遠くで雷が鳴っている。 まだ昼間だというのに窓の外はどんよりと暗く、ただでさえ胸糞悪い場所にいるってのにこれじゃあ気が滅入る一方だ。 とんとん、組んだ腕を指先で叩いて窓硝子を殴る雨粒に目を細める。 「リマ症候群」 「違う」 「違わへん。…ええわ。百歩譲って違ったとして、今のお嬢にあちらさんのオネダリ聞けるん?」 「愚問でしょ」 「嘘言いなや」 「一度請けたからにはやっぱりできませんなんて言わないわ」 「気の強い女やなあ。せやけど、ええの?目の前であれの中身引きずり出したり刻んだりされるで?」 「…さっきから何なの?」 「何て、心配?」 「ここまで来て失敗するとでも?―毎晩気紛れに選んだ部屋の人間を一人ずつ元の形に戻せないくらいぐちゃぐちゃにして、 しかもご丁寧にそれを次そうなるやつに見せて?」 悪趣味にも程がある。そこまでしろとは言われてないけれど、止める義理もないので余計な口出しはしない。 この場限りとはいえチームで動いている今、仲間割れなんて面倒なことを引き起こすつもりはないのだ。 …あぁ、でも、今後は組む相手の性癖も調べてから仕事を請けよう。変態お断り。 「毎晩毎晩断末魔が響いて次第に悪臭は濃くなる。 たとえ今手足が自由になったとしても目の前には昨日壊れた母親が転がっていて、扉の向こうには父親祖母伯母…、 屋敷中に散らばった肉片を踏み付けて逃げ出す気力が残っているとは思えない」 「屋敷の人間はあと一人。今晩あれが壊れたらそれで終わり。今更報酬が入らないとでも?」 ちらりと視線をやれば、伸びた黒髪を後ろで括った男はへらりと口許を弛めて見せた。 「報酬の心配はしてへんよ。これで飯食ってる人間が五人も揃って、最後の最後でド派手なポカもないやろ」 「それなら、なに?」 「言うたやん。リマ症候群」 「それなら違うって言ったけど?」 「せやなあ…。せやけど自分、綺麗好きやろ?」 「散らかす趣味はないわねえ」 「わしが心配しとるんはそこや。これ以上散らかされるんが嫌で、お嬢に掃除でも始められたらどないしよ思てん」 それが心配している顔か。 昼間から三日月を浮かべる男に、あたしはにやりと口角を上げた。 * 「あら、随分なベッドで眠るのねぇ。おはよう、桐原竜也くん。と言っても、もう夜だけど。素敵な夢は見られた?」 どろりと異臭を放つベッドでお坊ちゃんが眠れるとも思えないがまあ可愛いジョークということで、 こてんと首を傾げて色を変えたカーペットに幼虫のように丸くなる少年を見下ろす。 「たーつーやーくん。起きてるんでしょう?」 「…」 「きみが見たくない物ならさっき片付けたから、顔を上げても何もないよ」 「ッ、……、…」 「あ、やっぱり起きてた。人が話しかけてるのに寝たふりだなんて、酷いわねえ」 ほんとうに、酷い。―酷い顔。 最初に見た端整な顔からは程遠い。黒ずんだ顔でも目の下は一層暗く、触り心地の良さそうだった頬も今じゃげっそりと痩けている。 というか、全体的に薄くなったな。 …ま、突然知らないやつらが屋敷を占拠して理解が追い付かないまま部屋に監禁されて、食事は与えられず眠ろうにも毎晩叫び声、 終いには目の前で母親が散々複数の男に嬲られた挙句生きたまま刻まれて中身を引きずり出される様を 耳を塞ぐことも目を瞑ることも許されずに事切れる瞬間までしっかり焼き付けられもすりゃ、肉も精神も削られるだろう。 血溜りからゆらりと身体を起こした彼は、淀んだ目にあたしを映して、カサカサの唇を数回動かした。 「賢い子ね。そう、今日はきみの番。でもきみで最後だから、惨めな姿を晒す心配はしなくて良いよ」 「…、……」 「ああ、昨日のやつら?ちょっと前まで酒盛りしてたんだけど、そのまま潰れちゃったみたいで起きないの」 大金が手に入る前祝いだと騒いでいた三人に気を利かせてカクテル(見た目は一級品)を差し入れたのはあたしだけれど、 まさか大の男が揃いも揃ってたった一杯で潰れてしまうとは情けない。 カクテル自体には何も盛っていないので、彼らが起きないのは決してあたしの所為ではないのだ。 「…やく、」 「うん?」 「早く、殺せ」 「そう急かさないでよ。…でも、そうだなー。折角だし最後くらいきみの望みを聞いてあげようか。ねえ、どうして欲しい?」 「…」 「縄を解いてあげようか?