ザクザク、ザクザク 一定のテンポで響く音を耳に刻み始めてからどれくらいの時間が経過したのかなんてもう忘れた。 自分の身体の半分以上。大きなシャベルを何度も地面に突き立てる。 「なあ、」 ざくざく、ざくざく 一定のテンポで響く音の中に混じった別の音。 あたしは壁に背を預けたまま視界を覆っていた瞼だけを押し上げた。 光を集め始めた眼が捕らえたのは、小さな背中。 「僕って普通やんなあ?」 「…希少価値はないだろうね」 「ははっ!せやせや、僕なんか売っても大した値にゃならへんもん。…その点は高う売れそうやなあ」 「商品になるつもりはないよ」 「わかってるて。そんで、…何やったっけ?」 「自分で言って忘れんな。普通が何?」 「あ、そや。僕な、ここに来るまで色んなとこぐるぐるしててん。それが嫌や思たことはないねんで?」 勘違いせんでや?からりとした笑いを交えた声が響く。 背中しか見えない今こいつの顔を見ることは不可能だけど、それでもこいつがどんな顔で笑っているのかなんて想像は容易い。 ちびっこの笑顔は見飽きたというか、網膜に焦げ付いているのだ。だから脳内で自動再生なんてお手の物。 「色んな人に会うたんよ。色んなもの見て、色んな話も聞いた」 「そう」 「も知ってるやろけど僕は楽しいことが好きやねん。せやから人も好きや。けど、みーんな僕のこと悲しい目ぇで見るん」 「悲しい?」 「そんで寂しい目や。体の真ん中をな、ぎゅうって、抓まれる言うたらわかるか?」 「…痛かったの?」 「ちょこっとな。…何であないな目ぇするんやって考えたんよ。僕は普通なんに、みんなどないしたんって」 「僕な、鳥やったんや。籠の鳥」 「鳥なんに飛べへんのが可哀想やったんやて。せやから逃がしてやる言うて、開けてくれた人がいてん」 「開ける?」 「そや。僕は籠ん中におったから、外に出るにはまず籠から出なあかんやろ」 自分の知識は世界共通とでも思ってるのだろうか。自称だか他称だか知らないけど、この鳥は昔から言葉が足りない。 あっちへ行ったりこっちへ来たり。知っていること前提で頭に浮かんだことをそのまま口にするから、会話というよりパズルをしている気分だ。 「お姉ちゃんちゃんやろ?僕ノリック言うねん。仲良うしてな」 ふにゃっと気の抜けるような笑顔を広げてこいつがあたしの前に現れたのはいつのことだったか。 足りないピースを探すのはいつもあたし。放っておいても良いんだけど、それだと話の半分以上が理解できないのだからメンドクサイ。 「僕は人が好きやったけど、手ぇ伸ばしても届かへんから触ったんはそん時が初めてやった」 「嬉しかったの?」 「それがな、微妙やねん。人って温かい生き物やと思ってたけど、あれ嘘やんなあ?」 「…嘘?」 「同じやもん。このシャベルと、同じ温度やったよ」 「…」 「も触ったら冷たいんやろか。あの家のみんなも、これと同じなん?」 ザク、ざ、 音が止むのと同時にくるりと振り返る無邪気な笑顔。 あたしがノリックについて知っていることは少ない。というか、知ろうとしなかった。 足のないにょろっとした生き物(毒があれば尚のこと)は好みじゃないので、用のない藪はつつかないことに決めているのだ。 知らないことだらけでも、こいつが良くも悪くも真っ白だということは知っている。 はあ。見慣れた顔を前にこちらも慣れた息を落とす。ことり、少年が更に首を傾げた。 「あたしに訊くんじゃなくて自分で確かめれば?」 「何言ってん。僕が触ったら壊れてまうやろ」 「……なんで?」 「やってそやったもん。初めて触った人も動かんくなったし、あん時僕の周りにおった人はみーんな動かへんかったもん」 「…その人たちはシャベルと同じ温度だった?」 「ん?そやな、人っぽくなかったわ」 「……ノリックが初めてあたしに会ったのって、籠から出てどれくらいしてから?」 「すぐやよ。僕ん羽 毟られとったみたいでなあ、どこにも飛べへんかったからふらふらしててん。そしたらに会うた」 「そう。