「あららー、物騒だこと」


心の中で呟いたことがぽろりと口に出ることってない?……つまり今がそうなわけで。
薄暗い路地裏でちびっこを囲むようにしている強面のおじさんたちから一斉に視線を浴びて今度こそ心の中だけでメンドクサイと呟く。
雨が降りそうだから近道しただけなのに。ついでに言えば素知らぬ顔で通り抜けるつもりだったのに。


「んだお前どっから湧いてきやがった?」
「ちょっと、人を虫みたいに言うのやめてよね。普通にそっちから歩いてきたただの通行人Aなんであたしの存在は気にせずどーぞ」
「女ぁ、嘘言ってんじゃねーぞ。あっちは俺の仲間がいるんだ、通れる筈がねえ」
「通ったけど」
「ざけんな!」
「煩いなー。お気遣いいだたかなくとも普通の声量で十分聞こえますから」
「口の減らねぇガキだ。…そういやお前良い物持ってんな。それ全部置いてけ」
「お断りします」


ぴしゃりと答えれば向けられた視線の暑苦しさが増した。
そんなに見つめたところであたしの気力が削ぎ落ちるだけなので止めていただきたい。げっそりしつつ手の中の紙袋を抱え直す。


「おい!このガキがどうなっても良いのか!?」
「どーって言われてもねぇ」
「お、お願いしますっ助けてください…!」


ついと視線を移せば、震えた子犬のような小さな少年と目が合った。
むさ苦しいおっさんの腕が首に回されていて苦しそうだなーとほんの少しだけ眉を寄せる。
…あぁでもね、そんな顔したって仕方ないんだよ。記憶を遡ってみたところでちびっこに会ったのは今が初めてなんだから。


「ごめんねーボク、あたし急いでるの。降られる前に帰りたいからさ、他あたってよ」
「そ、そんな…!」
「冷てぇお嬢さんだなぁ」
「冷たいも何も赤の他人を引き合いに出されても興味ないんで。つか、今時そんなお人好しいるわけないじゃん」
「ま、一理あるな」
「そーいうこと。てことでもう行って良いですか?うちの子がお腹減らして暴動起こす前に帰らないと」
「うちの子?お前、その歳で子供いんのか?」
「女性にその手の話題はタブーでしょーが」


ぎゃんぎゃんと喚き散らしている犬どもを想像するのは容易い。そいつらに冷たい視線を突き刺してるやつらもまた然り。
お腹を痛めた記憶はないけれど頭を痛めた記憶なら幾度となくあるのだ。
これ以上面倒事はご免だと軽口に乗じて一歩踏み出そうとすれば、ちびっこに腕を巻きつけたおっさんがぽつりと一言。


「ん、待てよ?整った顔立ちに人を食ったような口調、おまけに子持ちってことは……お前、もしかしてか!?」
「もしかしなくてもそーだけど。なに、あたしってば知らぬ間に有名人?」
を殺ったとあっちゃ箔が付く。それにバラすまでもなく高値で売れそうだしなぁ」
「…んん?なーんか物騒な単語拾ったんだけど空耳かしらー?」
「なあに、ちょっと大人しくしててくれりゃすぐ終わるさ」
「いやいやだからあたし急いでるんだってば。おじさんたちの相手してるほど暇じゃないのよ?」


ぽつり、頬を弾く滴に顔を顰める。
紙袋の中には当然濡れては拙いものだってあるのだ。大袈裟に肩を落とし溜息を一つ。


「危ない!」


せっかちな男は嫌われるんだからね!…ま、それ以前にタイプじゃないけど。馬鹿正直に突っ込んできた力を利用して逆に地面に叩き落とす。
もう一度溜息を吐いて、かちりと目が合ったちびっこに紙袋を渡し(ちょっと乱暴だったけど)ついでにその首に巻きつく太い腕の主を蹴り上げといた。


「あーもうメンドクサイ。悪いけどちょっとこれ持ってて。できれば濡れないように抱えててくれると嬉しい」
「え?あ、…」


多勢に無勢、勝ち目がないかはお楽しみってか。



*



「食後の運動ならともかく、なんで食前に運動しないといけないわけ?腹減らしたところであたしの取り分が増えるわけじゃないのにさー」
「……あ、の…、」
「ん?あぁ、持っててくれてありがとね」
「いえ、ぼくの方こそ助けてくれてありがとうございました。……それであの、その人たち、死んだんですか…?」
「かもね」
「かもねって、そんな!」
「正当防衛ってことで仕方ないんじゃない?それとも何、あたしに死ねと?…あ、売るって言ってたから取敢えず半殺しかな」
「笑い事じゃないですよ!人が目の前で亡くなったかもしれないのに、そんな簡単にっ」
「あのさ、なんか勘違いしてるみたいだけどあたしは正義の味方でもなんでもないわけ。他人の命より自分の命、他人が危険に晒されようが自分の安全が第一。感謝するのは勝手だけどきみを助けたつもりはないし、きみもあたしの邪魔をするなら今すぐ沈めるよ」