欲しい物があるなら用意してあげる。最後だもん、食べたい物ある?」 「……」 「ん?なあに?」 ぼそぼそと動く唇に耳を寄せようと腰を落とした刹那、ホルダーから銃を奪われ、かちり、横腹に冷たい筒の感触。 あらあら、縛られたままだってのに器用だこと。無駄の無い動きに思わず目を瞠れば、背後から軽快な口笛が響く。 「ちょっとそこの見物人、人のピンチを愉しんでんじゃないわよ」 「可愛くオネダリできたら助けたってもええで、囚われのお姫サン?」 「冗談。そもそもあんた王子って柄じゃない、しっ!」 ぐっと身を捩って銃を持つ手を捻り上げ、寝心地の悪いベッドで眠っていた所為で触り心地の悪くなった髪を掴んで勢い良く振り落とす。 ぴしゃっと生温い液体が跳ねたが既に服は汚れているので眉を寄せることもなく、これ以上暴れないようにと肩に膝を落として体重を掛ける。 「きみのことちょっと見くびってたみたい。ごめんね、謝るわ」 「―死ねっ!」 「桐原家では礼儀は教え込まれなかったのかしら?」 「殺してやる…!母さんみたいに、お前も、お前もっあいつらも!全員ぶっ殺してやる!」 「随分生きの良い死にぞこないねえ?―選ばせてあげる。今あたしを殺ろうとしてここで死ぬか、桐原竜也を殺して生きるか」 「っお前が死ねよ!」 「嫌に決まってるでしょ。…ねえ、桐原を捨てて家に来なよ。そしたら銃の使い方だって一から叩き込んであげる」 「ふざけんなっ!誰がお前なんかのッ、―、」 尚もあたしの下から抜け出そうともがく細い身体を押え込みながら素早くナイフを振り下ろせば、ひゅっ、声にならない悲鳴が響く。 「きみは賢い子だと思ったんだけどなーあ…桐原竜也、くん?」 ゆっくりとナイフを引くと、はらり、手首を拘束していた縄が解ける。 泣き叫んですっきりしたのか、窓の向こうでにんまりと微笑む三日月を真似て、あたしはそっとガタガタと震える彼の耳に唇を寄せた。 * 「桐原の関係者は全員屋敷に監禁して殺せ言うてたけど、ド派手に燃やせとは言わんかったで?」 「惨殺しろとも言ってなかったじゃない。そもそも絶望の中死ぬようにで浮かぶのが監禁だけって。ガキなの?」 「そう言いなや。表の人間が精一杯考えた惨い死がそれやったんや、可愛いやん」 「可愛い?百歩譲って一般人を水も与えず監禁したら早々に餓死することもわからないあの豚の貧しい想像力が可愛かったとして、餓死のどこが可愛いのよ」 「何にもされんとただ手足縛って転がされて孤独に逝くんと、赤の他人に玩具にされて苦痛の中逝くん、どっちが惨い思う?」 「知らない。でもその二択なら転がしとくだけの方があたしの服は汚れずに済んだ」 「適当に組まされた五人の内三人がぶっ飛んだ性癖やなんてわしも想像できへんかったわー。 ま、依頼通り絶望の中死んだから細かいことはええけど」 「あいつらとは二度と一緒に仕事したくないわ」 「わしは自分ともしたないわ。あちらさんは桐原は全員消せ言うたんに、まっさか桐原家の一人息子を誘拐やなんて、ばれたらエライことになるなあ」 「…あら、桐原竜也は消えたでしょう?」 「物は言いようやな」 「……ねぇ、」 「半分でええよ?育ち盛りが一人増えるんや、全部は可哀想やし」 「どの口が。さっき細かいことは良いって言ったじゃない。三分の一」 「ほなさいならー」 「わかった!半分ね、あたしの取り分半分渡すから」 「交渉成立。ほんならわしはなーんも知らん。あそこで潰れとる三人も起きたら勝手にするやろ。依頼完了、これにてお開き」 「腐れ守銭奴」 「吉住やって。お嬢は人の名前も覚えられんのかい」 「お互い様でしょ腐れ吉住」 「何や余分なの付いとるけど、ま、今はそれでええわ。ほな、また一緒に仕事しよな。坊も精々気張りー」 黒い尻尾が暗闇に溶けるまでそう時間は掛からず、 あたしは一つ息を落として、放っておけば崩れ行く屋敷と同じに末路を辿りそうな背中を蹴り落とすのだ。 「あ、ごめん足が長くて。起き上がれない?ほら、掴みなよ。早く立って」 「…人殺しの手なんて借りるか」 「こっちの世界では力を持たない人間に何かを選ぶ権利なんてないの。たとえ殺したいほど憎い人間の手だろうが、それを利用して立ち上がらないと何も始まらない」 「賢いきみなら理解るでしょう?」 |