名に訊けよ」
「無理。これ以上ストレスが溜まる前に散歩に行かせて」
「駄目。今に暴れられると計画が狂う」


あぁやっぱりそういうことか。再びカップに口を付けて激甘コーヒーに眉を寄せたふりをする。

家出だ何だと言われているが、あたしは最初から帰って来るつもりだった。散歩なんだから当然だ。
帰ることを前提でゆっくり時間を掛けて片を付けるつもりだったのに……一匹の猫が来た時点で全部台無し。
白紙に戻ったシナリオをどうにかするのも面倒だったから全部丸投げして今に至る。

でもまさか軟禁生活を送ることになるとは思わなかったな。お陰さまで外の様子はさっぱりだ。
今までの見張り担当はどれも曲者揃いだったから単純な動物の番になるのを待ってたんだけど…ナマケモノがボロを出すのは予想外。
あたしはにやりと笑ってカップから口を離す。


「散歩に行くだけなのになんであたしが暴れなきゃいけないわけ?」
「……あ。…今のなし、カット。NG」
「オッケー。じゃあテイク2ってことで、どうぞ?」


そもそもこのナマケモノ、面倒な力仕事を嫌う代わりに情報収集に関してはピカイチなのだ。
外に出ずとも機械一つであらゆる情報を集められるようになったのは動き回るのが面倒だと言う、あまりにもらしい理由だけど。
表情筋が硬いお陰で変化に乏しい顔(所謂ポーカーフェイス)を少しだけ歪めた平馬は、少しだけ黙った後にまあ良いかとあっさり口を割った。


「十八番なだけあって笠井はちゃんと上手くやったけど、それでもやっぱ捜索願が出されたみたい」
「そりゃまた無駄なことを。いくら捜したってはもういないのにねー。…あぁ、同姓同名の人はいるけど」


が銃殺される瞬間は変態どもによって設置されていた監視カメラ越しに見ていた筈。
ついでに言うならその後あの部屋は先生お手製の爆弾で見るも無残に破壊されたのだから、死体が残らないのは当然だ。
殺す前から変装してあそこに潜入してた猫目の少年だって、平馬が言う通り十八番なだけあって上手くやってたし。
…ま、ある程度のことは予想してたから散歩に行きたかったわけだけど。


「なんで気づかれたんだろ。俺の情報操作は完璧なのに……あ、への愛か。良かったな、モテモテで」
「…へまくんや、真顔で変なこと言わないように。変態に好かれてもちっとも嬉しくないから」
「変態だって立派な人間じゃん。モテ期到来おめでとう」
「だから嬉しくないって。てか情報操作も何もどーせあんたは調べるだけ調べて後は周りに丸投げしたんじゃないの?」
「当然だろ。俺に体力使うことやらせたら死ぬぞ」
「真顔で言うな。…ほんと、あんたって吉住にそっくり」
「だからさー、昔っから何度も言ってるけど俺そいつ知らないし」


10年くらい前、死ぬ前のあたしが何度か一緒に仕事をしたことのあるやる気のない男を思い出して顔を顰める。
やるだけやって全部丸投げ。あいつと組むくらいなら一人の方が楽だった。
あの頃とは違う場所であの頃と同じソファーに深く身体を預けながら、ぼんやりと窓の外を眺めつつカップを持ち上げる。
そんなあたしの手から平馬はさっきの仕返しとばかりにあたしが口を付ける寸前にカップを奪った。


「あっ、ちょっと」
「俺たちだってもう、に守られてるだけのガキじゃない」
「…なに、突然」
「心配しなくてもの家出先だったらあいつらがちゃんと潰してくれるよ」

「だからは散歩禁止。約束な」


そんなの無理に決まってる。告げられた言葉に口を尖らせながら、内心では遠慮なく舌を出す。
……でも、少しの間だけなら守ってあげても良いかな。
そんな風に思うのは、視線の先の男が珍しく真剣な顔をしているから。
緩みそうになる口許を誤魔化す為に、奪われたばかりのカップを奪い返した。



たった、幸せの答えを

見つけした。
「てか、あたし家出なんかしてないってばー」