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そわそわと落ち着きのない様子であたしをじいっと見つめる茶色い目。
あたしはゆっくりとスプーンを置いて、口を開く。


「ん、好きな味」


にやりと笑えば、目の前に広がるのは満面の笑みとガッツポーズ。
ふわふわな毛並みの犬から視線を外し、あたしは再びふわふわとろとろのオムライスを口に運んだ。
こいつの手料理を食べるのは久しぶりだけど、腕は落ちるどころが上がりすぎてる。


「デザートにマフィン焼いてるからそれも食ってよ」
「もうさ、いっそのこと店でも出したら?」
「あーパスパス。俺食う専門だから、他人の為に作るとかないわ」
「あたしに食べさせてるじゃん」
優花は特別。ついでにここのやつらもな」


からりと笑った結人は手をつけていなかった自分の分のオムライスにケチャップで可愛らしい猫(年齢を考えろ)を描いてスプーンで掬った。
料理上手で絵心もあるこの男は、頭を使うこと以外なら何をやらせても人並み以上。
我儘なところもあるが、ころころと変わる表情や人懐こい性格のお陰かどうも憎めないやつなのだ。
器用なのは手先だけじゃない。世渡り上手なムードメーカー。


「あ、そーだ。久しぶりに髪弄って良い?」
「じゃあついでに切ってくれない?肩より短いくらいが良いかな」
「それだと弄れなくなるから駄目。邪魔なら俺が毎日結ってやるよ」


あっという間に空になった皿を机に置いてあたしの後ろに回って髪を触り始めた犬に息を落とす。
真後ろに立たれるのは未だに好きじゃないんだけど。…この様子じゃなに言っても無駄だな。
もう好きにしてくれと後ろに意識はやらずスープに手を伸ばす。あ、これも好きな味。
楽しそうな鼻歌が流れてきて、そういやこいつは初対面の時も鼻歌交じりにあたしの真後ろに立ったんだと思い出した。



*



「ねぇお姉さん、その髪どうしたの?」


この部屋にあたし以外の気配はない。だとすればこれはあたしに向けられた言葉だ。
ゆっくりと部屋の外に視線をやれば、人懐こい笑みを浮かべた茶色い瞳と目があった。


「ばらばらじゃん。綺麗な髪なのに勿体ねー」
「オトメゴコロのわからない馬鹿に切られちゃってね」
「じゃあ俺が整えてやるよ。髪結いだから上手いぜ?」
「残念だけど手持ちがないの」
「それならだいじょぶ。仕事で来たついでだから金はいらない。ね、やらせてよ」
「あー……じゃあ、揃えるだけ」
「オッケ、そこ座って」


ついで、ね。…ま、金は取らないって言ってるんだから甘えるとしますか。
にかっと笑った髪結いに促されるまま椅子に腰掛ける。真後ろに立たれるのは好きじゃないんだけど、我慢するとしよう。


「お姉さん、もしかして小羽優花?」
「…どうして?」
「俺仕事選ばないから、そっちにもよく行くんだよね。その時にちょっと噂で聞いたことあって」
「へえ、どんな噂?」
「あー…なんだっけ?……綺麗な顔の子供がいるとか、そんな?」
「綺麗な顔の子供なんてどこにでもいるでしょ」
「俺と同じくらいだって聞いてたし。それに、すっげぇ腕が立つって話だしさ」
「腕が立つ?なにそれ」
「今更誤魔化さなくても良いって。この部屋見ればわかるし」
「……ねぇ、ほんとにただの髪結い?」


鼻歌交じりに鋏を動かす少年に向けていた意識をより一層研ぎ澄ませる。この部屋にいたのはあたしだけだし、あたし以外の人間の気配もなかった。
生きていない気配だったらあるけど彼がここへ来た時すでに見えない位置へと移動させた後だったのだ。
ただの髪結いが生きていない気配―死体の気配を読めるなんてあり得ない。
髪を整えてもらったら帰るつもりだったんだけど、その前にもう一仕事するべきか。メンドクサイと思いつつもポケットに手を伸ばす。
最初からこいつが少しでも妙な動きをすれば仕留めるつもりで背中を向けていたから、必要なら今すぐに息の根を止めることが可能だ。


「言ったじゃん、仕事選ばないって。金さえ払ってもらえればどんな状況だろうがどんなやつだろうが結うよ」
「…なるほどね。それで敏感ってわけ」
「そーいうこと。ここさ、金払い良いから気に入ってたんだよね。ほんとならこれから仕事だったんだけど無駄足かー」


はい完成。渡された鏡を覗けば酷いことになっていた髪は綺麗に整っていて、頼んでもないのに一部の髪が編み込まれていた。
あたしは一つ息を落として、鏡を返すついでにポケットから取り出した小銭を髪結いに渡す。


「くれんの?」
「ついでのつもりだったんでしょ?てか、遠回しに金払えって言われたみたいだしー」
「まいど!」


手持ちがないのは本当だったから仕事に見合った金額じゃないだろうけど、勝手に結ったのはそっちだからサービスってことで良いだろう。
すぐに帰るつもりだったけど気が変わった。からりと笑って小銭を受け取り商売道具を片付け始めた髪結いを眺めながら口を開く。


「この仕事長いの?」
「言葉が理解できるようになってからやってる。選り好みしなければ髪結いって結構儲かるんだぜ。それに俺器用だから化粧もできるし」
「どーりで良い腕してるわけだ」
「サンキュー。気に入ったなら今度から指名してよ。ここに連絡してくれればどんな指定場所でも行くからさ」
「それじゃお願いしようかな。そういえば髪結いさん、名前は?」
「あぁ、俺名前持ってないんだ。親いなかったし。だから髪結いでも何でも適当に呼んで」
「適当に、ね。……じゃあ結人」
「ゆうと?」
「そ。なんでも良いんでしょ?結う人って書いて結人。あぁ、結ぶ人でも良いか」


指で宙に文字を書く。さっき渡された紙にも漢字が使われていたから読める筈。
髪を結ぶ、縁を結ぶ、約束を結ぶ、物語を結ぶ。語彙や感受性が豊かな人ならもっと色々思いつくだろう。
適当に決めた割には我ながら良い名前だな。小さく笑えば茶色い髪の少年が複雑そうな笑みを浮かべた。


「なんか俺には勿体ねえや」
「なに言ってんの、ぴったりじゃん」
「どこが?」
「だって髪結いが結うのって髪だけじゃないでしょ?こうやって綺麗にしてもらえれば嬉しいし、それを誰かに褒めてもらえたらもっと嬉しい」


髪を結うのと同時に心も結われる。それが人に伝わって、感情や関係が結ばれて行く。
反応がないことに首を捻りつつ視線を向けると、結人は赤くなった瞳を緩ませて笑った。


「俺、この名前すっげぇ好き」



*



あの時はまさか、髪結いが家に住み着くようになるとは思わなかったなー。
しかも髪結いの仕事辞めてこっちの仕事するようになるし。…ま、それでも頼まれれば髪結いはやってたけど。


「俺やっぱ優花の髪が一番好きかも」
「そりゃどーも」


あたしも結人に髪結われるのは嫌いじゃないよ。
調子に乗るのはわかってるから口には出してやらないけどね。



うわごとのようにり返す、
「真後ろに立たれるのは好きじゃなかった筈なんだけどなー」