メープル味のシフォンケーキを切り分けて取り皿に乗せる。 ふわりと香る甘さは味とイコールだろう。 いっそのことあいつはパティシエにでもなれば良い。あぁでもお菓子作りだけじゃなくて、普通の料理も上手かったっけ。 美味しい物に目がないふわふわの毛並みの犬を思い浮かべて、フォークで掬ったケーキを口に運ぶ。 「…ん、美味しい」 やっぱ一仕事終えた後は甘いものに限る。口の中で広がる絶妙な甘さに自然と笑みが零れた。 うちの子ってば優秀なんだから。…あぁいけない。なんだかほんとに母親の気分になってきちゃった。 淹れたばかりの紅茶を一口。折角優雅なお茶会をしてるのに、中断するしかないみたいね。 テーブルの上のナイフを手にとって素早く首筋へ。かきん、金属同士がぶつかる音が響く。 「一緒にお茶がしたいならそう言えば良いのに」 ナイフに映る金色に向かってにこりと愛想笑い。 死にたくないなら家の中では気配を消すなと、昔からあいつらには言い聞かせているのだ。 だから、あたしの背後に気配を殺して立つような馬鹿者は招かれざる客というわけ。 この家のどこにもトラップなんて洒落たものは用意してないので、誰であっても自由に入ることができる。 …ただ、五体満足で帰れるのかと訊かれると微妙なところだ。 ゆっくりとではあったが押してくる力が弱まったので、こちらも同じく手首にかけた力を抜く。 ついでにナイフを元に戻して、くるりと振り返りながら首筋に触れる。あぁ良かった。首の皮一枚切れちゃいない。 「こんばんはお兄さん。初めましてだと思うけど?」 「そやな。嬢ちゃんみたいな別嬪はんやったら一度会うたら忘れへんし」 「あたしもお兄さんみたいな綺麗な人なら多分忘れないと思うよ」 「多分かいな!そこは絶対言うてや」 「ごめんなさい、あたし正直者だから」 互いに笑みを浮かべたまま中身のない会話を交わす。 金髪でこの口調。記憶の中からぴたりと嵌る人物を引っ張り出すけど、やっぱり会うのは初めてだ。 「それで?藤村屋さんの跡継ぎがなんの用?」 「なんや、知ってるんやったら話が早い」 あっちの世界で有名な藤村屋が裏で暗殺業をしているのはこっちの世界で有名な話。 にかりと人好きのする笑みを浮かべた殺し屋の手には、ほんの少し前にあたしの息の根を止めようとしたナイフ。 同じナイフでも机の上にある果物ナイフとは次元が違う。あれは、人の命を奪ってきたナイフだ。 存在を主張するようにきらりと光ったそれを見て、あたしは少しだけ目を細める。それに気づいたのか、殺し屋が再び口を開いた。 「怖いん?」 「なにが?」 「俺が怖いかって意味や」 「どうして?」 「自分、今から俺に殺されるんやで?」 「別に怖くないけど。それとも、怖がってほしいの?」 「…変わったやっちゃなぁ」 「よく言われる」 そもそも殺される予定はないのだ。にやりと笑うと、困ったような笑みで返される。 今度の藤村屋の裏の跡継ぎは腕が立つと専らの評判だった。 さっきだって一瞬で終わらせるつもりだったんだろう。迷いのない熟練した動きを思い出す。 あたしは改めてじっと彼の目を見つめる。揺れることのないこの目は、命の重みを知っている眼だ。 そのことに少しだけ笑って、彼に背中を向けて紅茶を一口。 「殺し屋に背ぇ向けたらあかんやろ」 「でもあたしお茶の途中なんだもん。あ、殺し屋さんも飲む?今なら美味しいケーキもあるけど」 「おおきに、頂きますわ。―なんて言うと思ったん?いちびるのも大概にしい」 「いちびる?それはどういう意味で?」 「ふざけるなっちゅー意味や。まさに今の嬢ちゃんのことやで」 「なるほど、勉強になります。でも別にふざけてなんていないけど」 「ほお、この状況で殺されへんとでも思ってるわけか。そりゃまたエライ自信やな」 「自信もなにも事実だし」 「ええ加減そのよお回る口塞いでええか?」 「その前に一つ。を殺してくれと依頼したのはどんな人?」 フォークでケーキを一口サイズに切りながら問いかける。 背後で殺気立っていた気配が揺れた。気配を消すのを止めたのは良いけれど、あんまり殺気立つと他のやつらが気づくから控えめにしてほしい。 「どない言われてもよお覚えてへんし。そっちこそ心当たりくらいあるんとちゃう?」 「あるにはあるけど、多過ぎて一人に絞るのはちょっと」 「モテモテやなぁ」 「ほんと、困っちゃう。…それで依頼主の話だけど、もしかしてこんな顔じゃなかった?」 甘いケーキを食べながら足元に転がったままの塊を軽く蹴る。あたしの言葉にソファーの後ろにいた金色があたしの横に並んだ。 息を呑む気配を感じて、無理もないと笑う。あの位置からじゃ死角になってこの塊は見えなかったんだから。 嗅覚を頼ろうにも、この部屋に充満した甘い匂いが邪魔をしていた。 そもそもあたしが異臭のする場所で優雅なお茶会(一人きりだけど)を楽しむわけがない。要するに、死の臭いはしないということ。 「これ、自分がやったん?」 「うちの子はちゃんと後片付けができる子だから」 「…っは、なんや、依頼したくせに結局は自分で殺りにきよって返り討ちっちゅーわけか。とんだ無駄足やわ」 「そーいうこと。仕事もなくなったわけだし、一緒にお茶でもいかが?」 「ほな頂こか。ケーキも付くんやろ?」 「勿論。絶品のね」 隣に腰を下ろした殺し屋と入れ違いで立ち上がって、彼の分のカップと取り皿を用意する。 切り分けたケーキとまだ温かい紅茶を差し出すと殺し屋はからりと笑った。 「おおきに。俺、のこと気に入ったわ」 「それはどーも」 「俺もここで暮らしてええか?」 「藤村屋の跡継ぎがなんのご冗談を」 「冗談とちゃう、本気や。俺な、ほんまはこの仕事好きやないねん」 「じゃあ辞めれば。ここに藤村屋とのイザコザを持ち込まれるのは迷惑」 「……藤村と縁を切ればええんやな」 「切らなくても良いけど喧嘩して家出、とかは止めてよね。ついでに言えばお兄さんの依頼主とかお兄さんの命を狙ったやからがここに出入りするのも迷惑」 「それやったら藤村ん名はほかしてさらのを考えへんと。は何がええと思う?」 「佐藤とかで良いんじゃない?」 「そりゃまた在り来たりやなぁ」 からからと豪快に笑う金髪のカップに素知らぬ顔で角砂糖を落とす。 世の中には喧しい暗殺者もいたもんだ。笑い声に気づいて部屋にやってくる気配がいちにいさん…お茶の用意が必要かな? あたしの隣で断りもなくケーキのお代りを始めた殺し屋の手には、ほんの少し前にあたしを守ってくれた果物ナイフ。 人の命を奪うナイフより、こいつにはそっちのが似合ってる。 そんな自分の思考回路にあたしは少し笑って、慣れた手つきでケーキを切り分ける金髪にあたしの分もと皿を渡した。 |