「ねぇ有希、ほんとに行くの?」 向かい合わせのあたしを見ながら隣に向かって声を出す。 あたしの隣で同じように向かい合わせの自分と睨めっこしている愛くるしい少女は、ほんの少しだけ煩わしそうに息を落とした。 「またその話?いい加減しつこい」 「だってさー」 「あのね、私だってもう何もできない子供じゃないの」 くるりと椅子を回してこっちを見た少女の視線が刺さる。 眉間に寄せられた皺によって可愛さが半減する――なんてこと、この子に限ってあり得ない。 まるでお人形のよう。いつだって可愛い可愛い女の子。 大事にしたいと思って、なにが悪い? 「あたしは有希にこんなことさせるつもりで色んなことを教えたんじゃないよ」 見飽きた自分の顔から目を逸らし、可愛い少女と向かい合うように椅子を回す。 珍しく真面目な声色のあたしに驚いたのか、ふさふさと長い睫毛が上下していた。 そんな顔してもだめ。お母さんは認めません! 声を大にして言いたいけれど、そこまであたしが口を挟む権利はないのでぐっと飲み込む。 「…が私のことを心配してくれるのは嬉しいわ。でも、これ以上みんなのお荷物なんて嫌」 「ふうん、有希はみんなに荷物扱いされてると思ってるんだ?」 「……の意地悪。そんな言い方されたら否定するしかないじゃない」 「ごめんごめん。流石の有希でもあたしに勝つのはまだ無理かー」 「当たり前でしょ。には勝てないけど、私だってみんなの役に立ちたいの」 「今のままでも十分だと思うけど」 年齢でいえば一つ下の少女は、あたしにとってたった一人の妹のような存在。 それなりにいる後輩の中でも一際頭が良くて呑み込みも早かった。 てか、女の子で最後まで残ったのはこの子だけだもんなー。 男どもに力で劣る分を他で補うことができるのは、この少女がそれだけ優秀だということ。 あたしを抜けば男しかいないここでの紅一点。あたしの癒しだ。 「覚えてる?ちょっと出掛けてくるってが私たちに手を振った日は、決まって傷だらけで帰ってくるの」 「…あー、そんなこともあったかな。ま、若気の至りってやつだよ。血気盛んだったからね」 「茶化さないで」 あら怖い。キッと睨まれて笑顔を引っ込める。 あの頃のあたしはまだまだ青かったから、この世界を上手に渡り歩くことが完璧にはできてなかっただけのこと。 一体なにが言いたいのかと視線で促せば、目の前の少女は一度目を伏せてから鈴の音のような声を響かせる。 「目に見える傷は減ってもはいつも傷だらけだった。―心が、傷ついてた」 私もみんなもまだみたいに外には出られなかったから、ただ待ってることしかできなかった。 傷薬や包帯をかき集めて、が帰ってきたら喜んでもらえるように部屋を綺麗にしたわ。 が調達してくれる食材で、がいつもやってくれるように温かな食事を用意した。 …初めのうちは何度か失敗しちゃったけど、それでもは美味しいって食べてくれるから、すごく嬉しかったのよ? 私たち、いつだってには笑っていてほしかったの。暗闇しか知らない私たちにとって、の笑顔は太陽だったから。 「みんなね、早く一人前になって今度は私たちでを守ろうって決めてたのよ」 「……うわぁ、そんなの初耳だ」 「言ってなかったもの。…でも、結局はを心配させちゃうのね」 さっきまでの勢いはどうしたのか、しゅんと項垂れた少女に笑ってしまった。 あぁ困った。こんなこと言われたらこれ以上なにも言えないじゃないか。 有希(だけじゃないけど)には華やかな場所が似合う。こんな裏側の華やかさじゃなくて、もっと陽の当たる場所が。 焼けるんじゃないかってくらいの陽射しの中を歩いてほしかったし、歩かせてあげたかった。 「有希、顔上げて」 広げたままだったポーチから化粧品を取り出して、左手で有希の顎を持ち上げて右手の筆に色をのせて紅を引く。 白い肌によく映える。くいっと横に引いた赤は、ほんの僅かに残っていた面影を綺麗に覆い隠した。 目の前にいるのは、あたしの可愛い妹じゃなくて一人の女だ。 あたしは小さく笑って、最後の仕上げとばかりに真っ赤な薔薇の髪飾りを艶やかな黒に添える。 「…うん、完璧。これでどんな男もイチコロ間違いなし」 「、この薔薇」 「あげる。お姉ちゃんから可愛い可愛い妹へ、一人前になった最初で最後のお祝いってとこかな」 「でもこれっての、」 「ん?」 「……ありがとう。大切にするわ」 「どういたしまして」 ふわりと微笑む女性に応えるようににやりと笑う。 この笑顔をこれからどんな男に向けるんだろう。誰をも魅了する有希だから、妙なやからも寄ってくるに違いない。 それこそまるで、甘い蜜に群がる蟻のように。 真っ黒い喪服の行列がいつの日か、鮮やかな赤を犯してしまうんだろうか。 …あぁでも、そんな心配は杞憂に終わりそうだ。だって有希だもん。あたしが認めた一人前の女。 それに、万が一なにかあった日には、あたしもあいつらも黙っちゃいないだろうし。なんてったって紅一点、昔も今も我が家の大事なお姫様。 長い裾を翻して立ち去った影を想いながら、一人静かに目を伏せた。 瞼の裏にはいつだって あどけない赤が微笑んでいるから。 |