「お疲れさん、遅かったなあ」
「……ドチラサマで?」
「なんや嬢ちゃん、こないな男前を忘れてしもたん?」
「謙遜って言葉知ってる?」
「俺の辞書にはあらへんなあ」


どうしてくれようこの男。
髪と同じく輝かんばかりの笑顔を広げるその顔面に生卵でも投げ付けてやろうか。やらないけど。勿体ない。
そもそもあたしもうお嬢さんって歳でもないし、せめてお姉さんって言えや…じゃなくて、取り敢えず


「人様の家に勝手に上がり込んだともあればなにをされても文句はないのよね?」
「会ってすぐなんてせっかちやなあ。ほな、優しくしてや?」


ぶら下げていたビニールがガサリと音を立てた。…おっと危ない、もうちょっとで投げ付けるとこだったわ。
数週間分の食糧をこいつの所為で駄目にするなんてあり得ない。グッジョブあたし、よく耐えた。
だけど、今後の展開云々によってはどうなるかわからないので本日の戦利品たちが入った袋は早々にフローリングの上へ下ろしておこう。


「それで?不法侵入者さんは一体なんの目的でこんな何もない場所までいらっしゃったのかしら」


無駄に広いワンルームにある物といえばソファー(しかも金髪が占領中)のみ。
ある程度質の良いソファーだけれど、それ以外に金目の物は疎かまともな家具すら揃っていない。なんせ越してきたばかりなのだ。

訝しげに眉を顰めるあたしに侵入者は慣れたように口許に弧を描く。


「焦らすのが好きなん?」
「何の話?」
「わかっとるくせに。…ま、ええわ。のそーいうとこが気に入ったんやし」
「ちょっと、気安く呼ばないでくれますか侵入者さん」
「今更なに言うとんの、俺との仲やん?」
「真っ赤に染まった仲よね。赤の他人だもの」
「ほんま釣れへんなあ自分。ええ加減名前で呼んでや」
「名乗られもしない名をどう呼べと?」


棘だらけの言葉を投げれば、まるで我が家のように寛いでいる男はたった今気づいたとばかりに大袈裟に目を瞠って、今度はゆるりと細めた。


「成樹や。佐藤成樹」
「…また随分と在り来たりな名字だこと」
「覚え易くてええやろ。気に入っとんのや」


にかりと笑う金髪を見下ろして溜息。見た目が同じなんだからさっさと名乗れっての。
こっちはまたどこぞの暗殺者があたしを殺しに来たのかと警戒してたんだからさ。
…てか家主のあたしが立ってて侵入者がソファーに座ってるって可笑しくない?普通逆でしょ何様だこいつ。
急激に膨れ上がった苛立ちをそのままぶつけるかの如く、あたしは静かに持ち上げた足を横に流す。


「うわ、危なっ!」
「避けんな」
「今のは避けるやろ普通」
「不法侵入したやつが普通とかなに言ってんの笑えない」
「…暫く会わへん内にきっつうなったなあ」
「そりゃどーも。あ、立ったついでにその袋取ってくれない?投げないでね」


深くソファーに腰を下ろして、忠告を守って差し出された手から袋を受け取るべくこちらも手を伸ばす。
するとどうだろう。袋を受け取ろうとしたあたしの手は、目的の物を掴むより先にがしりと掴まれてしまったじゃないか。


「なに?」
「ある有名な家業の跡継ぎの話知っとるか?」
「…あぁ、そういや数年前に突然消えたらしいね。家出?」
「せや。でもただの家出と違う、縁切りや」
「それはまた、随分と大事ねえ…」
「ごっつ面倒やったわ」
「面倒なら止めれば良かったのに」
「大事な女との約束やもん、果たさなあかんやろ。せやけどそいつが色々片付けとる内に今度はその女が家出してしもてな」
「それはそれは…タイミングが悪いというか、縁がなかったんじゃない?」
「やっと正面から会いに行ける思たら居らんねん。ひっどい女やろ?」
「……」
「誰かさんが居らん家に住んでもしゃあないから、帰ってくるんをずっと待っとったんや」
「…じゃあその、お留守番してる筈の佐藤サンがなぜここに?」
「一言文句言うたろ思て」


にっこりと笑った男から反射的に距離を取ろうとするも手首への拘束が強まってそれどころじゃなくなる。
そもそもソファーに腰掛けている時点で逃げ場はないのだ。窓から射し込む淡い光を受けた金色がより一層煌めく。


「これ以上待たせるなら容赦せんで」

の計画も全部無視して好き勝手暴れたる…あ、それは既に始まっとんのやった。堪忍なあ」
「……、あいつらと手組んだの?」
「組んだっちゅーかお仲間やで。なんせ目的が同じやし。―居らんやつが悪いんや、今更許可もなあんもあらへんやろ?」
「…馬鹿なことを、」
「その大馬鹿集団を育てたんは誰や?」
「待ては覚えさせたつもりよ」


にゃろう、嫌味か。まあ文句だからそうなんだろうけど一言だけじゃなかったわけ?
引き攣る頬を何とか誤魔化してにやりと微笑むあたしに、更なる追い討ちを掛ける一言が、


「全部片付いたら焦らされた分のツケかっちり払ってもらうさかい、精々覚悟しとってや?」


掴んだ手首を引き寄せて指先に三日月を落とす男を前に、今度こそ盛大に頬を引き攣らせてやった。



月にべられた
「全くもって身に覚えがないので払う義理はありません」