さて、どうやって時間を潰そうか。目の前には行儀悪く横を向いて座る不機嫌オーラ全開の少年。
手負いの獣ってこんな感じ?警戒心剥き出しで瞳を尖らせる少年に笑みを向ける。おっと、更に睨まれた。


「そんな不機嫌な顔しないでよ」
「じゃあ早く俺を解放しろ」
「だーかーらー、きみのお父さんに頼まれたんだって。何度言わせるのさ」
「知るかあんなくそ親父」
「知らなくて良いんじゃん?ただあたしは家出した馬鹿息子を見つけて連れ戻せって依頼を請けたからそうするだけだし」
「てめぇの都合なんて知るか。さっさと失せろ」
「あのさ、そーやって視界に入るもの全てに吠えてたって弱く見えるだけだよ?」
「あぁ!?」
「ほら、また吠えた」
「…俺は女だろうが容赦しねえぞ」
「お好きにどうぞ?ま、あたしは多少容赦してあげるけど」


大人ですから。にやりと口の端を上げれば鋭い視線が刺さる刺さる。
次は何を言ってやろうかと口を開くより先に、落ち着いた深みのある声が割って入った。


、その辺にしないか」
「えー」
「他の客の迷惑になるから控えてくれ」
「ごめーん。打てば打つ程響くから面白くってつい」
「全く。…天城と言ったな?すまない、彼女は少し口が過ぎるところがあってな。本人に自覚はあるものの悪気だけはないんだ」
「いやいや渋沢それフォローになってないから。寧ろ微妙に貶してるから」
「だが当たっているだろう?」
「……うん、まあ、ソウデスネー」


朗らかに笑う男から目を逸らしテーブルに置かれたカップに手を伸ばす。
仄かに香る甘い匂い。あたしはコーヒーを頼んだと思ったんだけど。視線で問えばこくりと頷かれる。


「あぁ、すまない。木田がどうしても淹れたくないと言ってな。代わりに俺が淹れようとしたんだが筧が水で良いだろうと」
「どこから突っ込めば良いのかなそれは。取り敢えず木田さん呼んでくれる?」
「悪いがあいつは忙しいんだ」
「じゃああそこでにやにやしてるちびっこでも良いけど」
「勘弁してくれ、忙しいんだ」


カウンターに向かって引き攣った笑みを向ければちびっこがひらりと手を振って応える。
どう見ても暇してるだろあいつ。そしてもう一人は一向にこっちを見ないんだけど。いつもながら酷過ぎじゃないかい?
傷ついた心を癒す為に甘い液体を胃に流し込む。ココアを用意したのは消去法で渋沢か。


「砂糖とミルクは入れてないから必要だったら使ってくれ」
「え、ちょっと待って。なんで天城にはコーヒーなの!?」
「日頃の行いじゃないか?」
「常連客に向かってなんたる仕打ち…!お詫びの品に甘い物を要求します!」
「すまない、忙しいんだ」


ははっと眩い笑みを零した男(年齢詐称してると思う)は他の客に呼ばれて去って行った。
オーダーを取る後ろ姿にこのやろうと独りごちる。笑えば良いと思いやがってあんにゃろう。


「おい」
「あ?……あー、そのコーヒー絶品だよ。変な物も入ってないし安心して飲みなさいな」
「…」
「いらないならあたしがもらうけどー?」


相変わらず不機嫌顔の少年は相変わらず行儀悪く座ったままカップに口を付ける。
その表情が変わらないことから、どうやらブラックは飲めるらしい。この顔で甘党とかだったら面白かったのに。つまんないの。
両手で掴んだカップをソーサーに戻しちらりと窓の外を見ながら口を開く。


「ねえ天城」
「…」
「別にきみが何度家出を繰り返そうがどうだって良いんだけどね、こっちに入り込むのは止めた方が良いよ」
「……」
「きっときみの父親も、あっちで家出をする分には多少は大目に見てくれるだろうし」
「お前に関係ねぇだろ」
「そっれがあるんだなー」


硝子の向こうを映していた視線を引き戻して正面に合わせる。
ついでに片手で頬杖を付いて、訝しげな視線を寄こす天城に目を細めた。


「きみと直接顔を合わせるのは初めてだけど、あたしがこの仕事を請けたのは初めてじゃないからね」

「天城が今までこっちに入り込んでも無事だったのは、きみの父親が毎回あたしに依頼してたからだよ」
「…んなの、」
「知らない?」
「…」
「うん、それで良いんじゃん?何も知らずに好きなだけ反抗すれば良いさ。子供らしく、ね」
「……」
「睨まない睨まない」


吠えないだけ成長したかな?ま、こいつに何をされようと小動物に甘噛みされた程度にしか感じないけど。
どんなに強面だろうと結局こいつは向こうの人間。あっちじゃ浮くかもしれないがこっちにはごろごろいる。


「ほんとは顔を合わせる予定もなかったんだけど、今回は深いとこまで行きすぎてたから強制連行ってわけ」
「……そんなに違うのか」
「まーね。…たとえばあそこ、可愛い顔してるけど仮面の下では獲物を探して舌舐めずりしてる」
「…」
「この店で暴れるような馬鹿はいないと思うけど、一応目は合わせないように」
「そんな風には見えねぇ」
「狼が狼の顔をしてるとは限らない。賢く獰猛な生き物はいつだって羊の皮を被ってるんだよ」
「…お前は?」
「さあて、どうだろう。……心配しなくても大丈夫、取って食ったりしないさ」
「心配なんてしてねえ」
「そりゃ駄目だよ、もっと用心しないと」
「…は俺の身の安全を守る為にいんだろ」
「正解。でも、あたしなんかに気を許しちゃいけないよ」
「何でだよ」
「きみのお父さんが心配するからね」


顔を顰めた少年に小さく笑って、そろそろ出ようと立ち上がる。
天城が後をついてくるのを確認しながら会計を済まし、目を合わせてきた渋沢に一つ頷く。視界の端で羊の顔した狼が立ち上がった。


「天城、外に出たらそのまま右に真っ直ぐ走って。迎えが来てるからそこまで立ち止まらないように」
「は?」
「間違っても左には行かないように。ここは中間地点だからね」
「…お前は?」
「んー?羊の毛刈りでもして家に帰るさ。とにかく、合図したらダッシュねダッシュ。―はい、ゴー!」

っ!また会えるか!?」


おいこら振り返るなって。少し離れた場所から声を上げる天城に苦笑い。
きっともう彼はこっちには来ないだろう。反抗期は継続するかもしれないけれど、それでも、
家出を繰り返す馬鹿息子を陰ながらずっと守っていた不器用な父親を知ったんだから。



失くした記の中
「あの人たちは一瞬でも、あたしを守りたいと思ってくれたのかな」