そういえば何であたしのこと知ってたの?」 「憶えてへん?僕、ちょこっとやけどと同じ場所におったんにゃけど」 「……。へー、悪いけど記憶にないわ」 「ま、僕があそこ行ってすぐは出てってもうたらしいし、しゃあないな」 「それで、壊れる壊れないの話だけど」 こほんと小さく咳払いを一つ。途中で軌道修正しないとどこまでも脱線して修正が困難になる。 「うちの子はノリックが触ったくらいで壊れるほど柔じゃないよ」 「そーなん?」 「うん。それと低めものいるけどシャベルよりは温かいと思う」 「ほんまに?」 「ノリックだって温かいでしょ?それと同じ」 「じゃあ何であん時の人はシャベルと同じやったんやろ?」 「…人じゃなかったんだろうね。ノリックが触った時にはもう、人じゃなくなってたの」 「そかぁ…ん?人ってシャベルになるん!?ほな僕もいつかシャベルになんねんなあ」 「訂正するのも面倒なんだけどさ、いい加減シャベルから離れない?」 「がシャベルの話したんやん」 「最初に言い出したのはお前だろ」 こてん。そうだったかと首を傾げた男に口許が引き攣る。 喧しい犬どもだったらぺしりと頭を叩くところだが、こいつの場合は本気だから始末が悪い。 鳥というか鳥頭なだけじゃないの?目覚ましの代わりになってくれたことはないけどね。 そもそも何の為にあたしはここにいるんだろうか。暇なら付き合ってくれと言われてほいほいついてった過去の自分が憎い。 大きな落とし穴でも作るのかと思えばそうではなく、大した深さのない穴を意味もなく量産しているように見える。 「なあ、僕って普通やんなあ…?」 今更ながら何をしているのか問う前に少し前に耳にした言葉が再び鼓膜を揺らす。 あの時と違うのは、あたしの瞳が小さな背中ではなく見慣れた顔を捕らえていることくらいで、 「……希少価値はないだろうね」 「ははっそらそーや!僕なんか売っても大した値にゃならへんやろし…やったら高う売れそうねんけど」 「はいはいわかったから。それよりその穴どうすんの?」 「埋めんねん」 「掘った意味ないじゃん」 「あ、違うで?このまま埋めるんやなくて、これ埋めるんよ」 「…鳥の、羽?」 「せや。僕のコレクションやってんけど、もうええかなって」 傍らに置いていた鞄を開ければ、ふわりと風に舞う、――。 綺麗とは形容し難い。色も形も大きさも違うそれらは、鞄の中いっぱいに詰め込まれていた。 「僕は鳥やけど飛べへんねん。羽があったら飛べるかなぁ思てんけど無理やったわ」 「…」 「何度も埋めよう思ったんやで?でもできんくて。せやけど、が見ててくれたらできるかなーて」 壁に預けていた体重をしっかりと両足に乗せ、一歩一歩と前へ進む。 相変わらず気の抜けるような顔で笑う小さな男の頬に付いた土を拭うように手を這わせれば、ぴくりと擽ったそうに目を細めた。 「…ほんまや。温かいなあ」 「光徳と同じだよ」 「ほな僕も温かいん?」 「お子様は体温が高いからね。埋めるんでしょ?手伝ってあげるからさっさと終わりにして帰ろう」 「おおきに。…なあ、痛かったやろか」 「何が?」 「羽が抜ける時、痛い思う?」 「髪が抜けるのと同じじゃない?ま、毟られたら痛いと思うけど」 「ふーん……」 「こら、髪の毛毟ろうとしない」 「毛繕いやもん」 「そんな強引な毛繕いがあってたまるか。ハゲるよ」 穴の中に落ちていく様々な羽を眺めながらふと思う。 羽毛布団とまではいかなくても、羽毛クッションくらいは作れるんじゃないのこれ。 …丁寧に洗って乾かせば良い具合な柔らかさにならないかなー。 「なあ、僕どっか可笑しいやろか。普通ちゃうやろか」 「普通でしょ。ただ、人より少し泣くのが下手なだけ。…ねえ、この羽貰っちゃだめ?」 「…、……羽なんかいらん。…そや!飛べなくたって、の隣で鳴いてられたらそれでええねん!」 だからくれよ羽。 止める暇もなくノリックが頭の上で鞄ごと引っ繰り返してくれた所為で、零れた羽は穴に落ちる前にひらりと風に流れて行った。…勿体ない。 |