迷路のように曲がりくねった道の先の先、光が殆ど届かない暗がりの中にぽつんと建てられた小屋。 こんこん、二度扉を叩けば内側に開いたその先でこの家の住人が待ち構えていたようににんまりと笑った。 「いらっしゃい」 「どーも。…相変わらずねえ」 ここに人が寄り付かないのは場所の所為だけじゃなくて不気味な室内の所為でもあると思うの。 薄暗い部屋に並ぶ大小様々なコップに小さく息を落とす。 透明な液体の中を揺らめく赤い影は一つに付き一匹。この光景は何度目にしても慣れはしない。 「また増えたんじゃない?」 「そーでもないよ。増えた分減ってるからプラマイゼロってとこ」 「ふうん……で、久しぶりにお願いしたいんだけど」 「俺中身は専門外だぜ?」 「誰が中を弄れって言ったのよ」 「え?だってさんどっこも失くなってないじゃん」 「失くして堪るか。あたしのじゃないから」 「あ、そーなの?」 人の身体を上から下まで眺めた後に納得したとばかりに笑ったこの男は決して金魚屋ではない。 金魚を集めるのは単なる趣味「おっとそろそろ餌の時間だ」――の、筈。 ギシギシと音を立てて奥へ引っ込んだ男は、今度はギイギイと音を鳴らして箱を手に棚へと向かう。 「で、俺に一体誰の部品を造れって?」 一つ一つのコップに餌を落としながら声だけを此方に投げてくる。 立っていることに疲れたあたしは、近くにあった木製の椅子を拝借して腰を下ろした。 「まあ誰でも良いんだけど、何にしても本人が来てくんないとサイズわかんないし色々困るんだよねー」 「大体のサイズはわかるよ」 「…一応聞くけど、どこ?」 「指」 パラパラと擦り合わせていた親指と人差し指と中指がぴたりと止まる。 コップに注がれていた視線がゆるりと持ち上がり、オモチャ箱のような瞳はあたしを押し込むのが嫌だと言わんばかりに大袈裟に揺れた。 「ゆびい?」 「そう。右手の人差し指」 「……まった面倒な」 「あ、やっぱり?」 「わかってるなら本人連れて来てよ」 「それは無理」 「何で」 「あたしが勝手にやってることだから」 「……急ぐの?」 「ううん。一応今も指付けてるからさ」 「あーそっか、さんとこ良い腕のやついたもんな。確かふ、…何センセーだっけ?」 「何でも良いよ。でもあいつの場合日生の金魚と一緒」 近くにあったコップをつんと突く。 小さな世界を泳ぐ小さな魚はあたしの指など見えてないとばかりにゆらゆらと身を翻すのだから何ともツレナイ。 同じくツレナイ三白眼の男は確かに腕が良く器用ではあるが、如何せん興味のあることしかやらないし本職ではないのだ。 ―その点こいつは本職の義肢職人。金魚収集は飽くまで趣味。 「はいこれ」 「うーわ色男ーでも俺男に興味ないから」 「うん知ってる。でもいるでしょう?」 「……接触して自分の目で確かめろって?」 にやりと口を横に引く。いやあ、察しが良くて助かるわ。 差し出した長方形に写る横顔をしげしげと眺める金魚愛好家はやがて諦めたように肩を竦めた。 「こりゃ金魚の餌代だけじゃ足んないなあ」 「必要な物一式分全部出すよ」 「お、太っ腹!」 最初からそのつもりだったくせによく言う。 人の良さそうな顔をしたこの男、実はどこぞの糸目と同じで笑顔で多額請求をしてくる曲者なのだ。 日生曰く、「慈善事業じゃないんだから当たり前」らしい。まあ間違っちゃないわ。 一体どれだけ持っていかれるのやら。想像するだけで寒くなる懐に思わず両腕を摩れば真後ろからバッタンと大きな音。 「みっくん飯持ってきたぞー!…っと、さん?お久しぶりっす」 「久しぶり。食事時にお邪魔してごめんね」 「いやいや美人はいつでも大歓迎なんで。てかみっくん茶ぐらい出せよなーったく」 「おいこらそこの二人、ナチュラルに会話してるけどここ俺ん家だぞ」 「何言ってんだ、俺が来ないとゴミ屋敷のくせに。…あーっ!またこんな散らかして!ちょっとは片付けろっつったじゃんか!」 勝手知ったるとばかりに動き回るちびっこ(という歳でもない)を眺めながらあたしは出されたばかりの温かいお茶を口に含む。 それから、ほう と息を零した。 「ほんっと相変わらずねえ」 「あいつは俺の母親かっての」 「お礼のつもりなんでしょう」 「…別に良いのにさ」 「満更でもないくせに」 金は天下の回りもの。あたしから大金を毟り取るこの男は、だけれど義肢を与えた全ての者へ同じように大金を請求するわけではないのだ。 持っている者からはふんだくるが持ってない者からは一銭も受け取らない。…だから、憎めないのよねぇ。 机の上に顎を置いて鼻の先のコップを眺める。静かに揺れる小さな世界越しに見える現実は、なんともまあ欠伸が出そう。 「小鉄ー飯はあ?」 「先に掃除だっつーの!」 「えー俺腹減ったのにー」 「片付けるまで絶対食うなよ!食ったらここの金魚ぜーんぶ丸焼きにすっからな!」 「怖いこと言うなよ…。…にしても、そんだけ動き回れるなら今日もメンテの必要なさそうだなあ……流石俺」 「いーから掃除っ!」 「えー」 ばたばたと忙しない元気印の彼の片足が体温を持たないなんて誰がわかるだろうか。…あ、飛び蹴りした。 慌ててお手製車椅子を急発進させる職人に、あたしはまた相変わらずだなあと息を落とすのだ。 |