「お前のその、理想ばかり詰め込んだ砂糖の塊みたいな話聞くだけで吐きそうになる」 「―と、過去のあたしに吐き捨てた野郎がいるんだけどそこんとこどう思う亮くん?」 「あ?」 「相変わらずガラ悪いわねえ」 眼鏡って眼光の鋭さ(タレ目だけど)をカバーしてくれる優れ物だと思ってたけど、こいつに限っては違うらしい。 ウィィン。独特の機械音が響く薄暗い部屋。立ち並ぶ機械が放つ光しかここにはない。 扉を開けた瞬間の熱気と暗闇に光る顔はもうホラーよね。お化け屋敷に住みたいと思ったことはないんだけど? 腕を組んで扉に体重を預けながらそんなことを考えていれば、暗闇に浮かび上がる顔が煩わしそうに歪んだ。 「今忙しいんだよ。くだらねえ話なら後にしろ」 「とか言いながらちゃあんとこっち向いてくれる亮くんにきゅーん」 「きもい」 「同感」 「……、まじで忙しいんだよこっちは。暇つぶしなら他所でやれ」 「ちょっと、あたしが暇人みたいな言い方止めてよ」 「間違っちゃいねえだろ」 「まさか!さっきまで仕事だったしこの後も予定がきっつきつ!ちょっとくらい休ませろっての」 「文句なら本人に言えここで愚痴んな」 「本人に言ったところで逆に疲れるだけだから言いませーん」 「じゃあなんだようぜえな。おら、さっさと出てけ忙しいんだろ?」 「過労死も夢じゃないくらいにはね。…まあそれはあんたも同じみたいだけど」 くるりと椅子を回して再び四角い箱を構っている男の背中に人知れず溜息を一つ。 こいつが最後に何かを口にしたのはいつだ?食事も摂らずに生きていけるのは白衣がトレードマークな三白眼の男だけで良いっつーのに。 「個人で請けた仕事に口を挟むのは野暮だと思うけど、最低限の食事と睡眠くらい摂ったら?」 「摂ってるさ」 「嘘。ここ最近平馬はこの部屋に入ってない」 「それが?」 「あんた昔っから仕事中に休む時はほんの数分でも誰かに代わり頼んでたわよね。時間が惜しいって」 「…」 「今それを頼めるのはあんたが育て上げたあいつしかいないでしょう?」 おいこら、だんまりか。キーボードを叩く音が止んだのは一瞬で、またすぐに無機質な音が猛スピードで駆け抜ける。 画面に映った青白い顔がなんだか無性に胸を刺すのだから堪ったもんじゃない。 あのコードを引っこ抜いたら怒るだろうか。…多分きっと、骨の一本二本捨てる覚悟がないと駄目だろう。 軽口は多いくせに根が真面目なこの男を止めるには軽い気持ちじゃ声すら届かないから、 「―ねえ、後が支えてるから早くしてくれない?」 「んだよさっさと出てけば良いだろ」 「無理。答えを貰ってないもの」 「なんのだよ」 「質問の答え。最初に訊いたでしょ」 「忘れたね」 「嘘。あんたに限ってそれはない」 この膨大な量のデータを全て頭に叩き込んでるやつがなに言ってんだか。 もしも今この部屋の機械全てが壊れてしまったとしても、亮がいれば困ることはないのだ。 こいつの天性の才能。最大の長所であり短所。記憶することに優れた脳は消すことを知らない。 「人間は機械と違って欲求があるの。それを無視し続けるのはただの自殺行為よ」 いや、機械だって電気という名の食事をしてる。 繋ぎっ放しでも電気は食い放題なんだから、食わず眠らずのこいつに比べればどう考えても機械のが高待遇だ。馬鹿じゃないの。 「これくらいじゃ死にゃしねえよ」 「高熱出してぶっ倒れたことあるやつがなに言ってんのさ」 「昔のことだろ」 「今も同じでしょ」 「……ボロボロになってまで集めたんだ。しつこさだけが取り柄みたいなやつがよ」 「…そう。だけどそれで全てを救おうだなんて無理な話」 「決め付けんな。まだわかんねえだろーが」 「わかるから言ってるの。ほんとは亮だってわかってるんでしょう?他のやつらを巻き込まないように一人でやってるのが答えじゃない」 「それでもっ!……それでも、譲れねえもんもある」 刹那、鋭く重い音が部屋中を覆って、再び独特な機械音が静かに辺りを包む。 硬く握られた拳がわなわなと震えるのをあたしはただ表情もなく眺めた。 「…お前ならわかるだろ?似たようなことしてたじゃねえか…」 「わからないわね。あたしには理想なんて綺麗で不確かな言葉で終わらせないだけの力があったもの」 「あいっかわらずの自信家だなてめえは」 「長所ですから」 「短所だろ」 重苦しい息を吐き出して丸まった背を深く椅子に沈めた黒髪の男の様子に組んでいた腕を解く。 あたしはわざと音を立てて近づいて、そのまま形の良い頭を無遠慮に掴み寄せて眼鏡をひょいと取り上げた。 「おい」 「なに?」 「返せよ」 「嫌よ。大人しくそのまま寝なさい。あんたが起きる頃には丁度ご飯ができてる筈だから」 「そんなことしてる時間なんてねえよ」 「ないなら作れば良いでしょう」 からからと隣から椅子を引いてド真ん中を陣取っている重たい椅子を蹴り飛ばす。 うおっ!とか、なんか短い呻きが聞こえたけど気にせずに空いたスペースに座り込んで冷たい四角に指を載せた。 …冷たさ以外の温度を感じたのは、つまりそういうことだ。 「こんなんばっか弄ってるから冷たいのよ」 「はあ?」 「あんたの手。こいつらの温度が移ってる。これ貸したげるからさっさと寝ろ」 「だからそんな暇、」 「作れば良いって言ったでしょう?何度も同じこと言わせないで」 顔面で上着を受け取るなんて相当疲れてるなこりゃ。狙ったとはいえ防げた筈だし。 不満気な声に貸す耳は持ち合わせていないので軽く両手を解して眼光の鋭い男から取り上げた眼鏡を掛ける。 レンズ越しの世界は少し歪んでいて、まるであたしとこいつの違いみたいだなと込み上げる笑いを噛み砕いた。 「…は首突っ込むな」 「突っ込む気なんてこれっぽっちもないから安心なさい。ただちょっと、暇つぶしにね」 「この後も予定あんだろ?あいつらに嫌味言われても知らねえぞ」 「亮が離してくれなかったって言うから大丈夫」 「お前は俺を殺す気か」 「いやいやまさかそんなわけないじゃなーい」 「…ったく。……でもま、に殺されるなら本望かもな」 あ、くらくらする。度が強すぎるんじゃないのこれ? 寝息も立てず死んだように眠りに就いた男を横目に、あたしはそっと眼鏡を外した。 |