「髪結いがは猫みたいだって言ってたのわかるな」
「どうして?」
「普段は寄って来ないくせに腹が減った時と退屈な時だけは寄って来る」


あらいやだ、よくわかってらっしゃる。
肯定も否定もせずににやりと笑えば、目の前の黒い男(腹は黒くないけど)は小さく息を零した。


「で、何が食いたいんだ?」
「焼きそば」
「へーへー。ちょっと待ってろ」
「ん。…ねえ、いつの間に結人と仲良くなったの?」
「別に。ただあいつ人懐こいだろ。勝手に色々喋るんだよ」
「なるほどねー。てかあいつ人の家に入り浸りだけど、仕事はどうしたんだか」
「あいつってこの家のやつじゃねーのか?」
「家族になった覚えはないよ」


きっぱりと否定して、今度から宿泊費でも取ろうかしらと呟けば無防備にも背中を向けている男がくくっと笑った。
何かを含んだような音にあたしは少しだけ眉を寄せ、でもあたしが口を開く前に男が口を開く。


「文句言うくせに、本気で追い出そうとはしねぇよな」
「だってあいつ無駄に器用なんだもん。料理なんて柾輝と同じくらい上手いし」
「そりゃどーも。でもあんた自分でもできんだろ」
「人が作る飯ほど美味いものはない」
「面倒ってことか」
「そーとも言う。それに結人は本職だけあって髪弄るの上手いから、我が家のお姫様がより一層可愛くなる」
「あぁ。でも他にも器用なやつならいんだろ。郭とか」
「だめだめ。両手怪我した時に仕方なく頼んだことあるけど、耳が刻まれるかと思ったよ」
「…翼は?」
「金取られるから却下」
「だから家族でもないあいつが出入りすんのを許してんのか」
「利害が一致してる内はね」
「で、あんたにとって一番の利益は?」
「……結人がいると郭が人らしくなること、かなー」
「あぁ、そーいやそうかもな」


柾輝の背中を見つめながらもあたしの瞳が映すのは、綺麗な―それこそ人形のような少年の顔。
来たばかりの頃に比べればその表情から感情を読めるようになったけれど、それでもまだ人らしさには欠けている。
そんなあいつが、結人に向かって怒鳴っているのを見た時は天変地異の前触れかと驚いたっけ。
郭が腹から声を出せたことにも驚いたし、不満を言葉にしたことにも驚いたのだ。


「でも郭は髪結いのこと嫌ってるだろ。放っといて良いのか?」
「郭の嫌いは貴重だよ。好きはもっと貴重だけど」
「そりゃ、この先どう転ぶか見ものだな」
「でしょー?流石柾輝、よくわかってらっしゃる」


にやり、上がる口角。 柾輝ほど話し易い相手もいないと思う。
言葉にしない部分まで汲み取るのが上手いし、引き際を心得ている。
流石はあの気難しい少年が連れて来ただけはあるな。 多分一番付き合いが長いであろう可愛い顔の男を思い浮かべて小さく笑う。

さっきまで食材を刻んでいた音が止み、代わりにそれを炒める音が響く。
何とも平和な音だこと。今度は鼻で笑った。


「そういや次の仕事 誰連れてくんだ?」
「んん、どうしよっかなって考え中。なに、興味あるの?」
「俺は別に。でも藤代が行きたいって騒いでたぜ」
「あーだめだめ。誠二はまだ連れて行けない」
「十三になってねぇのは知ってるけど、あいつの実力なら申し分ねぇだろ」
「そーだけど、誠二は駄目」
「じゃあ俺は?」
「良いよって言いたいけど、例外を出すと犬どもが騒ぐからやっぱり駄目かなあ」
「へえ、俺だと頭ごなしに却下じゃねーのか」
「うん。だって柾輝は好き好んで前に出たりしないでしょう?」
「……なるほどな」


ほら、やっぱり話し易い。漂ってきた香ばしい匂いも相まって、あたしの顔はにんまりと微笑む。


「でもあんたなら藤代の無茶くらい止められんだろ?」
「そりゃーね。でも、状況によってはどうにもできないよ。あたしはあたしが一番大事だから」
「とか言いつつ、いつも守ってるよな」
「成り行きでね。死んでも守るとか、その手の言葉は一度も言ったことないし口が裂けても言えないもん」
「あんたの場合言えないんじゃなくて言わないんだろ」
「どうして?」
「んなの簡単だ。が死んだら誰もあいつらを守ってやれねぇからな」

「だからはたとえあいつらを守る為だろうが死ぬわけにゃいかねーし、藤代みてえな死にたがりを連れてくわけにもいかねーんだろ」


当たりだろ。振り返ってくつりと笑った男に苦笑い。 ほんと、あいつが気に入るだけあるわ。
ソファーに座ったままのあたしに焼きそばが盛られたお皿と箸を差し出し、自分はその正面に腰を下ろす。
ちらりとさっきまで柾輝が立っていた場所を見れば、火を止めたフライパンの上にはそれなりの量の焼きそばが残っていた。
きっと他のやつらの分まで用意してくれたんだろう。何だかんだで優しいからな。言ったところでついでだと笑うんだろうけど。


「柾輝ってさー、男前だよね」
「…んだそれ」
「世界中の女の子を代表して言ってみた」
「女の子って柄じゃねーだろ」
「しつれーな!あたしだってまだまだ若いっての」
「歳のことじゃねーよ」
「それなら良し。…と、遊びはこの辺にして真面目な話。―柾輝はどうしてここに来たの?」
「あんたの家族に連れて来られたからって答えじゃ足りねぇか?」
「そうだね、その答えは一週間程前に聞いたから」


そうなのだ。こんなにも馴染んでるように見えるがこの男、実はこの家にやって来たのは一週間程前のこと。
まだ一週間しか経っていないのにこの家のやつらのことをよく見て理解している。
一番付き合いの長いあいつが連れてきた相手を疑うつもりはないけれど、用心するに越したことはない。
だってあたし、この家の大黒柱だからね。
にやりと笑って目の前の男を見つめれば、見つめられていた男は小さく息を吐くと同時に肩の力を抜いた。


「俺は死ねない。だからあいつの誘いに乗ってここに来た」


訝しげな視線を受けても人懐こく纏わりつかれても飄々と受け流していた柾輝。
けれど今、彼の瞳は真っ直ぐと逃げることなくあたしの目を見つめている。
肩から抜け落ちた力がそのまま瞳に入り込んだように、二つの黒の奥で力強くなにかが揺れているのだ。
……仕方ないな。 もっと深く訊けと怒りだすやつがいるかもしれないけど、訊く気が失せた。
それに最初から疑ってなんかなかったんだ。だって柾輝を連れて来たのは他でもないあいつなんだから。

あたしは箸を握り直して、まだ誰も口にしていない、作り終えたばかりの焼きそばを口に運ぶ。
一週間程前にやって来たこいつに料理を作らせたことはあっても、こいつより先に食べたのは初めてだ。
口の中に広がるソースの味と歯応えを残したキャベツに満足して、あたしの右手は何度も同じ場所を往復する。
こんなに美味しい物を作り出すことのできる手を別のことに使うのは勿体ないな。 ―皮肉なことに、それを望んだのはその手の持ち主だけれど。
死ねないと告げた男は、けれども死と近いこの場所で生きることを選んだ。これを皮肉と言わずになんと言おうか。

食べないの?と問うあたしに柾輝は少しだけ驚いた顔をして、それからくしゃりと顔を歪めた。



われたあなたに
「残念ながら、今日からきみは正式に家族の一員だよ」