この手のタイプは好きじゃない。呆れを交えて吐き捨てた。
預けていた荷物も受け取ったことだし、これ以上濡れる前にさっさと帰ろうと地面に座り込んだままのちびっこの横を通り抜け―る、つもりだったんだけど。
もぞり、と一つの塊が動いた。足元に視線を落とせば、ナイフを手に地面を這う男。


「うっ…、のあま舐めやがって…!」
「放してくださいっ!」


目が見えていないのかその男はあたしへの恨み言を並べながら座り込んだままのちびっこを掴み、そのまま片手でしっかりと押さえ込んだ。
あたしは丁度良いと小さく笑って、紙袋の中から果物ナイフを落とす。


「さあどうする?そのナイフでそいつを刺すか、それとも何もせずそのまま殺られるか。言っとくけどあたしは助けないよ」
「ッ!……、ぼく、は…」
「きみがそいつを刺しても誰も責めない、責められない。だってそうでしょ?自分の命に勝るものなんてないんだから」
「…ぼくは、…それでもっおれは、――できないっ!」
「そ、じゃあ大人しく殺られるんだね」


歯を食いしばってギッとあたしを睨みつける二つの瞳の中で、小さなあたしがにやりと笑う。
こいつが今まで生きていられたのは幸せな偶然が重なったとしか思えない。この世界じゃそんな強さは枷にしかならないのだから。
大きく腕を振り上げた男の手から逃れるのを諦めたのか、少年は覚悟を決めたように固く目を閉じた。
…あぁ、馬鹿な子。息を零すと同時、鈍い音が鼓膜を揺らす。


「ちょっとおっさん、人の戦利品に傷付けてんじゃないわよ」
「ぐっ!」
「え、?」
「いやー、あたしとしたことが預けといて返してもらうの忘れてたわー。いけないいけない」
「え、でもぼくちゃんと返し…あ、」
「きみの胸ポケットに懐中時計預けといたの忘れてた。でも壊れちゃったな、うちの先生が直してくれると良いけど」
「…いつの間に。全然気づかなかった」


再び地面と仲良くしてるおっさんは放っておいて戸惑うちびっこの胸へ手を伸ばし、じゃらりと金色を引っ張り上げる。
最後の力だか何だか知らないけど、おっさんが力いっぱいナイフを突き立ててくれたお陰で針の音が聞こえない。
三白眼の男を思い浮かべて、直してくれるだろうかと首を捻る。あいつは自分が興味を示したことしかやらないからなー。


「あ、あのっさん!」
「なあに?」
「ぼく、風祭将って言います。どうかぼくを連れて行ってください!」
「嫌」
「!」
「ただでさえ生活苦なのに、これ以上食いブチ増やしたらやってけないっての」
「……そう、ですよね。ごめんなさい」


連れて行ったりしたらあたしが怒られる。うちの子は怖いのだ。
動かなくなった時計と地面に落とした果物ナイフを紙袋に入れてしっかりと抱える。ぽたりぽたりと大粒の雨が落ちてきた。


「あーぁ、降ってきちゃった。家って入口に鍵がないからか、こんな雨の日はよく犬とか猫が勝手に入ってきたりすんのよねー」
「え?」
「ま、勝手に入ってきて住み着いてる犬どものことはあたしの責任じゃないし、放置してるけど」
「あ、の…」
「ん?あぁ、ただの独り言だから気にしないで。あたしは帰るから、きみも風邪引きたくないならさっさと屋根のある場所に移動しなよ」
「っありがとうございます!」


がばっと身体をくの字に折り曲げたちびっこからさっさと視線を外して歩き出す。
早くしないとびしょ濡れだ。気を利かせた誰かが大きなタオルを持って待っていてくれることを祈ろう。

できたばかりの水溜りを蹴る音は二つ。少し後ろをついてくる子犬は、はてさて無事に雨宿りができるのやら。
――雨が止むまで、後少し。



しみブルーは
「なんか犬が入ってきちゃったんだけど、誰か飼う?」